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最古の兵法書を読んでわかった、日本が中国・韓国と相容れない理由

miyasanの寄り道 !2016-04-15 12:34

幼い頃から私達の心に染み付いている「ズルをして勝っても意味がない」という考え方ですが、この「常識」は日本独自のもの、と言うのは無料メルマガ『Japan on the Globe-国際派日本人養成講座』著者の伊勢雅臣さん。今回は、日本最古の兵書「闘戦経」について書かれた書籍を紐解きながら、日本に古来から受け継がれてきた「美学」について言及しています。

国柄探訪:日本武人の闘い方

日本最古の兵書が平安時代末期に出ていると知って驚いた。つい最近出版された斎藤孝著「日本人の闘い方 日本最古の兵書『闘戦経』に学ぶ」からである。

平安時代と言えば、藤原氏が摂関政治を行い、源氏物語などの女流文学が花開いた平和な貴族の時代というイメージが強い。そんな時代から兵法があったのか、と思ったのである。

しかし、考えてみれば、九州の地から大和に進出して建国した初代・神武天皇、九州と関東を平定した日本武尊(やまとたけるのみこと)など、皇室の先祖はなつき従う部族は受け入れつつ、抗(あらが)う部族は戦い従わせて、国家統合をなし遂げたのだった。

平安時代に入っても、東北地方を統合するために、坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が征夷大将軍として派遣され、いまだ耕作を知らなかった蝦夷たちに農業技術を教えつつ、抵抗する勢力は武力で帰順させた。

こうして見ると、我が国は武人たちの努力によって建国、発展し、その上で花開いたのが平安時代の貴族文化だった。とすれば、そういう武人たちの闘い方を説いた書物が平安時代にあってもおかしくはない。その武人たちの闘い方とはどのようなものだったか。

「武」は秩序を生み出す力

「闘戦経」の第1章はまさしく、我が国を形作った「武」のあり方について述べている。

私たち日本人の「武」というものは天地の初めからあるものである。その「武」の力によって天と地がわかれたのだ。それはまるで雛(ひな)が卵の殻を割るように自然なことであった。私たち日本人の「武」の道はすべての根元であり、いろいろな考え方の大元になるものである。

我が武なるものは天地の初めに在り、しかして一気に天地を両(わか)つ。雛の卵を割るがごとし。故に我が道は万物の根元、百家(ひゃっか)の権與(けんよ)なり。

「天と地がわかれる」とは、古事記の冒頭で、世界の最初は混沌としていたが、やがて天と地が別れて秩序が生まれてきた、と書いてるように、「秩序が生まれた」という意味である。

日本列島はかつて無数の部族があちこちに割拠していたが、それを1つの国家として統合し、秩序を生み出したのが「武」であった。解説者の斎藤孝氏は、こう説いている。

「武」という言葉は「矛(ほこ)」を「止める」という字からなっています。つまり「矛を収める」という意味も含んでいるのです。武によってすべてをやっつけてしまっては何もなくなってしまいます。武の力で混沌としたものに秩序を与えていくことが大事なことなのです。
p13

国家とは、人々が一緒に暮らしていくための「秩序」を支える存在だ。たとえば、湾岸戦争後のイラクでは国家が崩壊して、民衆を守る秩序が失われた。そこに多国籍軍の一環として自衛隊が進出し、荒廃した土地に住む人々のために飲料水を提供したり、学校を作ったりして、生活を支えた。

残存する武装勢力がロケット砲を打ち込んでくることもあったが、それで自衛隊が帰ってしまうことを恐れ、140名の現地人のデモ隊が自衛隊宿営地に詰めかけて、「日本の支援に感謝する」「帰らないで」と懇願した。

