Entries

江戸時代の日本の生産力は、石高に直すと7500万石以上!? (日本国について)

 推摩 一黙のブログ  2015年01月09日 20時40分

☆人口も生産力も決して世界で小国ではなかったニッポン!

さて、皆様。
「日本は小さな国だ。資源も少なく、世界の端っこの小さな島国に過ぎない」……だ、なんて先生や親、あるいはどこかのお偉いさんの話とかで繰り返し聞かされたコトはありませんでしょうか?

実はこれは“間違い”です。

と、いいますのも、現時点でも世界186ヶ国中、日本は『10位』です!

いいですか? 10位ですよ?

186ヶ国も世界には大小の国が在りますが(2013年のランキングで)見ますと、トップ10に入っている実は世界でも有数の人口大国であります。

まあ、上位の5位までの国が(中国→インド→アメリカ→インドネシア→ブラジル)が二億を越える……特に上位二国が13億と12億越えっw という桁が一つ違うんでそれと見比べれば、日本が小さく見えますが、世界全体で見れば、人口という点でも日本はほとんどの国にとって見上げるような“大国”であったりしますw

それ以外でも、国土の面積ランキングでも186ヶ国中61位とまずまずの大きさですし、それどころかこれに『領海』を加えれば、日本は世界でも有数の海洋国家とも呼ばれるコトになります。

さて、そこで次に伝えたいのが、日本が小国で無かったのは、なにも近代に入ってからではなく、中世以降の世界においても日本という国は、人口、文化文明度に軍事力において昔から世界有数の大国であると共に、実はといいますと世界でも有数の金や銀、銅が採れる資源大国でもあったんですヨ?

コレに明治以降の近代に入りますと“石炭”が加わりますがw ともかく世間でいわれ教え込まされているような「日本は小さな島国」だの「小ニッポンw」だのという話は全然、間違っていますので勘違いしないよーにしなくてはなりませんネ┐( ̄ヘ ̄)┌

さて、そこでちょうど世界が産業革命に入る前の中世の18世紀までの主要国の人口規模を見比べて見ますと……まず昔から人口超大国の中国で一億!

あと、ほとんどの国は――18世紀~19世紀にかけて、中国の一億というのは別格として、英国で1600万人、フランス3000万人、ドイツ2500万人という感じでした。

開拓途上であったアメリカが530万人だったというのですから、それと同時期の日本の人口が3500万人だったと聞けば、中世の世界で、多すぎる中国を除けば、人口=国力といって過言ではなかったこの時代、日本は世界でも有数の大国だったといえるでしょう!

その上、江戸という百万を越える人口が集まり栄える世界有数の都市(ロンドン86万人、パリ54万人に当時栄えていたオスマントルコのイスタンブールでも57万人程度だった)を有し、しかも上下水道が整備されていたとうのですから驚きです!

さらに文明技術レベルでも、関ヶ原の頃には世界でも最先端の性能を誇った小銃を関ヶ原の戦場で5万丁以上集結させてドンパチやらかしたといい、さらに戦国末期の日本全体には50万丁(!)以上の銃が日本各地で保有されていたのだといいますw

同じ頃、日本に火縄銃を伝えた欧州全体の銃の数が30万丁に届くか届かないか? だったというんですから、これだけ取り上げ見ても日本は昔から決して軍事的にも小さな国ではなかったんです。

さて、では近代以前の国としての国力、いわば現代でいうGDPだと日本はどのくらいの大きさだったんでしょうか?

近代の産業革命による機械化と化学肥料、殺虫剤が生まれ使われるようになるまで、人口=その地域・国で養える人間の数と見て間違いはアリマセンでした。

つまり、先に上げたように産業革命以前まで、英国1000万人、ドイツ2500万人、フランス2800万人そして日本が3500万人という時代が長く続きましたんでそれぞれの国と地域で養える上限がその人口と=だったと考えて間違いはないでしょう。

しかし、主食として口に入る以外でも副食品や嗜好品や日常必需品として様々な商品作物なども同時に生産されていたり、流用されていましたので、そう考えればだいたい人口の倍! が当時の農耕地の生産力の上限だったと考えて間違いは無いのではないか? と言われています。

そしてそれを日本に当てはめた場合――日本の場合は石高といういい基準がありましたので、それで概算しますと3500万人が、開国して欧米の技術が入って来るまで人口の頭打ちだったコトを考えますとその倍として7000万~7500万石と見るのが妥当なんじゃないでしょうか?

