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南京大虐殺の真実 

中韓を知りすぎた男     8月19日(水)

「そこまで言って委員会」17日分の放送を見ました。
そこでは「南京大虐殺」「従軍慰安婦」「731部隊」の検証をしていました。
全て納得できる内容でしたが、放送の関係で少し説明不足の感は否めません。そこで今日は南京大虐殺の虚構を暴きたいと思います。

1939年12月に日本軍は支那事変を終結させるために蒋介石の拠点である南京に侵攻しました。その前に南京侵攻を理解していただくために1937年7月7日の支那事変の発端となった盧溝橋事件から筆を進めてみます。

どの歴史書を見ても日中全面戦争は1937年7月7日の盧溝橋事件が発端だと書かれています。それも戦後左翼学者によって、日本軍が中国侵略を正当化するために日本の部隊に自ら発砲をして戦争のきっかけを作ったと書かれています。

ところが後年 中国共産党が日本軍と国民党軍(蒋介石)を戦わせるために両方に発砲したのだという真相を中国側から示されました。日本軍の規律から見て盧溝橋で日本側から国民党側に発砲した可能性は皆無です。

戦勝国が戦敗国を裁いた理不尽な東京裁判でさえも盧溝橋事件から支那事変に至る戦争は日本が始めたものではないとして、事変の開戦責任は日本にあるとはしていません。

このことをもってしても左翼学者たちが日本をいかにも残虐な侵略者として扱ってきたことがよくわかります。彼らが戦後、日本側が意図的に侵略を開始したと言い続けたことによって、日本国民は中国に対して負い目を感じて謝罪クセがついてしまいました。

日本の近現代史が進歩的文化人と称される左翼学者の偏向史観によって引き裂かれ、そして彼らは戦後の日本に害毒を流し続けてきました。

この事件は現地の日本軍も国民党軍にも腑に落ちない事件であって、共産党軍が仕掛けたワナだということが分かり、数日後には現地停戦が成立しています。

これで収まってしまえば共産党軍が意図している国民党軍と日本軍の戦争拡大には繋がっていきません。そこで7月26日に広安門事件を起こします。
それは日本軍が北京城内に帰ろうとして、広安門を通過中、中国側が通過半ばで門を閉じて、城外に残された部隊に一斉に銃撃を加えました。このような卑怯なことをすればどこの国でも戦争になります。そして日中全面戦争突入の決定的な事件は1937年7月29日の通州事件です。

通州は長城以南では最も安定した地域として多数の日本人が安心して暮らしていました。ところが、日本軍隊が盧溝橋事件で町を離れた留守に、本来日本の居留民を守るのが目的の中国保安隊3千人がいきなり日本の居留民に襲いかかり中国側の手によって260名全員が惨殺されました。これにより通州特務機関は全滅しました。

その惨状は目をおおわしめるほどの残虐ぶりでした。強姦され陰部にほうきを刺された女性の遺体、テーブルの上に並べられていた喫茶店の女子店員の生首、斬首後死姦された女性の遺体、腹から腸を取り出された遺体、針金で鼻輪を通された子供など、尋常ならざる殺害の状況は今も昔も中国人は獣そのものです。

通州事件のようなことになれば、全中国で多年事業を営んできた在留日本人が皆殺しにされます。日本は遂に、見通しのない戦争に入っていきました。

不可解なことに、戦後この残虐な通州事件に対する報道は左翼学者によって隠されて、歴史の闇に消えようとしています。

この通州事件が1937年の7月です。その年の12月に日本軍は支那事変を終結させるために蒋介石の拠点である南京へ侵攻しました。しかし蒋介石は、日本軍が攻めてきたことを知ると、一早く部下に任せて南京を逃げ出しています。

南京侵攻を戦後南京大虐殺という虚偽で戦後長く日本人を苦しめてきました。最近はいろんな資料や本が出て大虐殺はなかった、非道行為を行ったのはむしろ中国兵たちだという真実が明らかになってきました。

中国側がでっち上げた被害者30万人というような数字は、まさに荒唐無稽で、中国側の宣伝上の数字であることはいろんな資料から常識で分かります。

日本軍人は日清戦争、日露戦争、義和団の事件で世界中が認めたように軍記厳正で、敵に対して寛仁であり、模範とすべき武士道的軍隊です。

南京戦で日本軍は非常に人道的で、攻撃前に南京市内にいた民間人全員を,戦火が及ばないように、南京市内に設けられた「安全区」に集めた為に日本軍の攻撃で、安全区の民間人は誰一人死にませんでした。

その証拠に安全区のリーダーであったドイツ人、ジョン・ラーベは「日本軍が安全区を設けて民間人を傷つけなかったことを深く感謝いたします」(速記録210号) という感謝状を松井大将に手渡しています。

その速記録210号の中でマギー牧師は「安全区は難民の天国」、安全区国際委員会の書記長のスマイス博士(米)も、その調査報告書の中で「住民のほとんどはここに集まっていた、難民区内は1件の火災も無く平穏であった」と述べています。

ところが後年発見されたラーベの日記には、安全区内に毎日のように火事と強姦が続いていたという地獄絵が描かれています。しかしラーベの日記には、自分が書いた日本軍に対する「感謝の書簡」について一行も触れていません。
どちらが真実か一目瞭然です。

