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万里の鬼城と崩れ行く現代版ローマという夢(の本題に行く前に……)

推摩 一黙のブログ 2014年12月13日 11時00分

さて、前回から始めた来年以降の世界の……主に欧米や中国の行方を考えるシリーズですが、始める前にもう一回、雑多なお話をやらせてもらいたいと思います。

実はといいますと、前回の記事をUPした後、コメント欄の方で、グローバル経済と、そこに乗っかった新自由資本主義という問題や見方について、なかなかに白熱した濃い議論が交わされていましてね。

その議論へのコメントに加わろうとしたところ結構な長文になりそうでしたので、コメント欄でなく新たに記事として取り上げさせていただきたいと考えまして……

どうか皆様、お付き合い下さいせm(u_u)m

まずは本題に入る前に、「これは!」と思わされたalmanosさんと夢見る親父さまのそれぞれのコメントについて見ていただきたいと思います――

34. Re:すっかり悪者にされている新自由主義
>夢見る親父さん
新自由主義が悪者にされている面については「経済的に正しいか? 」ではなく「国家という枠内での社会の運営に有害か? 」という問題ではと思います。
恩恵は受けていてもそこがあるなら悪者にされるでしょう。
経済がグローバル化しても我々の社会は基本「国家とか地域」で動きます。
それが基礎になっているからシステムとして齟齬が出る。
で、グローバリズムは「無国籍な巨大な金とそれを運用する勢力」を産んでしまう。
国家のシステムから見れば「制御できない要素」です。

しかも、彼らによって運営に必要なリソースがそぎ取られていくとなれば尚更。

ですから、三橋氏なんかは「日本国としての経済システム」で論じていて、新自由主義者の考えは「世界という枠内でのシステム」論で前提が食い違っていると思います。

いかがですかね? で、恐らく中共や欧州の破綻は「世界」を吹き飛ばしてしまう。
そうなった時にどうなるか?
スイス銀行の信用というのはスイスという国が国策として保証していた面が大きい。
新自由主義というのは国家の利害関係と整合する限りにおいてしか許容されないのでしょう。
問題はそうなった時に「無国籍な金」の取り分が問題なるでしょうねぇ。
下手するとまとめて「破綻」していない日本に逃げ込んで面倒な事態になりそうですし。
almanos 2014-12-12 12:10:58

35. Re:Re:すっかり悪者にされている新自由主義
(前略)
経済はやや違います。
日本の企業も新自由主義的な国家の中で活動できることを願っている部分があります。 
この考えがいいとか言っているわけではありませんが、中国は国が産業を支配しているようなものです。

昔ありました、”三公社五現業”はご存知ですか、これは政府が抱えていた事業ですが、これらが民営化しました。
今の中国はこれ以上に国家が関わっている事業が多いとおもいます。
私たちは一方でこの中国的な国家資本主義を否定しているわけです。

>almanosさん
中国は中国経済を守る(共産党を守る)流れの経済機構です。
これは新自由主義の反対側の考えです。

私は日本がG7の中にいる限り、欧米との認識から逃れられないのと、お神輿を担ぎながらもこの新自由主義的な流れの方向を変えることができると思っているのです。

この新自由主義はあまりにも個人的な概念に差があります。
(中略)
新自由主義の原点には新古典経済がありますが、これは市場原理がベースになってます。
世の中には好きか嫌いか、得か損か、高いか安いかといった対立構造があります。
これは需要と供給という真逆の関係と同じです。
そのバランスで価格が決定します。

英語では”General equilibrium theory”といって一定のところに収斂・バランスが保たれる点です。

ハイエクとミルトン・フリードマンは同じような考えですが、 ハイエクは”Spontaneous order"という言葉を使ってます。

これは自然発生的な秩序といった意味と同時に”Free price system"という考えに立ってます。
価格は売り手と買い手の一致点で決まるという市場主義の考えです。