これは明治の初期廃藩置県によって新たに“県”が置かれ、県の形で複数の藩だった地方地域が統合されたのですがその県への地域統合を決める際、どのような基準で決められたかご存知ですか?

実は、「明治の先達は都道府県をまとめるにあたって、一つの県等の大きさをだいたい200万石規模の経済規模になるように調整した」んだそーですw

この辺りの詳しい話と説明のその下りは『2014年5月9日にUPした“廃藩置県で「都道府県の大きさ」をどう“決めたか?”知っていますかw ”の記事』で詳しく書いてますんで興味がおありの方は覗いてみて下さいw。

さて、そして以下はその記事からの転載でもあるのですがw――

……で、ですので単純に計算しますと47(都道府県)×200万石で=9400万石――だいたい9000万石を越える国力を明治に、幕末の時点で日本は有していたとも言えます。

でもって、しかし実際の日本の国土での穀物生産高は7500万石くらいだったといわれています。

ですんで、日本全国津々浦々、商業活動がだいたい1500万石から2000万石規模の経済規模・利益を生み、そして江戸時代を通して人口はだいたい3500万人だったといいますから、4000万石くらいの米等の主食穀物生産とそれ以外の副食、惣菜や生糸、木綿、漆に煙草等の換金産業作物の生産高が3500万石程度の規模だった――んじゃないか? と見られています。

つまり、幕末明治に日本の農村を旅した外国人が、日本の農村の豊かさに目を見張りましたが、江戸250年の鎖国の世の中、ほぼ完全に自給自足で国を回していた日本は、当然のコトですが、衣食住に必要品の全てはそれぞれの農村や地域で自給自足でしたし、さらに生産能力のない江戸や大阪などに百万を数える都市市民、住人を養える余力余剰を生み出す生産力があったということにナリマスネーw

こうして見てみると、改めて幕末明治の日本が決して「小さな国」などではなく、経済的、社会的にも豊かな地盤があったからこそ、明治以降の飛雄発展があったのでしょうねw

そして、江戸時代末期ですら7500万石を数える穀物生産能力があったのですから、現代の中世の農業より遥かに効率が良く、品種改良も進んだ現代なら、単純に倍としても一億5000万石分の潜在的な穀物生産能力を日本の国土は持っているコトになりますナァw

まあ、乱暴な概算だとは自分でも思いますが、イザとなれば日本国内だけでも一億を数える日本の人口を食わせていけるんじゃないでしょうか?

……と、いうこの話は実は四回目? くらいになるハズなんですw

昔、三橋さんところのブログにコメント欄にも同じような話を書いたコトがありますし。

――と、まあ、今昔の世界の中での日本というモノが決して小さな国などでは無かった! というコトを話して来たワケですが、明治開国し一世紀半を超える時間と努力の末、現代日本は世界でも有数の経済大国と化しています!

それも中国や韓国のように促成即育の経済とは違い、先にも申しましたが、江戸時代までの7500万石規模の生産力とその富を鎖国した国内で上手に回して力を蓄えましたし、明治開国後は「富国強兵」を合言葉に欧米列強に追いつき追い越すことを目標に邁進し、戦争という悲劇もありましたが、150年以上の地道な蓄積もあって、日本という国は世界でも誰にも負けない国としての富と歴史の蓄積という意味で分厚く立派な背骨(バックボーン)を有しておりますw

そうして見れば、「日本に勝った勝った、日本を抜いた抜いた♪」と浮かれ騒ぐ中国や韓国の国家としての足腰の貧弱さや、背骨の薄っぺらさw が、日本の重厚な産業の足腰の強さや社会的資本の背骨の太さと見比べてみて、中韓この両国が「哀れ」にすら見えて来ますw

さて、そんな日本ですが、鎖国の眠りから醒め、明治に国を開き世界の荒波に乗り出してから、今日の世界でも有数の繁栄を遂げた今、今さら鎖国して、江戸の太平の眠りに閉じこもる事はできません。

「移民の制限」を、私はたびたび主張しますが、日本へ高学歴で高技能を持つ方や世界中の富豪が集まるのを実際は止める事は難しいでしょう。

と、いいますか日本の先を見ないアホな大企業や経団連の馬鹿ドモが「安く使い捨てれる」労働力として欲して海外の低学歴低技能でもできる労働力移民の日本への導入を図ったり、少子化によって外国人移民導入議論も執拗に続くでしょう!

