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反日韓国よ、偽りの歴史を見なおせ!

中韓を知りすぎた男   2015年2月25日(水)

前回は、「当時朝鮮は独立など考えもしなかった。醜悪な中華帝国への忠誠を続け、中国が日本によって敗北し、無理やり独立させられても、中国依存を千年間も続けてきた結果、朝鮮民族は野良犬にはなりたくなかった。つまり一人歩きが出来なくなっていた。」と記述しました。

朝鮮を支配していた両班たちは、海の向こうの野蛮な国であり、自分たちより下位の国である日本が、大国である清に大勝するなど考えもしなかった。

そこで今度は依存症になっていた朝鮮は巨大なるロシア帝国に依存しようと画策します。日本は緊迫した世界情勢の中でいち早く朝鮮を開国させ独立させるべしで清国を排除したにも関わらず朝鮮はロシアの属国を希望します

もし朝鮮がロシアに支配されれば日本の国土防衛そのものが不可能になります。日本は遂にロシアとの戦争を決意します。当時7つの海を支配していたイギリスでさえロシアと戦って勝てるとは思っていなかったほどの大国です。

朝鮮の両班たちは、無力であったにもかかわらず、中華思想に凝り固まっていて、日本は自分より劣位の蛮族以外の何者でもいないという優越感で、日本を常に馬鹿にしていました。

日本が清国に勝ったのは、ただ単に運が良かっただけ、清国は欧米列強に侵食されて弱っていた、だから日本は勝てたが相手が世界一の大国ロシアでは日本は間違いなく消滅させられてしまうと彼らは確信していました。

ところが信じられない事に日本はロシアに大勝した。しかも世界一のバルチック艦隊をわずか一昼夜の戦いで海の藻屑にしてしまった。そのさい日本連合艦隊はほとんど無傷でした。

朝鮮は常に「日本は自分より劣位の蛮族である」という優越感で見下していたが、その国がこともあろうに世界一のロシアを粉砕してしまった。この時の衝撃が朝鮮人を狂わせ、未だに続く屈折した朝鮮脳を作り上げたと要因の一つと思われます。

日本がロシアに勝利した以上、朝鮮は日本が管理するのが当然だという考えが欧米列強の論理でした。結果日本は朝鮮を併合して保護国にしました。
しかし日本の初代の総理大臣である伊藤博文は、「朝鮮を併合しても莫大な出費を強いられるだけで、日本にはそのような出費に耐えられる国力はない」として朝鮮併合には徹底して反対していました。

ところが愚かなテロリスト安重根が1909年10月に伊藤博文を射殺します。
このことによって日本の世論が激昂、また、強力な併合反対派が消えたことにより、一気に朝鮮併合が進むことになります。

このテロリストの行動が結局のところ、朝鮮併合を進めた事になることを考えれば、安重根を英雄視し、義士などと呼んで祭り上げる韓国人の神経は愚かとしか言いようがありません。まさに朝鮮脳です

何故韓国人はテロリストを英雄にしたのか?いわゆる朝鮮には真の愛国的な英雄は存在しない作られた虚偽の英雄しか存在しません。それ故憎たらしい日本のトップである伊藤博文を殺害したテロリストである安重根を英雄に祭り上げたのです。

日韓併合によって朝鮮は本格的な近代化の道を歩き始めますが、その日本の功績よりも「劣位の蛮族である生意気な日本のトップを殺害した」という痛快感を優先して、捏造歴史を作ってきました。

朝鮮半島の歴史は新羅、百済、高句麗による三国時代がピークで当時、百済から王仁が来日して中国の「論語」と漢字を伝えたと言われています。

この文言をもって韓国の歴史教科書の中では「日本は貧しく文化も遅れた後進国であり、朝鮮がいろいろ教えてあげたことで成長した国」と記述されていますが、それは朝鮮が栄えていた三国時代の一時期で日本書紀にも高句麗、百済、新羅の三国から朝鮮族が肥沃な日本を目指して到来したと記されています。