長くなってゴメンなさい。 

私が新自由主義者であるかどうか、個人的に考えてことはないです。
あまりにもこうした言葉で決めつけているところが好きではないです。

そのためにハイエクの言葉を引用したのですが、”自然発生的な秩序”で国が権限を持つと、こうした流れが阻害される、されてきた・・・こうした過去があるからです。 

中央銀行の独立も、政府の我儘が限定されるように考えたのが中央銀行の独立です。

例えば、軍事政権下であれば、戦争のために中央銀行を利用する場合があります。

今日”カンブリア宮殿”で大潟村の米作りの歴史を放送してました。
政府の減反政策であの八郎潟の干拓とその農家の戦いです。自殺者も出たほどです。 
農家の米を作る意志と政府の政策が対立したわけですが、戦後の食料不足で食管法が出来ましたが、米が余るようになると減反政策がとられます。

農家の生死は食管法で政府の管理下にあった為に農家と対立が起きます。
つまり、政府の政策が機能している場合はいいですが、時代が変わるとそうはいかなくなります。

国鉄と同じです。 

市場原理であれば常に市場の自然の法則で機能します。
こうした歴史的な流れがアダムスミスの時代からあったようです。

フランス語のレッセフェールは17世紀頃うまれた言葉のようです。

夢見る親父 2014-12-12 15:24:02

と、まあ、まずはお二人の興味深いやりとりをみていただきました

さて、それでなのですが、別に夢見る親父さまの視点、意見を否定する訳ではありませんが、私のグローバル自由資本主義への考え方や見方は、どちらかといいますとalmanosさん寄りですね。

ただ、グローバル自由資本主義=国境をまたいだ多国籍企業への見方としては、私は「組織論」の視点から見ています。

この「組織論」とは、堺屋太一氏が二十年近く前に論じた考え方で、堺屋氏は組織には大きく分けて二つの『顔』があると指摘しています。

その二つの顔――というか面とは「効率と成果のみを求める面」と「構成員の共同体でもあるという面」だそうです。

具体的には、まず一つ目が勝つための組織「効率重視、コストカットをひたすら求める」という面
もう一つが「組織の中の構成員の安定安心や利得を大きくしようとする共同体重視」の面

の二つです。
で、後者の究極の姿というか、行き着く先というのが共産主義というか、「実は最も成功した共産主義国は日本だったw」と皮肉られた終身雇用制が当たり前だったバブル前の日本です。

あの頃の日本は、会社企業は株主の持ち物である……というよりもそこで働き所属している従業員のモノでも同時にあり、企業は従業員=労働者に真摯でガムシャラな仕事人間となるよう求める代わりに、終身雇用制と福利厚生に責任を持ち、従業員本人だけでなくその家族の生活も含めて面倒を見、保証する! というモノでした。

この頃の日本が、日本企業が強かったハズですw

今の欧米風の能力主義や企業側のご都合主義の派遣契約労働(非正規)を使い潰すのと違って、株主や経営者の利益や、投資に対する安直な収益効率のみを見、重視するのと違って、株主にはもちろん配当が配られますが雀の涙で、その上、投資をしたからといってその会社・企業を好き勝手に株主ができる訳ではなく、株といえば、その企業が発展成長して大きくなってくれて株価が上がってくれるのを株主(投資家)は期待して口を出さない……というようなモノでした。

でもって、会社が収益を上げれば、会社の内部保留よりも株主への配当に回すよりも先に企業で働き属する、構成員の社員への給与UPや企業福利厚生に回されました。

あと、今の欧米のCEOがその半期ごとの業績によって巨額の報酬を受け取るような――リストラや人件費とコストの安い外国に工場を移転したりして目先の巨額のボーナスを得ようとするような企業経営者や重役はほとんどおらず、長らく日本では、どんなに景気のいい企業でも一般社員と社長の給与格差は10倍もありませんでした。

しかし、欧米では、これが平均化しても100倍以上に達するんですからねぇ┐( ̄ヘ ̄)┌

まあ、社長以下、役職肩書きを持つモノは給与が欧米ほど高くない代わりに交遊費やタクシー代名目で会社の経費が使えたりしましたが、普通の社員も会社の社員寮という形で安い家賃で生活できたり、大きな会社なら社員なら家族を連れて利用できる保養所があったりして、福利厚生や会社の経費などで必要ならば支援や役得がありましたから手取りの給料に差が無くても困らなかったんですがw