しかし、私は「高学歴・高技能も富裕層も、単純労働者」も日本への“大量移民”させることを許すべきでは無い! と考えますね!

正直な話、日本で異分子(マイノリティ=少数派)が受け入れられるのもせいぜい人口の3%が限度でしょう。

これには面白い偶然、というか話があって――日本では宗教でも哲学でも外から来たモノ、極端なモノは1%しか受けれる者が出ない! という法則があるようなんです。

実際、日本における(純粋な)キリスト教徒は1%……多く見積もっても2%に届くかどうか? と言われていますし、同じく共産主義者も1%を越えるコトはなかったといいます。

在日も色々と日本国内で暴れ回り、悪い事をしてますが、帰化した者を含めても200万人を越えるかどうかだといいますから人口の2%に届くか届かないかです。

これから先、憂慮されるのは「中国人とイスラムの流入」ですが、おそらく日本の全人口との比率で3%を越えるまではドチラも受けれれるでしょう――日本の許容力としては┐( ̄ヘ ̄)┌

特にイスラムは、今の先進諸国で欧米と比べても「イスラムに対する偏見や蔑視、嫌悪が少ない」という意味と、日本特有の他者への気遣いというか、特に外国人への寛容、心配りも相まって「天国にいるようだw」と言わしめるほど居心地のイイ国になってます┐( ̄ヘ ̄)┌

と、いいますか、イスラム系の方に言わせますと「警察の取り締まり、調べでも日本は欧米と比べて公平公正で安心できる」というのですから、この先、日本に訪れる、定住したいと望むイスラム系(とはいってもアフリカ地域から中東にアジアまで広大w)が増えることは間違いないと思います。

まあ、その彼らが、中国人のように――中国人はたいていの国で中華街を作り、いわば他国の中に中国の飛び地を作り、経済力や教育レベルで劣るその国の上層階級に潜り込んで行くので嫌われますが――日本では中華街を造っても、その中で孤立せずまとまらず、地域の日本人と仲良く共存し、家族単位でも安心して日本全国に散らばって、その社会に溶け込み、『良き中国系日本人』としてニューカマー以外はすっかり日本社会に溶け込んでいますが、そのように日本社会の慣習や常識と折り合いを付けていってくれればいいんですが、そうでなく、欧州でのように移民先の国でも頑なに自分たちのやり方を守り押し通そうとすれば、それが許されるのは、許容されるのは……おそらく、先にも言いましたが人口比で3%を越えるまででしょう。

☆ムスリム(イスラム教)の本質は、日本と同じ弱者を助け「和」を大事にする心!?

まあ、イスラム教を無理矢理広めようとしたり、完全に中東とは気候環境が違うのに“戒律”だからと中東でのやり方を押し通そうとしなければ、3%を越えても日本の中に充分、受け入れられる余地はあるんですけどね┐( ̄ヘ ̄)┌

例えば、一年に一シーズンの日中のみの“断食(ラマダン)”実は、これはそのままクリスマスやハロウィンにカーニバルのサンバのように“祭事”として、イベント的な扱いで日本社会に充分受け入れれるんじゃないか? と考えます。

そもそもイスラムの教えの中でも「酒禁、豚厳禁、うろこの無いさかなNG……」の日本とは違う過酷な環境で「口にするのを避けた方が良い」とかの現地事情を宗教の戒律という形で禁じたのと違い、ラマダンは「富める者も貧する者も、男も女も老いも若きも日中の断食を行う事で、食に事欠く困窮する貧者への同情・共感を忘れないようにせよ」という戒めと言う意味での教えですから。

なので、「酒禁、豚禁」は飲酒すると汗が出やすくなるので中東の暑さによる熱中症にかかりやすくなるのを防ぐ為という部分が大きいですし、「豚食の禁止」も中東では食中毒を起こす危険が高いから禁じたのですし┐( ̄ヘ ̄)┌