自衛隊の「武」が支える秩序がなければ、これらの人々は武装勢力の餌食になったであろう。「武」は秩序を生み出すもの、これが「闘戦経」の大前提である。

敵を欺く「孫子」の兵法は日本人のスタイルではない

「闘戦経」の著者の大江匡房(まさふさ)は、朝廷で「六韜」「三略」「孫子」などの中国の兵書の管理をしている兵法の大家の35代目であった。斎藤孝氏は冒頭で、「闘戦経」と「孫子」の関係について、こう述べている。

その当時は特に「孫子」が広く世に知れていましたが、大江匡房は「孫子」の説く「兵は詭道なり」つまり「戦いの基本は敵を欺くことにある」という兵法はどうしても日本人のスタイルではない、と考えたのです。

「戦いというのはただ勝てばいいのではない、ズルをして勝つのではなく、正々堂々と戦うべきである」と、中国ではなく日本の戦うスタイルを宣言しました、それが「闘戦経」なのです。

そうした思いを匡房は「闘戦経」を入れた函に金文字で書いています。

「『闘戦経』は『孫子』と表裏す。『孫子』は詭道を説くも、『闘戦経』は真鋭を説く、これ日本の国風なり」
p1

「武」が秩序を生み出す力であるとしたら、単に戦闘に勝てば良いというものではない。敵を欺いて勝ったとしても、その敵は恨みを抱き、いつか復讐してやろうと思うだろう。それでは真の平和にはつながらない。まさに中国大陸のように戦乱の世が続く。

「孫子」は戦闘に勝つ方法を教えた。「闘戦経」は世を治める道を教えている。そこに次元の違いがある。

「日本では真実をよしとする」

それでは「闘戦経」では、どのような闘い方を理想とするのか。匡房はこう説く。

中国の古い文献では相手を騙すことも1つの作戦としていいことだと言う。しかし日本では真実をよしとする。偽(いつわり)は所詮(しょせん)偽りにすぎない。鋭く真実であれば、やがてそれははっきりとした結果を生む。

漢の文は詭譎(きけつ)有り、倭(わ)の教は真鋭を説く。詭ならんか詭や。鋭なるかな鋭や。
p35

この一節を斎藤孝氏はこう解説する。

「闘戦経」では日本人の価値観を的確に捉えていて「どんな手を使っても勝つことをよしとするのではなく、正々堂々と戦うことがまず大切だ。何か汚い手を使って勝つよりも、負ける方がまだいい」といった潔(いさぎよ)さを求めるのです。千年近くも前に書かれた本に、現代にまで続く日本人の価値観が記されていることに驚きます。

例えばサッカーの国際試合などでは審判の見ていないところでズルをする外国の選手をよく見ます。わざと倒れて相手に反則の判定をとらせるなどということもよくあります。日本はそうしたずる賢さがないから勝てないんだと言われたこともありました。しかし、日本人にはそうしたことができないのです。

そして今は、日本チームはそれでいい、フェアプレーを貫いて正々堂々と闘おうではないかという、それが日本のスタイルになっています。高校野球もまさに正々堂々、そこに日本的教育があります。
p37

日韓サッカーワールドカップでの戦い方の違い

この一文から思い出されるのは、平成14(2002)年の日韓サッカーワールドカップである。日本チームは決勝進出したが1回戦で敗退したのに対し、韓国チームはイタリア、スペインと強豪を連破し、準決勝にまで進出して4位を得た。しかし、この両試合で、世界10大誤審に4つもランクインする韓国有利の誤審が出て、審判買収まで噂された。

やぶれたイタリア、スペインのみならず、第3国のマスコミまで以下のような報道をした。

・イギリス デイリーテレグラフ紙:茶番判定で汚れた韓国の奇跡
・アルゼンチン ラ・ナシオン紙:W杯を中止に
・オーストリア クリア紙:W杯に正義はなくなった

スポーツは正々堂々と戦ってこそ、勝っても負けても敵味方を超えた友情が花開く。
韓国と日本のサッカーの違いは、まさに「相手を騙すことも1つの作戦」と考えるか、あくまでも「真実をよしとする」か、という闘い方の違いであった。