その代わりに社員には会社への忠誠心と帰属意識、そして仕事に対して犠牲を求められることもありましたが。

しかし、終身雇用制は、会社側は働き盛りの若い世代を安い給料(コスト)で使うことができ、社員従業員の方も新卒から20代30代の一番働き盛りで今で言う『成果給』や『年棒』で換算すればけっこうな額がもらえるハズでも若い内は安月給でも我慢し、その代わりに家庭を持ち子供もできて人生で一番お金が掛かる世代に入る頃には、仕事の経験を積んだものの若い頃ほど活躍できなくても年功序列で給与は上がって来ていますから生活や将来に(会社が順調な限り)心配も不安もなく役職に就いたり、若い社員を部下にして『経験』を武器に会社に貢献できました。

さて、先に「日本は実は最も成功した共産主義国なんじゃないか?」と皮肉られたコトがあったといいましたが、資本主義下ですが、まさに共産主義的なのが日本のかつての年功序列というモノでした。

それは先に紹介した話の数々を思い出していただければ納得するのでないでしょうか?

まず、共産主義(の理想の姿)とは何か? といいますと社会と企業活動の主体主役は資本家すなわち株主ではなく、その会社などの企業体に所属する構成員、社員・従業員のモノだ、生産手段とその業績によって上がる利潤を実際に働く労働者のモノとしてその役職や仕事によって公正公平に分配するというモノがあります。

あと、共産主義下では全て国有企業ですが、構成員の社員・労働者の福利厚生から医療保険等まで会社、企業が面倒を見る代わりに社員や労働者は真摯に仕事をし、会社に忠誠を誓う。

まあ、ザッとですがこんな感じでしょうかね?

ですが、皆様も知っての通り、ソ連を始めとして共産主義を取り入れた国は見事に失敗しました。

共産主義の考え方は以前にもこれは書きましたが『ある意味で究極の資本主義の姿――ただし最悪だが』と、言えるかも知れません。

なに共産党という一党独裁の下、企業や会社は国有化されるのですが――見方を変えれば究極の寡占に成功した資本家が企業経営・投資活動だけでなく法律の制定と執行の権力まで一手に握り、労働者を支配してしまうようなモノなのですから。

オマケに共産主義で顕著だったのが労働者の勤労意欲の無さです。

まあ、そりゃあそうでしょう。

共産主義の成果は平等主義だと、最低限ノルマをこなしてるだけのなまけものとその十倍も働いた者も報酬は一律同じなのですから┐( ̄ヘ ̄)┌

しかも仕事のノルマや量は重さとか、数で見られるので、重量で仕事量を評価されるなら例えば机をこしらえる工場なら無駄に大きく重い机を作り、逆に数で評価されるなら、手早く数をこなすために軽くて簡単に作れる机をひたすら作り……とギャグか冗談のような仕事っぷりだったというのですから!( ̄□ ̄;)

そんな感じですんで、共産主義国家では優秀な(とされる)官僚が計画経済の下、人当たりの必要な衣料は年これだけだろう。必要とされる家具はこの量……といった感じで決められ、そしてそのノルマを守るコトを命じられるまま、機械的に官僚の計画の下、モノを生産するのですから。

なので、冷戦が終わった後、旧ソ連に属していた国々の製造生産技術は無残なモノでした。

西側資本主義の国なら、市場原理と消費者の好みの下、市場に並んだ商品の売り上げが変わりますんで、消費者のニーズに合った、実際の需要に応じた商品が作られ店頭に並ぶことになります。

そしてその商品は消費者に、その好みや必要性によって大ヒットも、全く売れないという結果もありえますが、それゆえ生産者は消費者が購入意欲を発する多種多様な製品を作るコトになります。

そして、共産主義国家の生産現場との最大の違いは、商品が売れればその分、生産者の儲けになります。
ですが、逆に売れなければ倒産や儲けられない等、損をしてしまいます┐( ̄ヘ ̄)┌

その為、資本主義の企業では市場で売れる物を作ろうとマーケティングや製品の品質等、努力するコトになります。
その結果、資本主義社会ではドンドン生産能力と製品の質が常に向上して行くことになります。

この差がソ連が建国後90年と命脈が保てず崩壊した後、旧ソ連圏の共産主義国は東欧の国々も冷戦当時、東側で最高の技術を有しているといわれていた旧東ドイツですら、西側に通用する製品商品が一つも無かった――と、いう現実に愕然とすることになります。

