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目覚めよ!なりすまし日本人(No.4)

 中韓を知り過ぎた男  2015年1月27日(火曜日)

前回よりの続き、「なりすまし日本人」に対する考察

何故ここまで日本人と朝鮮人の性格がちがってしまったのかを今回、歴史を検証しながら解き明かしていきたいと思います。

一つの例として「親から理不尽な暴力をふるわれた子供は、親になれば同じように自分の子供に対して暴力行為に及ぶ確率が高い」ということが一般的に言われています。いわゆる家庭環境のなせるわざです。

この家庭環境を国に置き換えれば日本と韓国の違いは歴然とします。
まさに「歴史は人をつくる」の言葉通り朝鮮のおぞましい歴史が朝鮮族の民族性を歪め、今日のような日本人の常識では考えられない異常性を身につけてしまったように思われます。

それでは朝鮮族を転落させた歴史の転換点とは、まず1番目は三国時代に新羅は外国である「唐」を引き入れて不意打ちによって高句麗と百済を滅亡させ自らは進んで唐の属国になってしまった、千年属国の始まりです

二番目は朝鮮族を地獄の底に引きずり込んだ凄惨をきわめた李氏朝鮮の成立です。三番目は戦後の李承晩時代です。

特に二番目の李朝は500年間にわたって支配者が徹底した悪政を行い、暴虐の限りを尽くした。人命も道徳も顧みることがありませんでした。民衆は生きるために虚言と、裏切り、卑怯、利己主義、事大主義をはびこらせた
それが生存するための条件でした。このような社会においては、犠牲心や公共心が育つはずもありません。

李朝の社会がどれほど。おぞましいものであったか、長編小説「無常」を書いた李光洙が李氏朝鮮の時代は「朝鮮族の民族性を歪め今日のような頽廃に陥れた大元凶」だと言っています。

李朝は日本が韓国を併合する1910年まで500年間も 凄惨きわまりない殺戮と道徳崩壊の時代が続きました。そのために朝鮮族の民度を極端にまで下げてしまった。

このように民度が下がったまま今日をむかえた韓国の政治・経済・社会・文化は世界の常識ではとても測れない、きわめて特異なものであって近代国家と呼びがたいものがあります。

たとえば民度の低さを象徴する最近の出来事と言えば加藤ソウル支局長を名誉毀損で訴え出国停止処分にしたことです。加藤氏の記事は朝鮮日報の記事をそのまま日本人向けに書いたにも関わらず朝鮮日報をとがめることなく加藤氏の記事だけ名誉毀損だとは、開いた口がふさがらない。

それだけでなく初公判の際に卵を投げつけ、その後、証人尋問中に、傍聴席に座っていた男性が立ち上がり「処罰しろ!」などと大声で叫び、公判が何度か中断する騒ぎ、まるで理屈の通らない小学生のレベルです。これは李朝時代に道徳もマナーも崩壊したまま今日を迎えた韓国の悲劇です。

それ以外に最近ではナッツリターンや船長が乗客より先に逃げ出したセウォル号沈没事故、事故後もデタラメな情報が次から次へと発信されて何が本当で、何が嘘かわからないほど様々な失態、不手際が相次いでいました。

朴槿恵大統領の告げ口外交も世界の常識では軽蔑の対象にしかなりません。
また長崎県対馬市から盗まれた仏像の返還問題、極めつけは捏造された「従軍慰安婦」の碑をアメリカ各都市に建てまくる非常識な韓国人たちです。
これらの行為は民度の低さをはっきり証明しています。

このように朝鮮族を野蛮で異常な世界に引きずり込んだ李朝は日本の江戸時代とほぼ同時期です。江戸300年と李朝500年を比べた時そのあまりの違いにさもありなんと納得してしまいます

江戸時代は社会ソフト、環境、衛生、教養など庶民のシステムのあらゆる面で当時の欧米よりはるかに進んでいました。元禄時代には既に貨幣経済が農村にも浸透し作物、魚、塩、綿織物、お酒、瀬戸物などの商品が流通し、家内工業が各地に勃興しています。

江戸の人口は120万人が暮らす世界一の大都市でした。当時のロンドン90万人、パリが60万人でした。江戸の治安を守るために、現在の警察に当たる与力、同心の組織が張り巡らせていました。テレビで放映された鬼平犯科帳の長谷川平蔵が別部隊の火付け盗賊を取り締まる長官になったのは1787年です。さしずめアメリカのFBI長官に該当します。