黒田博樹投手の志

武を秩序を生み出す力と捉えると、どういう秩序を目指すのか、という志が問われる。この点について「闘戦経」はこう説く。

人の道を説く儒教は戦いには弱く、戦いの場では死ぬしかない。謀略ばかり練っている人は人から信用されず、いざという時は逃げるしかない。…策略ばかりで生きてきた人が名を残したりすることはない。

儒術(じゅじゅつ)は死し、謀略は逃る。…未だ謀士の骨を残すを見ず。
p70

「大事なことは志を持って一途に生きること、志士の魂を持つことです」と斎藤孝氏は解説する。その例として、黒田博樹投手がメジャーリーグで79勝もあげて、さらに年間20億円以上のオファーを受けながら、それを蹴って古巣の広島カープに戻ってきた逸話を挙げる。

その理由が、広島という町に自分を待ってくれている人たちがいる、その人たちのためにカープを優勝させたい、まだ第一線で活躍できるうちに日本に帰ってきて、自分が培ってきたものを若い選手に伝えたい。日本に帰るならカープしかない、というものでした。

広島ファンだけでなく、多くの人に「黒田は男だったなあ」と長く語り継がれることでしょう。まさに、黒田選手は目先の損得よりも自らの志を貫き、「骨を残した」のです。
p70

「手足の自由を失っても、気を失わず」

武人の一途な志を支えるのが「気」である。武人は志を遂げるために「気張って」いなければならない。気について「闘戦経」はこう説く。

気は形があるものから生まれるが、形がなくなっても残る。薬草は枯れた後もその気が宿り、体を癒やしてくれる。肉体が壊れていないのに、心が衰おとろえてしまうのは、天地の法則に則っていないということだ。

気なるものは容(かたち)を得て生じ、容を亡って存す。草枯るるも猶(なほ)疾(やまい)を癒(いや)す。四体未だ破れずして心まず衰ふるは、天地の則に非ざるなり。
p54

肉体は壊れても気力を失わなかった生き方として、斎藤孝氏は以下の例を挙げる。

例えば星野富弘(とみひろ)さんという画家がいます。もとは中学の体育の先生でしたが、クラブ活動の指導中に脊椎を損傷し手足の自由を失ってしまいます。しかし、そこで気力まで失ってしまうことはなく、口に筆をくわえて絵や文字を書き始め、今や自らの名前がついた美術館までできています。
p55

たとえ手足の自由を失っても、気力を失わず、志を遂げようとするのが、日本の武人の生き方である。

数千年も続いてきた「日本武人の生き方」を説いた書

「闘戦経」の説く武人の生き方を見ると、その理想は中世以降に武士が登場してからも、そのまま受け継がれていったことが判る。

後に武士の理想像とされたのは楠木正成だが、人々が仰いだのは戦いでの卓抜な機略もさることながら、あくまでも後醍醐天皇の理想に殉じ、最後は弟と「七生報国(七たび生まれ変わっても国に報じよう」と言い交わし、高笑いした後に差し違えて自刃した一途さだった。

身の栄達も、謀略による勝利も願わず、ひたすらに志を遂げんとする一途さは、幕末に多くの志士を振るい立たせた吉田松陰、明治時代の軍人としてもっとも敬愛された乃木希典将軍、さらには先の大戦の特攻兵にも受け継がれていく。

こうして見ると、我が国を創り護ってきたのは、まさにこうした武人たちの精神であることが判る。その「武」の精神は2,000年以上にわたって、日本人の心の奥底を流れてきたのである。

現代においても、黒田博樹投手や星野富弘氏のような生き方に我々が感銘を受けること自体が、我々の心の奥底に武人の精神が流れていることを示している。

「闘戦経」は「日本最古の兵書」というより、数千年も続いてきた「日本武人の生き方」を説いた書というべきであろう。それは現代社会においても、そのまま立派に通ずる生き方である。 文責:伊勢雅臣
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