さて、ですが西側資本主義諸国が経済的に繁栄していたか? というとハッキリいますが、今現在と同様、欧州諸国は不況や失業率の高さに苦しんでいました。

イギリスなど、第二次世界大戦後、『英国病』と揶揄される長い経済の低迷に苦しみ、サッチャー首相の時代に金融ビックバンと呼ばれる思い切ったロンドンを金融街に切り変える産業構造の改革を行い、その代わりに戦前のイギリスの主要産業だった造船や石炭産業は閉鎖の憂き目に遭うことになりました。

結局、ロンドンを金融街に作り変える試みと北海油田の発見という幸運によりイギリスはなんとか息を吹き返すのですが、戦前、世界を席巻した製造業は今も衰退の一途を辿るものです(´_`。)

アメリカも第二次世界大戦に勝利し、月に人を送りながらも70年代のベトナム戦争の敗退からウォーターゲート事件等のスキャンダルから自信を失いレーガン大統領の出現する80年代まで一時深刻な状態に陥りました。

ですが、そんな西側諸国の中で、ひとり目を見張るような高度経済成長を遂げた国が東洋の彼方にありました。

そう、いわずとも知れた“日本”です。

……文字通り、本土全土の主要な都市が焼け野原となり、海外に築いていた領土植民地を全て失い、そうした海外から帰還してきた日本人を受け入れて食糧難の飢えにも苦しんだ日本は、戦争が終わった頃、世界からは「一世紀先までかかっても復興していないだろう」と思われていたというのですよ?

それが、十年ほどの短期間で「もはや戦後ではない(1956年:後藤 譽之助)」と堂々と宣言し、続いて所得倍増計画と東京オリンピック、全国を網羅する高速道路網の建設に新幹線の成功と、高度成長時代に突入し、またたく間に欧州先進諸国を抜き去りアメリカに次ぐ世界第二位の経済大国に復活を遂げたのでした。

高度経済成長期初期の1960年の日本のGDPが約16兆円で、高度経済成長期末期の1969年の日本のGDPが約62兆円。
10年間、年率平均14%の経済成長を遂げた訳ですね。

その後、前回指摘しましたがバブル後も海外への進出、投資で、対外資産で800兆円以上、対外純資産でも325兆70億円という23年間連続で「世界一の債権国」の座を守り今現在も続いているのですよ?

そして原子炉の巨大な収納容器から炭素繊維まで日本でしか作れない&生産シェアの大部分を占める核心技術は沢山あるんですよ?

特殊鋼の鋼材に半導体原料等の資本財、そして製造・加工装置でも圧倒的な地位を築いています。

こうした成長と成功の原動力となったのが、まるで共産主義のような『会社(生産手段)は従業員(労働者)のモノ』として上から下まで一致団結して仕事に邁進するニッポン株式会社と皮肉られた勤勉さと向上心、そしてそういう環境を安心して与えた会社組織の共同体性……ともいえるでしょう。

もっとも残念な話ですが、今の日本は90年代のバブル、バブルの崩壊、その後の二十年近いデフレスパイラルを通して終身雇用制は壊れ、非正規が増え、そこに金融工学やグローバル自由資本主義の“短視観的な成果主義”や欧米式の“会社(企業)は投資家(大株主のモノ)”という考えと風潮が入って来ており、日本の戦後の成長と上から下まで一致団結してコトに当たる日本式資本主義とでも呼ぶべき文化が価値観が揺らいでいます。

2000年代初頭のライブドアやソフトバンクといった「企業乗っ取り(M&A)」の国内外の投資ファンドの跋扈によって日本でも「モノ言う株主」という考え方が定着してしまいましたが、次に触れる組織のもう一つの面、「組織は効率と目標達成(利益)の最大化を追求する為にある」という面が表に躍り出て持て囃されているのが、今問題となってるグローバル自由資本主義の方となるのでしょうね

ここからは次に「ひたすらに効率化と目的達成(利潤)の最大化を求める」組織の面という視点からグローバル自由資本主義というものを見ていきましょう。

さて、まずここで問題として指摘しておきたいのは、企業活動とは本来、需要であり市場である国や地域に住む人々の共同体に、求められる商品やサービスを提供することが目的だったハズではないのでしょうか?