つまり江戸時代は法が支配する秩序正しい社会であり、庶民は、自由で豊かな生活を享受していました。当時の江戸は世界的にも珍しい「上下水道を完備した先進都市」でした。時代劇でもよく見る「井戸」は地下水ではなく工事を行って地下に水を引いて貯めた「上水道」です。

また江戸時代の学校には、武士階級の子弟のための藩校と、一般庶民の子弟のための寺子屋がありました。教育内容は儒教を基礎にして、道徳的人間を形成することが目的でした。

時代とともに習字、算術、医学、洋学、天文学、地誌などの科目が増えていきました。また師匠に対する礼儀作法や生活上の躾まで教えていました。
寺子屋は幕府や藩の押し付けでなく、庶民が自らの向上心から自然発生的に生まれています。

江戸において特筆すべきことは寺子屋の師匠は三人に一人が女性で、しかも生徒の比率は男100に対して女89でした。

日本が明治維新を成功させ、近代国家への転換を迅速に果たせることが出来たのも、世界一の教育制度が整っていたからです。

それに比べて李氏朝鮮は、権力の座にすわった者が、暴虐の限りを尽くし、法は権力者によって好き勝手に用いられ、国民を食い物にした略奪経済でした。

日本のほうは江戸時代を通じて、絢爛たる町人文化を開花させた。町人は支配階級であった武士より豊かな生活を営み自由な文化を創りだした。
たとえば歌舞伎、浮世絵版画、外食産業、伊勢参りや湯治が庶民の大きな娯楽となっていきました。

日本の五街道には飛脚が手紙を持って各都市を繋ぎ、発達した水上交通では特産品や農産物、工芸品などを運輸していました。

ところが李氏朝鮮は民衆に対する収奪が苛酷なため、豊かな町人文化が育つ素地が全くなかった。貨幣もない物々交換で、経済に活気が生まれることも商業が発達することもなかった

李朝末期の「李人植氏」は次のように書き残しています。
「賤民は両班に鞭打たれて、殺される。殺されても殴られても、不平を言えない。少しでも値打ちのある物を持っていれば両班が奪っていく。両班は自分の財産や妻や生命すら奪っていく」

当時のソウルは糞尿にまみれた不潔な土地で道義心と良識が麻痺し、人命も顧みることがありませんでした。

このように李朝はいかに人の道に深く背いた社会であったか、それに比べて江戸時代は教育と文化が今日の日本人の人格を作っていきました。しかも栄えていたのは江戸だけではなく、大坂や堺、京都も大いに栄えていました。

しかし李朝の歴史が人間性を消失させる地獄の様相を呈していたにもかかわらず、韓国の国定教科書は「李朝は極楽のような社会で、誰も彼もが豊かで楽しく暮らしていた」と国家ぐるみで過去の歴史を美化というより創作しまくっています。

日本のことを韓国の歴史教科書では「日本は貧しく文化も遅れた後進国であり朝鮮がいろいろ教えて上げたことで成長した国」と記述されています。
本当にどこまでもふざけた国です。

弥生時代に多くの朝鮮人が日本に渡来し日本人と混じっても、朝鮮半島で500年間も人命も道徳も顧みることがなかったおぞましい社会で育った朝鮮人と日本人とは性格が違ってくるのは当然のことです。

日本で生まれ育った「なりすまし日本人」たちは朝鮮本土で育った韓国人と同じように、韓国政府が都合よく作り上げた捏造歴史を信じてしまった故に日本国籍をとった日本人でありながら日本国を恨み害をなす存在になっていったのではないかと推察されます。

「なりすまし日本人」たちは韓国政府がでっち上げた歴史を一度見なおしてください、世界の歴史学界では韓国政府が作り上げたデタラメな歴史書をまったく相手にしていない事がつとに有名です。

韓国人の歴史歪曲捏造は余りにも酷く、目に余るものがあります。これが日韓の感情的なもつれの根本的な要因だと思われます。

「なりすまし日本人が」日本国を愛する真の日本人になるためには過去の歴史は避けて通れない道です。「なりすまし日本人」はどんなに聞きたくない韓国の歴史的事実であってもその事実に目を向け、そして立ち向かっていかなければならない、自らのアイデンティティを反日に頼る姿は、愚かであり滑稽であり、そして同時に哀れでしかありません。
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