その後の日本は608年から始まった遣隋使・遣唐使によって無数の漢籍を大陸から持ち帰り、それを読み込んで日本文化が中国文化の刺激を受け続けてきました。持ち帰った漢籍の中に論語や漢詩あり、決して朝鮮半島から論語が伝わったわけではありません。そして菅原道真の献策により894年に遣唐使が廃止されます。それは新羅が唐からの軍事介入を得て、百済高句麗を滅ぼしたからです。

日本は中国と絶縁し、20世紀になるまで中国とは国交は一度もありませんでした。唐に支配された朝鮮半島もその後モンゴルに支配され、明、清の千年属国になり日本との行き来は途絶えました。

一時期、9世紀に高麗によって朝鮮民族の復興がなり、仏教文化が興隆し文化が栄えたように見えましたが、13世紀にモンゴルがアジア大陸を席巻し恐ろしい残忍な蒙古軍を横目で見ていた高麗は武器を捨て、いち早く服属を願い出ます。

14世紀、モンゴルの元朝が内部分裂によって混乱します。そのすきを突いて明朝が元朝を倒します。モンゴルの圧力から開放された朝鮮の高麗も新羅の裏切りによって失った旧高句麗領の回復をするために軍勢を率いて進軍します。

ところがこともあろうに敵である明と戦うこと無く司令官の李成桂は軍を引き返してクーデターを起こします。

ここでも再び朝鮮は李成桂の外敵と通じた裏切りによって朝鮮は中国の属国に成り下がります。李成桂は1392年に李氏朝鮮を創建します。李朝は明を天使の国と仰いで、明に徹底的にへつらい、「朝鮮」という国名まで明に選んでもらっています。

そして朝鮮族が1000年以上にわたって尊んできた仏教を徹底的に弾圧し、中国の朱子学を国学として迎え入れます。その際仏像や、寺が破壊され僧侶や信者を殺害しました。

李朝は500年間にわたって国民を際限のないまでに苦しめ、残虐をほしいままにしました。李朝はその歴史を通じて、一度として法治社会であったためしはなかった、このようなおぞましい凄惨を極めた社会が日韓併合までつづき、朝鮮民族の精神を木端微塵に打ち砕きました。まさに500年にわたる業病でした。

この直しようのない業病が血流となって朝鮮民族の体内に流れ、屈折した朝鮮脳を作り上げました。朝鮮半島の韓国人も、日本に害をなす「なりすまし日本人」もこのような歴史を知らないまま韓国政府が都合よく作り上げた歴史教科書を信じています。

たとえば韓国の歴史教科書では、江戸時代に朝鮮の使者が訪問すると、江戸の野蛮な市民たちが「文化を教えてくれ!」と哀願したとして、韓国の子供たちに誇らしく伝えられ、日本を見下しています。

本当の江戸時代の日本は、学問・教育・文化・芸術に恵まれ、教育については都市部に寺子屋が普及し、就学率の高さは80%前後で当時群を抜いて世界一でした。江戸の人口は120万人で世界一、この大都市の治安を守るために、与力、同心の組織が張り巡らされていました。

つまり江戸時代は社会ソフト、環境、衛生、教養など庶民のシステムのあらゆる面で、当時の欧米より数段進み「世界有数の繁栄」を極めていました。

それに比べて韓国ソウルはイザベラ・バードの朝鮮紀行によれば「ソウルには芸術品が全くなく、公園もなければ見るべき催し物も劇場もない、旧跡も図書館も文献もなく、寺院もない。住民は主に迷路のような道の「地べた」で暮らしている。ソウルの小川は、黒くよどんだ水が排泄物や塵の間を悪臭を漂わせながらゆっくり流れている。そのお粗末さはじつに形容しがたい」と記述されています。

これが英国婦人が見た李氏朝鮮末期、つまり日本が統治する前の朝鮮の真実の姿でした。

害をなす「なりすまし日本人」がまともな人間として立ち直るためには過去の朝鮮の歴史はどうしても避けて通れない道です。であるなら「なりすまし日本人」はどんなに聞きたくない事実であってもその事実に目を向け、そして立ち向かってください。

在日の二世、三世たちは、日本という素晴らしい国で生きることが出来る幸運な人たちです。この日本を朝鮮国の悲しい歴史を背負った朝鮮脳で汚さないでください。 (この続きは次回にて)
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