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ベトナム戦争の記憶は封印、米国に助けを求めるベトナム

2014.07.16(水) 古森 義久
今や中国が「共通の敵」に

ベトナムが米国への接近を始めた。しかも、米国からの軍事的な支援を得ようとする動きである。米国側でもその動きに応じようとする構えが明らかとなってきた。

 ベトナムと米国といえば、当然、ベトナム戦争が想起される。かつての敵同士だったこの両国が新たな絆を強めようとするのは、中国という新たな共通の脅威に立ち向かうためである。

 周知のように、中国はこの5月、南シナ海のパラセル(西沙)諸島近くの海域で一方的に大規模な石油掘削作業を始めた。この海域はベトナムの排他的経済水域(EEZ)内部だった。国連海洋法では、EEZ内でのこの種の資源開発作業は沿岸国、つまりこの場合、ベトナムの了解を得なければならないとされている。しかもパラセル諸島はベトナムが長年、実効支配してきた実績があり、いまも領有権を主張している。だが中国は1974年に突然、軍事攻撃をかけて、パラセル駐在のベトナム軍(当時のベトナム共和国軍)を撃退し、強引に制圧したのだ。だからベトナムとしては、今回の中国の動きには二重三重の脅威や憤慨を感じるということとなる。

 その結果、ベトナムは米国の助けを求めることとなった。

ベトナム新政権と距離を取っていた米国

 国家同士の離合集散は国際政治の常とはいえ、ベトナムと米国が戦ったベトナム戦争の記憶はまだまだ両国だけでなく全世界に強く残っている。その戦争の歴史をざっと振り返ってみよう。

 現在のベトナム社会主義共和国は、かつて現領土の北半分だけを支配し、南側に存在していたベトナム共和国の併合を図った。南が抵抗すると、北は軍事攻勢を推進し、南の要請を受けた米国が軍事介入した。米軍海兵隊第一陣が南ベトナムに上陸したのは1965年だった。

 以来、一方は米軍と南ベトナム政府軍、片方は北ベトナム軍とその支援を受けた南ベトナム革命勢力という2つの陣営の間で激しい戦闘が展開された。

 北ベトナムはソ連と中国の軍事支援を受けていた。戦争は決着がつかず、米国内の反戦世論の高まりなどで、米軍は1973年3月に完全撤退する。その後、北と南のベトナム人同士の戦争が続いた。そして1975年春、北ベトナムは国家の総力を投入する一大軍事攻勢を南ベトナム領内で開始した。北ベトナムはこの攻勢により、わずか2カ月足らずでベトナム共和国の国家自体を粉砕し、南全土を制圧したのだった。南ベトナムはすでに米国からの軍事援助も断たれており、抵抗はむなしく終わった。

 ベトナム戦争のこうした経緯を改めて書くのも、私自身がこの戦争の最終の3年間以上、毎日新聞の特派員として南ベトナムに駐在し、その報道にあたったことが大きい。

 私はジャーナリストとして、その闘争の激しさ、特に米軍と北ベトナム軍との熾烈な戦闘の数々を間近で観察した。両軍の間の敵意も、いやというほど感じ取った。米国の支援を受けた南ベトナム政府が、1975年4月末に完全に崩壊した後の米国側の挫折感や失望の深さは、翌年から駐在したワシントンで目の当たりにすることになった。

 しかし、ベトナムと米国は1995年に国交を正常化した。戦争の終わりからちょうど20年経ち、米国側で、南北を統一したベトナムと少なくとも国交だけは結ぶのが自然だとする意見が多数派となったからだ。だが、それでも両国の関係は制約され、距離があった。米国のベトナムへのアプローチは特に慎重でぎこちなかった。

 その理由としては、やはり戦争時の敵意が尾を引いていたという要因が大きかった。ベトナムの政権が共産党独裁であり、旧南ベトナム政府側の人たちだけでなく、政権を批判する勢力をすべて厳しく弾圧したことも、米側の反発の理由となった。

 その上に、戦争中に消息を絶った米兵の捜索という問題も、両国間に摩擦を生んでいた。さらに米国内には、旧南ベトナム政権と縁の深い南住民だった人たちや、その後継者が合計180万人も存在した。彼らはベトナム系米国人として米国の国政にも影響力を及ぼせる勢力となっていた。そのベトナム系米国人たちは、もともと北ベトナム支配下の共産主義社会を嫌って国外へ脱出してきた人がほとんどだった。だから統一ベトナムの新政権にも反感を抱き、米国がそのベトナム新政権に接近することには強く反対したのである。