ですが、日本ではドチラも大丈夫ですからネー。

……まあ、飲酒はヒトを酔わせ誤まった行動に走らせたりしますから、「飲酒禁止w」はそのまま続けてもいいですが……せめて酒類派遣製品はお目こぼしして欲しいw

だって、味醂とか下手したら味噌なんかも、イスラムの戒律に厳格に従ったらそれらを使った料理は口に出来ないコトになりますモノ(´_`。)

せっかくの日本の味、日本の料理や食のほとんどが楽しめないというのはもったいないですし、日本と中東の環境が違いすぎることを考えても、「インドの牛を神聖視」とはまた違いイスラムの『豚禁』は穢れたもの=食中毒を起こしやすいんで食べるな! という戒めの目的が主眼なんですから、そーいう恐れの無い日本では緩めてもいいと思うんです。

代わりにラマダンと共に女性が無駄に「肌を見せない」は、ファッション性で上手く日本でも流行るかも!?

あと、日本でも日傘が最近は女性の必須アイテムになってるように、オゾン層の破壊が進んで今はあんまり外出時に日光に肌を晒さない方がイイんで、そーいう意味でもw

あと、イスラム教で女性が身を可能な限り晒さず固める衣装を着るように進めるのは、「女性の貞操」よりもむしろ「性欲を抑えられない馬鹿な男から女性の身を守る為」という部分が大きいといいますし――本来のイスラム教の教えとしては。

ラマダンも、日が上り落ちるまで、断食し我慢する代わりに日が落ちたらご馳走でパーティw ですからねw

日本では休肝日や健康体調を調整する為に定期的に短い断食を行うなんてコトを、進める方やヤッテル方もいますんで、それの大規模なイベント版としてプロデュースすれば意外と日本人には受けるかも!?

よーするにキリスト教のハロインやクリスマスにバレンタイン、仏教神道のお盆や正月の初詣……どれも、別にキリスト教徒でも特定の宗派の仏教徒でも無くても参加して盛大に祝いますが、確かにイベント、お祭り化していますが、一応はキリスト教や仏教神道に敬意を払いますからねε=(。・д・。)

同じようにイスラム教の場合『ラマダン(断食)』が日本の健康療法好きと絡めてイベント化で受け入れが可能なんじゃないでしょうか?w

……ちなみについでにいいますと、イスラム教って原理原則を強要する頑迷な宗教……というイメージかも知れませんが、それはまったくの誤解でしょう!

と、いいますのも、イスラム教ってケッコウ男尊女卑のヒデー宗教だと誤解されてて、しかも本場でも勘違いしている馬・鹿な男がいますが、よくよく聞いてみますと、イスラム教の開祖のムハマンドは、「弱きを助け、強きをたしなめる」ように語っていますよ?

イスラム教の戒律も、基本的に社会的弱者――女子供に老人、病人を保護し助け、守る義務と責任を、男性に強い求めるようになっているといいますし。

たとえば有名な「妻は本妻の他に三人まで妻を持つ事ができる」というのも男性優位の一夫多妻では決してなく、この続きに「ただし、全員平等に愛せ(扱え)」と釘を刺してますが、これはイスラム教が生まれた当時、戦争やなんやかんやで未亡人や結婚できない女性が多かったんで、稼ぎの多い男はそーした困窮した女性を引き取り、愛情を与え養ってやれ! というのが教えの本当の意味というか主眼だったといいますし┐( ̄ヘ ̄)┌

他にも、上でも少し書きましたが「女性はなるだけ肌を露にしない服装を心がけよ!」というのも女性に貞操を強いるのではなく、「女性が綺麗な肌や美しい顔、豊かで魅惑的な髪を見せていると、邪な劣情を刺激された男が寄って来かねない」から身を慎みなさい――というのが本来の意味であり主眼だといいますし。

他にも、『女性はなるだけ家に居て過ごせ』というのも実際は、『外の用事(買い物)などは、男性がお使い行きなさい・行かせなさい。女性が不要に外をウロウロしていたら馬鹿な男に襲われかねないから』という、当時のイスラム地域の治安の悪さから女性を守るのが教えの意味合いとしては主眼だったといいますし。

