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日本軍に罪をなすりつけた黄河決壊事件

中韓を知りすぎた男     8月26日(水)

日本の兵隊さんに覆い被せられた大嘘を正さないと、我々子孫の為に命を捨ててくださった父や祖父の魂が浮かばれません。そこで前回は中国によって捏造された南京大虐殺の大嘘に迫ってみました。

今回はその続きで戦後左翼によって歴史の彼方に追いやられている「黄河決壊事件」の真実に迫ってみます。

支那事変(日中戦争)は1937年7月の盧溝橋事件に始まり、広安門事件、通州事件・上海 事変・南京陥落(1937年12月)と続きますが、絶対に忘れてはならない事件として1938年「黄河決壊事件」があります。

黄河決壊事件とは、蒋介石が日本軍の進軍を阻止するため1938年6月11日夜、黄河の堤防を破壊、そのために4千の村が水没し、水死者100万人、その他の被害600万人という大惨事になりました。
堤防決壊直後、日本軍は堤防の修復作業を行っただけでなく、被災した民衆の救助と防疫作業を行いました。日本軍は、中国軍から虫けらのように扱われていた中国民衆を必死になって救済したのです。

中国国民党の通信社であった中央社は、「日本の空爆で黄河決壊」という偽情報を6月11日午前に発信し、6月13日には中国全土の各メディアが「日本軍の暴挙」として喧伝しましたがこの自作自演は外国記者に見破られています。その惨状を見た各国の記者は「道端には凍死者と餓死者が溢れ、飢えた人々は死体の肉をたべていた」と報じています。

日本軍は中国住民の救済、治安維持、戦災復興などに取り組みました。それまで軍隊とは匪賊にすぎないと思っていた中国民衆は驚き、日本軍を熱烈に歓迎しました。統率が取れ、略奪や悪事を働かず、民衆を救う軍隊というものを、中国人は初めて見たのです。

中国の軍隊というものは、古来から略奪と虐殺を行なう野党集団です。共産党軍も国民党軍も基本的にはルンペンの寄せ集めたような集団にすぎなかった。彼らが軍隊に入ったのは、占領地域で略奪、強姦が好き放題できるからです。

中国4千年の歴史は「人殺し文化」です。唐の黄巣の乱、明の李自成や張献忠の物語でも読めば、中国人の人殺しの文化様式を理解できます。
中国式は残忍で、頭に穴を開け、目をえぐり、鼻や耳をそぎ、皮をはぐなどのことが平気で出来る人達です。

南京大虐殺の記念館には、日本兵が人間の肝を食っている模型や銃剣で嬰児を串刺しにした日本軍の描写は、いずれも中国の戦争話によく出てくるもので、晋書の「呂隆」「呂光伝」や明史の「「張献忠伝」あたりをコピーしたものです。

日本軍の虐殺の記述は、事実に基づいたものでなく、中国歴代の王朝が交代するときに行われた虐殺の歴史から、引き写したものばかりです。

中国軍は中国民衆をいく先々で強奪し、大量殺害をしています。中国はこれらの残虐行為を全て日本軍のしわざと宣伝してきました。世界のマスコミも愚かな戦後の日本のマスコミも信じてしまった。これでは日本の兵隊さんは浮かばれません。

多くの満州・支那事変は中国の捏造や日本の進歩的文化人たちによって日本軍を侵略、略奪、虐殺の代名詞としてすり替えられ、いまなお非難され続けていますが、事実は全く逆です。

このような中国人の人間とは思えない残虐性を「魯迅」「林語堂」などが中国民族は根本的に「人間のくず」だと言っています。

支那事変は、日本が大陸に進んで侵略戦争を仕掛けたものでなく、中共軍が蒋介石軍と日本軍を戦わすために、次々に各地で日本人殺傷のゲリラ事件を起こし、その鎮圧のために、日本軍が大陸に進駐せざるを得なくなったからです。

もともとは中国大陸の内戦でした。ソ連をバックにした毛沢東率いる中共軍とアメリカの支援を受けている蒋介石の国民党軍の権力闘争でした。
常に劣勢であった毛沢東軍は蒋介石軍と日本軍を戦わして弱体化させ遂に蒋介石軍を台湾に追いやり勝利しました。

ということは9月3日の「抗日戦争勝利記念行事」は筋が通りません。毛沢東が作った現代中国は日本とはほとんど戦っていません「抗蒋介石戦争勝利記念行事」なら筋は通ります。その上日本軍も蒋介石軍には一度も敗退したことはありません。

アメリカは蔣介石を支援して日本と対決させ、そして日露戦争の復讐に燃えるソ連は中共軍のバックにつき日本を中国内戦に引きずり込みました。
これが支那事変の歴史的背景です。

我々日本人は隣に住んでいる中国人がいかに残忍で、また大嘘つきで自分たちの罪を平気で他人に擦りつける民族であること、そして日本人の理解をはるかに超えた野獣人であることを肝に銘じなければなりません。
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