恩讐を超えて「敵の敵は友」

 しかし歳月の流れと国際情勢の変化がそんな基本構図を徐々に変えていった。特に近年は、中国が南シナ海で軍事的な攻勢をかけ、ベトナムを威嚇するようになった。ベトナムは南シナ海での自国領土を次々に中国に奪われ、対抗措置を取るようになった。ベトナム領内の中国系企業の施設を破壊するというのも、そんな反中姿勢の1つの表れである。

 ベトナム政府は自国の軍事力を増強する一方、超大国の米国の抑止力をも頼りにするようになった。その背景には、米国の中国に対する牽制と非難があった。

 オバマ政権のチャック・ヘーゲル国防長官は、中国の南シナ海での石油掘削作業を「国際法違反の一方的で危険な軍事威嚇措置」として非難した。また、ジョン・ケリー国務長官は「中国のベトナムに対する行動は、東南アジア全域の平和と安定を侵食する」として、より激しく中国を糾弾した。「海洋紛争でこのように自国の権益を拡大しようとするのは極めて挑発的であり、危険だ」とも述べた。

 要するに、中国はベトナムと米国にとって共通の敵となってきたのだ。「敵の敵は友」という昔からの格言通りということだろう。

 ベトナムのグエン・タン・ズン首相は東南アジア諸国を訪れ、「中国の無法な海洋攻勢の脅威」を訴えた。また米国に対しても、中国の行動の無法ぶりを訴えている。米国もこれに応えて、ベトナムとの安全保障や軍事の結びつきを強めることを提唱する動きが出てきた。

ベトナムとの軍事的連携を訴える米国人専門家

 その実例が、オバマ政権にも近い東南アジア安全保障の専門家パトリック・クローニン氏が6月末に発表した政策提言である。

 クローニン氏は米国の歴代政権の高官として東アジアや東南アジアの安全保障政策を担当し現在、民間研究機関の「新アメリカ安全保障センター」のアジア太平洋安保担当部長を務める。同氏は中国の現在の南シナ海での行動について、「米国が参加して保持するアジアの安全保障を徐々に切り崩す軍事的威嚇行為であり、放置すれば米国の基本国益が害される」と述べた。

 そして、米国がベトナムとの軍事的な絆を築き、中国を抑止することを提案していた。その具体策は、以下のような5項目から成る。

(1)米国とベトナムは安全保障対話を強化して、中国の南シナ海での無法な行動に代償を払わせる新戦略を構築する。この新戦略は、両国が協力し、中国に対して直接的と間接的、軍事と非軍事、長期と短期のそれぞれ両面からの圧力や制裁を加えることを目的とする。この対話のためにベトナム政府は緊急に高官をワシントンに派遣する。

(2)米国とベトナムが共に参加する「拡散防止構想(PSI: 米国主導で2003年に発足した大量破壊兵器拡散防止の国際連携組織)」を利用して、米ベトナム両軍の合同演習や米軍部隊のベトナム派遣を進める。PSIの規範を使えば、両国の公式の合意を必要とせずにベトナムで米軍基地開設することができ、対中抑止策として即効性がある。

(3)南シナ海では、フィリピン、マレーシアも中国に威嚇されている。それらの国とベトナムが海洋安保協力を進めるための3国間対話を始めることを、米国は奨励する。米国は、ベトナムが日本、インド、オーストラリアからの自国海軍の警備艇や潜水艦の増強のための協力を得ることを支援する。特にベトナムのキロ級潜水艦6隻の配備を支援する。

(4)米国はこれまで保持してきたベトナムへの致死性兵器類の禁輸を解除する。米国はベトナム政府の人権弾圧への抗議の一環としてこの禁輸を実施したが、中国の軍事威嚇への対策として、禁輸の解除が必要となった。特に水雷や短距離巡航ミサイルはベトナムの抑止力を強化し、中国の軍事威嚇を抑える効果を発揮する。

(5)米国は、ベトナムが他の東南アジア諸国連合(ASEAN)加盟国と協力して、南シナ海での航行の自由や適切な行動規範のための規則を改めて作成するよう働きかける。これらの規則は拘束力を持つ行動綱領としてできるだけ早く採択されるべきである。国連海洋法の規則に基づく国際裁定もこの綱領に結び付けられるべきだ。

 以上の具体的な政策提言は、いずれもまず米国政府に向けられたものである

 米国側でのこうした動きに呼応するように、ベトナム側からも非常に切実な米国への同盟の求めが発表された。ベトナム首相の顧問を務めた学者、ツオン・ライ氏が「ニューヨーク・タイムズ」(7月13日付)に寄稿した「ベトナムの米国への遅すぎた同盟の呼びかけ」と題する論文である。この論文でライ氏は、冒頭で中国を「われわれの現在の敵」とはっきり記していた。 

 米国とベトナムとの間に、明らかに新しい絆が結ばれそうなのである。
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