そーやって見て行くと読んでいくと、イスラム教というのは男尊女卑ではなく、むしろその逆に『男卑女尊』の男は強く富を持つ者ほど、自制し、女子供や老人などの社会的弱者に尽くし守ってやらねばならない! いや守る責務があり常識だ! という宗教といえるのですよねー。

しかし、現実には、戒律の文言のその意味を採り違えたり、ワザと誤解して読んで、「女性は男(夫)の為に貞操を守れ!」とか「女は家のコトだけをしてればいいのであるから、家から出るな、学校にも行くな!」と男性優位の都合のいいように戒律が誤読され誤解されて利用されていますが……それこそ原理主義に多いんですが、本当のマハメットの真意を理解できていませんねー( ̄∩ ̄#

……と、いいますか、最近知ったんですがイスラム原理主義者としてアチコチで非道な行いしたり、テロったりしてる連中――そのほとんどが「コーランが読めない」んだそーですねぇ(´□`。)

おそらくこの話を聞いて「はぁ?」と思われた方が多いと思います。

ですが、実は本当で――

 神がかり状態のムハンマドの言葉を集めたイスラム教の聖典が「コーラン」です。

 この「コーラン」は、考えようによってはものすごい本です。

 たとえば仏教のお経やキリスト教の新約聖書は、ガウタマ=シッダールタやイエスの言葉がどれだけそのまま伝えられているか、という点から見ると、かなりあやふやなものです。
 しかも、ガウタマ=シッダールタやイエスは人間ですから、かれらの言葉が正確に書かれていても人間の言葉に過ぎない。

 ところが、「コーラン」は神の言葉そのものなのです。

 神がムハンマドの肉体を通じて語りかけたのだから。

 しかも、それをリアルタイムで聞いていた信者たちが、書き留めてまとめたものです。
 他の宗教の経典は、のちの時代の信者たちが教祖の言葉を解釈してまとめたもの。

 「コーラン」は神の言葉を解釈抜きで書き留めたもの。

 この違いはすごい。
 またまた、ムハンマドはおいしいところをとりましたね。

 ムハンマドはアラブ人ですから、アラビア語をしゃべりました。
 神がかり状態の時もアラビア語でしゃべったのです。
 ということは、神はアラビア語でしゃべったのです。
 
 神の言葉を人間が勝手に変えることはできません。
 だから、翻訳した「コーラン」はもう神の言葉ではない。

 日本でも本屋に行けば日本語訳の「コーラン」を売っていますが、正確には、これは「コーラン」ではありません。

 私たちが、イスラム教がどんなものか知るのにはそれで充分ですが、もし、入信するならアラビア語で誦まなくてはダメです。

――と、いうように、基本的に「コーラン」を他国の言葉に翻訳することは厳禁です。

な、もんですから、アラビア語圏国の国以外では、たいていの場合、聖書のように翻訳書は出回っておらず、むしろ日本のような翻訳した例が例外的なんだそーです。

……で、アルカイダとかタリバンとかISISとかのテロリスト連中は、元々貧しい国や社会階層の出だったり、紛争国で子供の頃から戦渦の中での生活だったりで、たいていの場合、母国語すらまともな教育を受けれていないヒトが多いといいます。

ましてやアラビア語国でなければアラビア語が読み書きできない者が多いのもいたしかたないでしょう。

ですんでそーいうタリバン兵とかはコーランを常に持ち、暇があれば開いて『見ている』ように見えても、あれは読んでいるのではなく、文字通り読めない文章が書かれた本のページを開き「眺めているダケ」なんだとか┐( ̄ヘ ̄)┌

無論、そんな無学な者だけではなくビンラディンのように高度な教育を受け修めている者もちゃんといます。

しかしそーいう連中は、ムハンマドの真意ではなく、自分たちの都合のいいようにコーランの中の言葉や詩の一節をつまみ食いし、「ムハンマドはこう言った」と言って、勝手な解釈と言葉の抜き取りでテロ活動へ無学な若者をけしかけたり、テロを正当化したり、女性を強制的に従わせたりするのに利用したりするんですから性質が悪い!