創作されたラーベの日記には、「局部に竹を突っ込まれた女の人の死体をそこら中で見かける。吐き気がして息苦しくなる」とあるが、強姦のあと「局部に竹を突っ込む」などという残虐性は、中国にあっても日本には絶対ない。
この尋常ならざる殺害の状況の描写は通州事件での中国兵の残虐ぶりとそっくりに記述されています。

またラーベの日記には「日本兵はモーゼル拳銃を持っていた」とありますが、当時日本軍にはモーゼル拳銃など一丁もありません。モーゼル拳銃は中国兵が持っていました。

戦後東京裁判でこのラーベの日記が証拠となり、有りもしない「南京大虐殺」がひとり歩きします。国際委員会が告発した日本軍の非行は全て伝聞,噂話、憶測でこれらを全て集めても、殺人49件、傷害44件、強姦361件などです。

この数は南京占領の12月13日から翌年2月9日までの南京における日本軍の非行を記録した国際委員会の総トータルです。

それにしても殺人は、わずか49件です。誰も見たものはおらず全て伝聞によって集めた記録においてすら、この低度です。

また南京占領後、日本軍の指揮のもとで南京の中国人団体が、死んだ中国兵の埋葬作業を行いました。彼らは埋葬した人々のリストを残していますが、その中に女性や子供の遺体はほとんど含まれていません。つまり民間人の犠牲者がほとんどいなかったことをこの資料は証拠づけています。

ところが南京占領が確定すると多くの中国兵は軍服を脱ぎ捨て、中国市民を殺して服を奪い 、民間人に化けて南京の安全区に逃げ込み、安全区内で強姦や略奪、殺人などを行いました。

そして民間人の服装で日本軍人を背後から攻撃(便衣隊)しました。その数数千人も居り、日本軍から多くの犠牲が出ました。そのために日本軍は彼らを見つけ出すために掃討作戦を行わなければなりませんでした。

民間人の格好をした中国兵を見つけ出すために、数万にも及ぶ安全区の住民の手を検べました。もし兵士ならば度重なる銃の発射でタコが出来ています。それだけでは間違いもありますので、南京市内に家族がいるかどうかを調べました。もし兵士ならば南京市内に家族はいません。

このようにして日本軍は兵士と市民を区別し、逮捕しました。もちろん人間のやることだから誤認逮捕もあったとしても、その数はわずかだと思われます。このように南京占領において日本軍によって殺された民間人はほとんどゼロに近いと言っても過言ではありません。

それでは何故南京大虐殺というオドロオドロシイ言葉が一人歩きしたのか?
アメリカのジャーナリストであるベイツが「日本軍による南京での市民虐殺」という虚偽を世界に広めたのです。

彼はアメリカの命令で蒋介石率いる中国国民党の顧問をしていました。彼の使命は「中国市民の悲惨」と「日本軍の残虐」を世界に広め、アメリカ世論を喚起させてアメリカが日本と戦争するための正義の旗を立てることでした。

しかしその他の良心あるジャーナリストたちは中国兵らの残虐な悪事の数々を記述しています。ティルマン・ダーディン記者は南京で日本軍を迎える中国軍の様子を「中国軍による焼き払いの狂宴」としてほとんどすべての建物に火が付けられ、多くの中国民間人が死んだと記述しています。

また南京のアメリカ領事館のジェームズ・エスビーが「日本軍入城前の最後の数日間に中国兵は略奪、強姦、殺人と狂わんばかりの狂態であった」と報告しています。

南京大虐殺が中国の捏造であることを証拠付ける資料を書き出せばきりがありません。そこで最後に確定的な証拠を書いてみます。

南京市の人口は、日本軍の南京への攻撃開始前に約20万人でした。20万人しかいない所で、どうやって30万人を殺せるのですか?しかも日本軍の南京占領後、南京市民の多くは平和が回復した南京に戻ってきて、1ヶ月後に人口は25万人に増えています。もし虐殺があったのなら、人々は日本占領下の南京に戻ってきたりするはずもありません。

当時の中国市民は自国民である中国兵を恐れ嫌っていました。日本兵のいるところが一番安全であると信頼していたのです。敗戦後日本軍が惜しまれながら去った、日本軍の後にどんな軍閥、野党軍団が来るかも知れず、日本軍が去るのを不安な気持ちで見送った中国市民の気持ちがわかります。

このように日本人の伝統は中国には100%もない遵法精神と規律があり、武士道が日本軍隊の精神的支えとなっていました。

ところが絶対許せないことに戦後の教育で、日本軍が中国で、暴虐、非道の限りを尽くしたという虚偽を左翼先生たちは子供たちに教えてきたのです。この先生たちは本当に日本人だろうか?

まだ中国や韓国のように自国を良く見せるために、数々の悪事を隠し、歴史を捏造するのは少しは理解できますが、日本のように良いことを隠し、全くしてもいない悪事の罪を着せるなど私には信じられないことです。

日本人でありながら何故反日になるのか?何故歴史を捻じ曲げて日本を非難し攻撃できるのか?また先生だけでなく捏造歴史の言立てを持って、自分の言論活動の基本方針として生計を維持している左翼学者たちは恥ずかしくないのだろうか?

安倍首相は「戦後70年談話」の中で、「私達の子や孫、そしてその先の世代の子供たちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」と言いました。
そのためにも我々日本人は中国や韓国、日本の左翼達が、日本軍人に罪をなすりつける大嘘と戦わなければいけません。

戦後70年、我が国の論壇を占拠し、日本の世論を間違った方向へ誘導してきた学者、評論家たちの国を売る人々の大罪は果てしなく重い。
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