ところが今のグローバル自由資本主義や多国籍企業というのは目的を果たすことで得られる対価=お金を、どれだけ効率よく集め儲けるコトができるかどうかにスリ替わってしまっており、社会や共同体の需要に応え、繁栄させるのでは無く、市場競争に勝ち、金儲けや利殖をどれだけ効率良く成し遂げるかが主眼になってしまい手段と目的を履き違えてしまっていると見ます┐( ̄ヘ ̄)┌

グローバル自由資本主義下で問題となっている格差の拡大等の問題の本質はまさにその点で、グローバル自由資本主義の考え方を、そのまま無条件で認めてしまえば、国という社会や共同体が疲弊し衰退しても……その結果、全体的な経済の利益のパイ自体が縮小していても、まったく構いもせず、ただ自分がパイの取り分を、どれだけ大きく多く得ることができるか? というゼロサムゲーム自体が目的と化してしまう事になりかねないのです。

そしてその結果は、これも前々から繰り返し言っていますが企業の本来の目的であるハズの「経済」=経世済民からはドンドン遠ざかってしまうコトになります。

ちなみにalmanosさんが簡潔に――
>新自由主義が悪者にされている面については「経済的に正しいか? 」ではなく「国家という枠内での社会の運営に有害か? 」という問題ではと思います。

――と、表現して下さっていますが、まさに社会を踏み台、犠牲にして平気で自己(企業)の収益のみの最大化を追求しようとする新自由主義者のやり口は、社会全体の“敵”であり、共同体の成長発展どころか安定維持すらも阻害する“害悪”となってしまっているのです。

しかもグローバル化の推進が企業の身勝手な利益優先の動きを加速させてしまっているのですから皮肉な話です。

今の世は、まだまだ、世界規模で自由グローバル資本主義による自由貿易推進の名の下、国境関税や規制の緩和が、とかく「正義」だとばかりにむやみに持ち上げられ、正当化されていますからねぇ。
しかし、その現実は国単位で地域社会の成長発展どころか維持発展すら危うくし、食い物とする『焼き畑農業式資本主義』とも称される真似が横行しするコトになってしまっていますからねぇ┐( ̄ヘ ̄)┌

『焼き畑農業式資本主義』と言われるのはグローバル化が推進した結果、例えば特定の地域社会や国で儲けることが難しくなればアッサリとその地域社会や国を切り捨て、投資や産業を他の儲けられそうな国や地域にサッサと移してしまうという企業の自己中心的な身勝手から来ています。

これが最近では資本家個人レベルでも浸透し、金持ちがそれまで居住していた国や地域の社会への貢献や税負担を嫌って、国籍から離脱し、もっと金持ちに有利に優遇する国に移住してしまう所まで行ってしまっています。

その事が何が悪いか? というと、中国社会を見ればよく判ると思います。

中国では、昔からその広い国土も相まって「犯罪を犯しても、省をまたいで逃げてしまえば無罪放免」という理不尽がまかり通って来ました。

結果、一族郎党、血縁しか信用できない社会となってしまい自分と自分が属する血族が成功し利得を得れさえすれば、他人を騙しても害しても構わない、むしろ騙される方が間抜けで悪いのだ――と、ばかりに偽物、混ぜ物が横行しその被害が死人が出るレベルにまで達しています。

それでもその地域に居ずらくなれば、他所の省などへ逃げ出し、また好き勝手をしようとする。

中国が中共の改革開放路線以来、急速に環境汚染や破壊が進み、河川の汚染や禿山の出現が広がっていますが、要するに目先の利益の為には公害対策や植林などの環境改善・保持のコストを支払うのは無駄という身勝手で自己本位のやり方がまかり通っていて、結果として地域社会に破滅的な損害を与えています。

汚染を垂れ流す工場は、樹を好き勝手に伐採し、禿山のまま知らん顔する輩はその結果、公害や砂漠化の進行、雨の多い地域では逆に保水力を失った山の崖崩れや洪水の発生がたびたび起こるようになっても無責任なままです。