あと、コーランが、アラビア語がわからず読めない中身がわからない兵士とかの連中は、連中で、自分たちで勝手に又聞きのコーランの中身、戒律を勝手に解釈し「女性を好きに扱っていい」だの「女は家に居ればいいんだから、学校などに行かせなくて、教育など与えなくていい!」とか『きっとそのようにムハンマドも言っておられるに違いない!』と勝手に思い込み、タリバンやISISのように女子供や異教徒を奴隷にしたり人身売買したり、殺したり、平気でできるんです(-""-;)

まあ、私もまだ一度も「コーラン(日本語訳)」を読んだ事はないですが、いろんな話を聞くと、どー考えても今の原理主義者連中はムハンマドの教えから一番遠い所にいます。

コーランの真意を理解しようともせず、理解できず好き勝手しています。

そして、宗教とは「ヒトの世を、生活をより良く幸福にする」というのがイスラム教だろうがキリスト教だろうが仏教だろうが……皆、基本的には同じですから、イスラム教もさまざまなコトを戒律で禁止したり、ラマダンや一日五回の礼拝を強いてたりしますが、それは弱い者や出来ない厳しい状況の者にまでは強いていません。

むしろ、断食月(ラマダン中)でも、幼い幼児、老人に病人、妊娠中の婦女、旅行中の人に兵士はこの断食の義務の除外対象としています。

そりゃ、そうです、考えてみれば当たり前の話で、『ラマダン月に皆で断食を(日中のみ)するのは、食事にも事欠くような境遇の人がこの世に居るのだということを日中の断食の苦しみを体験し皆で共有する事で思い出し考えさせる事』なのですから、形骸的にただ断食をしていればイイ! というのは本来の意味を取り違えています┐( ̄ヘ ̄)┌

ですんで、幼い幼児、老人に病人、妊娠中の婦女といった弱者は無理に断食させて健康を害したり、死んでしまっては意味がありませんから「免除」ですし、兵士や旅行中の旅人は、昔は危険な任務や戦地への赴任、あるいはタダの旅でも危険や自然の厳しさに晒されるので、そういう場合に遅れを取らないように、教えより先に身と命を守る為に断食の義務が免除されます。

……と、いうように本来のイスラム教というのは柔軟かつ、弱者に温かい目を注ぎ守ろうとする――「他者への兄弟愛を奨める」キリスト教をさらに発展進化させたような「強きが弱きを助け、守れ」という社会愛、共同体への奉仕を奨める優しい宗教なんですよ?

ですからイスラム教五行の一つとされう『喜捨(ザカート)』を見ても、財産に余裕のあるムスリム(イスラーム信者)に対し、至高なるアッラーが命じられた義務の一つとして、その人の財産から一定比率の金銭や現物をザカートとして社会の福祉活動の為に差出負担するコトをもとめられるんですが、この『喜捨(ザカート)』を行う事で、その道徳的・物質的な効果は明らかです。

ザカートを施すことは、その人の財産に対するどん欲な気持ちを洗い清め、貧しい人に対する慈悲の心を育てます。

そしてザカートを受けることは、その人の心から金持ちに対する羨望と反感の情を和らげ、彼の心の中に親愛の情を生みます――と、施す方も施される方も互いを尊重し感謝すると共に、現実的に困窮している人々を救うのに役立ちますw

このようにムスリムは、金持ちであれ、貧しい者であれ、みな現世でどう生きるかを至高なるアッラーに試され諭されていると考え、互いにどう、より良い社会を協力して助け合って造っていくか? 求めていく宗教観だといえます。

財力のある者は寛大で慈善の気持ちを持ち、至高なるアッラーから授けられたものをムスリム兄弟に分け与える義務があり、貧しい者は忍耐し、他人を羨んだり嫉妬したりする心を抑えるよう努力する義務があります。

このようにイスラムでは、富の死蔵と無制限な蓄積を禁じていますが、しかし同時に富の強制的な平等分配も認めてはいません。

むしろイスラムは、よく読めば中庸を勧めているコトがよく判ります。

イスラムの教えに従えば、生活の手段や収入は合法的で正しいやり方で行われ、それによって得た利益は社会に正しく分配するようになる――というかするようにと説いています。