日本人なら「孫の世代」まで先を見通し、植林や公害対策を行いますが中国ではまったく違います。

植林への考え方が特に顕著にその辺を表しており、普通植林という事業は樹が育ち再び伐採したりできるまで数十年から百年近く優に掛かります。

まさに植林した本人の息子どころか孫の代になって初めて利益になる――ようなモノですから、そんな先の話の為に投資する社会負担するなんて損だ、馬鹿のやる事だといって見向きもしません。

本当は、山や地域に伐採等で利用した分、植林で自然を守れば山や地域の環境保全や砂漠化を食いとめ、百年どころか千年先までその地域の社会を維持しうるのですから結果として大儲けなのですが。

所が、中国ではグローバル自由資本主義(者)がいう「目先の利益」が、それも個人や企業レベルの最大化効率化を求めるコトがまかり通っていますから、社会全体の利益とか貢献がスッポリ抜け落ちています。

結果、今居るその地域が砂漠化したり、公害の水質や土地の汚染が限界レベルに達したら、その原因を作った企業も人もサッサと他所に移ってしまえばいいとなります。

中国の歴史を見ていれば、西から北方から東へ南へ、森林や河川などの環境を食いつぶして移住するの繰り返しである事がすぐ判ります。

なにせ今現在砂漠化し不毛の大地と化している中国西部から北部の広大な地域も二千年から三千年前まで遡れば、元は緑豊かな森林地帯であり、象どころかワニまで生息する自然環境豊かな土地だった事がわかっています。

それが、次々に森林を伐採し、水を土地や山の保水力を失わせ砂漠化させ不毛な大地をあれだけ作りあげたのですから中国人という民族には驚き呆れます┐( ̄ヘ ̄)┌

そんな中国人と同じコトを、いえ、もっと大規模で急速な地域社会の破壊を「目先、短期間の利益を効率的に上げる」コトを目指す企業や投資家の自由資本主義は行っています。

経済的には、地域社会の中間所得階層を疲弊没落させ、社会を疲弊させ衰退させても一部の勝ち組の企業やそれに投資した一握りの金持ちが「今、豊かになれば」成功だというトンでもない価値観です。

そして、グローバル化がその無責任に拍車をかけています。

もし他の国へ地域への資本、ヒト、物の移動が難しければ、企業や金持ちといえど自分が居なければならない国や地域社会が荒廃すれば、被害を受け中長期的に破滅や破綻が待っていますから、普通なら『焼き畑農業式資本主義』と呼ばれるような身勝手なマネは、ある程度国や社会に被害や問題が出始めた時点で辞めるか、告発されて辞めさせられます。

また、企業や個人が儲けた富や利益を、税などの形で償還させられます。

所が、グローバル化が進み、他の国へ地域への資本、ヒト、物の移動が容易になりますと、企業も金持ちといった資本は、地域への責任や貢献負担をしようとせず、移動したり逃げ出してしまいます。

実際、欧州ではEU圏内だけでもフランスで金持ちへの課税負担を求めたところ、税率の低い他の欧州国や果てはロシアまでに移住したりする有名人や金持ちがいたり、多国籍企業が欧州EU圏内で多大な利益を上げながらも欧州外のタックスヘイブンと呼ばれる地域にワザと本拠地を置き欧州内への租税負担を負うことを回避しようとして問題になっています。

このように金持ちや世界的な企業が、税率の低い国に利益を集める「過度な節税」への対策を各国の法改正などで連携協力して、どう実効性を持たせるかが今、世界的な課題となっています┐( ̄ヘ ̄)┌

まあ、要するに「神の見えざる手」と嘯いて、企業や投資家・投資機関の自由にさせていれば、上手くいくなんてのは幻想というより“根本的に間違いだ”と私は考えます。

だからこそ19世紀に、現代に続く資本主義が立ち上がって来て以来、企業活動によって社会に被害を与えた場合には責任を取らせ、独占禁止法を制定して市場の寡占や談合によって不当に利益を貪るのを止めさせたり……と、様々な商法などの法律や、許認可等の設定で規制して来た歴史があるのですから。

あと、国境や関税も、他国、他地域からの輸出や国内市場への参入によって自国産業が潰され無いように、自国民や地域の社会の共同体を守り安定発展させる為にあるのですから。