イスラムにおける富の社会への還元と分配は、ザカートとサダカというのだそうですが――

ザカート(喜捨)は義務であり

サダカ(礼拝)は自発的なもの

――を指すのだそうです。

ザカートが正しく行われるならば、社会の差別と貧困を抑制する大いなる力となり、他人に対して互いに愛と尊敬の心を持ち、他人の幸福に関心をもつ人びとの社会を作り上げてゆくだろう――と、いいます。

ですがさらに素晴らしい事に、ザカートを人に与えることは、優越感とは全く関係がありません。

それはサラート(礼拝)と同じく信仰に基づいた義務であり、ザカートを支払うことによって、その人はムスリムとしての行ないを果たしたことについて至高なるアッラーに感謝し、自分の罪の赦しを願って至高なるアッラーに祈らなければならないのとされていますからねぇw

イスラム教では、来世での人の運命を決定するものは現世での富や地位ではなく、その人の至高なるアッラーへの帰依の心、美しい品性および至高なるアッラーから授けられたものをいかに使うかにかかっているとされます。

この教えと考えの現実的な実現手段として、イスラムの経済原則が語られは、利息を取らず、富を正しく、そしてバランスよく分配することに心砕けと説きます。

まあ、日本の近江商人の三方よし(売り手よし 買い手よし 世間よし)を、イスラム喜捨による戒めと救済(富める者よし、貧者よし、世間よし!)というという形で実行してるとでもいうのでしょうか?w

そういう意味では、実はイスラム教というのは、自民族優性主義のユダヤに、そこから発展した他者への友愛を説くキリスト教からさらに一歩踏み出し考えを発展させた「社会・共同体への献身と、その救いを受ける者の感謝の気持ち」を奨める自分の所属する共同体全体の安定と発展と幸福を考え、私欲による財産権力の囲い込みを戒める宗教だといえます。

そういう意味では、本質的な部分で日本の“和”を大切にする社会観と共鳴する部分があるんじゃないでしょうか?

……ただ、現実の日本とイスラムの関係で問題なのが、イスラムの方が、本来の柔軟性、弱者を守り社会をより良くするする為の『手段』ではなく、イスラムの儀礼的な戒律を守る事を優先させる『手段を目的に』してしまい頑なになってしまっている点でしょう┐( ̄ヘ ̄)┌

いえ、イスラムがそれ以外の世界と衝突し摩擦を起こす最大の要因は、日本以外でも宗教の自分のやり方を見た目だけを拘って押し通そうとする強情さにあると言えますね(´・ω・`)

その代表例が「ハラール」でしょう。

イスラムの教えに乗っ取った食材や調理法で料理されているか?……まあ、そのコトは構わないんですが、あんまりにも杓子定規すぎて……ねぇ?

まあ、豚肉を使わないとか、使った調理器具は避けるとか、そーいうのはまだいいんですが、酒を酒を元にした調味料等まで禁じるのはなんかねぇ?

むしろ「酒は飲酒運転やケンカなど社会的害悪の元」と考えれば、世界中で禁止てもいいんじゃないか? と思うけど、酔っ払う恐れのない酒類調味料――味醂とか酢とかまで派生品だからと目くじらを立てるのはどうかと……ねぇ?w

まあ、日本に来たムスリムはたいてい「コンナ東ノ地の果テマデ、神サマ、見テナイヨw」と言って笑ってビール片手に豚骨ラーメンを美味しそうに食べるんだそーですがw

話を元に戻しますと、ムスリムの方々は、預言者ムハマンドがもし今、生きていたら、その真意であろう「形だけの見た目の教義執行を頑なに拘るよりも、今、生きてる社会、共同体に自分と他者がどうすれば共に栄え幸福になれるか考えなさい」と諭すんじゃないでしょうかね?

さて、今回も日本の国としての豊かさと、なんか予定外のムスリムの話になりましたがどうでしたでしょうか?

もちろん、いろんな意見がありますでしょうし、特に後半のムスリム、イスラム教の解釈については本文中にも書きましたが別にコーランを熟読したワケでもなくコレまでに得た表面的な知識や感想を元に語ってますんで間違ってる点もあるかもしれません。

その辺はご指摘、ご指南の方、お願いします。
スポンサーサイト
  • コメント : -
  • トラックバック : -

Appendix

最近の記事