このように欧州EUユーロやFTAにTPPなどの二国間、あるいは地域の複数の国同士でグローバル化を進めるために関税や規制、安全基準を下げさせたり無くしたりするコトを「グローバル自由主義信者」は――企業や投資家は奨めさせようと旗を振りますが、現実には完全自由化とかにはできず、関税や規制、安全基準等の緩和はその国その社会が許容できる範囲で、それも協定条約を結ぶ互いの譲歩や同意ができる範囲で収めようというところに結局、落ち着いています。

さて、まあ、しかし世の中には――グローバル化が、資本とヒトと物の移動の自由化が至上で最善だ! というグローバル自由資本主義者、企業の「都合のイイ主張にw」騙され自国より遥かに強力強大な米国や欧州相手に、どう考えても相手側にとって都合が良く有利な条件でFTAを結んでしまい、事実上『経済植民地』となってしまった愚かな半島国w が実際に存在していたりしますがw

こんなのは余程の馬鹿アホな例外でしょう。

TPPにしても、日本が五品目の農産物の保護と関税保持を始めとして、日本国内の安全基準を守ろうとしているように、アメリカは日本に関税撤廃や安全基準などの緩和を求めておきながらも、自国米国内の車産業や農畜産業を守る関税や業界ごとの補助金の制度の存続を認めろと言って来てますからねぇ┐( ̄ヘ ̄)┌

結局のところ、NYの「ウォール街を占拠せよ!」(Occupy Wall Street)デモが起こったのも、今の中東から北アフリカ地域の混乱紛争の元となったアラブの春も、アメリカ国内の茶会派(ティーパーティ)運動の盛り上がりも、グローバル自由資本主義の名の下、大企業や大金持ちの資本家といった勝ち組がさらに富をかき集め社会の格差が広がっているのに相応分の責任や社会的負担をしようとしない事への不満から起こったり盛り上がりましたからねぇ。

さて、長々と書いてきましたが、グローバル自由資本主義という企業や資本の、社会への責任貢献を果たさず――格差の極端な拡大や、企業としてその国で儲けた利益を相応分に雇用や納税で償還する責任を可能な限り回避して――ひたすらに株主やCEOといった一部の勝ち組、持っている上級層で儲けた利益を独占しようとする姿勢や、やり方は目に余り、国や社会といった共同体に損害を与え出しているので、その反発や反動が出始めています。

夢見る親父さまの言われる欧米的な自由競争を肯定する価値観――市場原理であれば常に市場の自然の法則で機能しますので”General equilibrium theory”といって一定のところに収斂・バランスが保たれるだろうという、価格は売り手と買い手の一致点で決まるという市場主義の考え方というのも決して間違っているとは思いません。

ですが、今現在の現実は「神の見えざる手」と嘯いて、企業や投資家・投資機関の自由にさせていれば、上手くいくなんてのは幻想というより“根本的に間違いだ”と言わざるをえないのですよねぇ……

むしろ「経済的に正しいか? 」ではなく「国家という枠内での社会の運営に有害か? 」という問題になってしまっていると言うalmanosさんの見方の方に、グローバル自由資本主義の功罪については傾かざるを得ません。

でもって、リーマンショックとサブプライムローンがキッカケで暴露されたCDSの不良債権問題と、欧州EUユーロ内のギリシャを始めとする国々の粉飾財政と欧州債務不安危機にも――実はグローバル自由資本主義がしでかし引き起こした金融工学というペテンが関係があったりするのですよねぇ……

そして中国の無茶苦茶強引なこの数年の国内公共投資も――保八と呼ばれる年8%成長を欧米への輸出で保てなくなった中国が4兆元(当時のレートで57兆円超)の巨大公共投資を、実際は4兆元をはるかに大きく超える乱脈な財政出動=公共投資を行うキッカケを作ったのもリーマンショックですんで、ある意味で今や2000兆円以上にふくれあがっていると噂される中国の地方債務と理財商品の不良債権を生み出させたのも実はグローバル自由資本主義がしでかした影響ともいえるのですよねぇ┐( ̄ヘ ̄)┌

そういう諸々を考えても、実はこのブログでこれから取り上げていこうとしている来年以降の世界の行方にもグローバル自由資本主義の問題は必ず着いて回るといえるのですよねぇ……

さて、前回の記事のコメントの議論や今回の記事を読んで皆様は、どう思われましたか?

またご意見ご感想をお待ちしております。
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