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公職追放が戦後日本に及ぼした(サヨクの横行という)災禍

推摩 一黙のブログ 2016年05月11日 22時00分

前回の記事で『ポツダム宣言で“日本政府は”無条件降伏などしていない!』という“事実”を取り上げ紹介しました。
そして、最後に……
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さて、しかし、終戦後のGHQによる占領政策においてはまだ『東京裁判』と並ぶ……否!、それ以上に最大の“国際法違反の占領政策”がありました。
それは“公職追放令”です。

この“公職追放令”によって国家の中枢となるべき20万人以上の日本人が、戦争協力者という名前を冠せられ公職から追放されたのですが……その弊害は現代にも及び、日本を呪縛しています。

この“公職追放令”についての話は、改めまして、また次回お話したいと思います!
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と、書きました。

ですんで、今回は『公職追放令』について取り上げ、ご紹介したいと思います!

さて、戦後日本を占領し乗り込んで来たGHQは、『日本を軍事独裁の遅れた国家体制の国』と一方的に思い込み、かつ見下して「自分たちが日本に『民主主義』を教えてやるんだ」と意気込んでおりました。

……しかし、実際に日本に乗り込んだGHQが見たのは「戦前から、スデに公職選挙法が施行されており」戦時中ですら東條英機は海戦当時の最高責任者であったが、戦時中も議会が機能しており、戦時中、批判が高まると、当たり前のように権力の座から引きさがった。

1942年4月30日には戦時中にも関わらずキチンと選挙も行われました。

さて、そこでそーいう話をしていると「戦前戦中は普通選挙といっても女性に参政権は無かったじゃないか!」と得意げに言い出す馬鹿(サヨク)がいますが。

確かに1945年(昭和20)年の選挙法改正でようやく女性にも選挙権が与えられ、1946年(昭和21年)に男女平等の普通選挙が実施されましたが、GHQが参政権の賦与による日本婦人の解放を含む5大改革を指示したコトが、

「女性の参政への道を大きく前進させた」

コトは否定いたしません。

しかし、同時期の欧米諸国も男子のみの普通選挙というのは普通であり、日本が特に遅れているわけではありませんでした。

むしろ、GHQの中に巣食っていた“隠れ共産主義者”の社会政策の実験台に占領下の日本が成されていた結果、平和憲法(九条)も含めて「当時としては革新的、先進的な政策が日本で次々に導入された」といった方が正しいでしょう┐( ̄ヘ ̄)┌

ちなみにGHQの初期のメンバーには隠れ共産主義者が結構おり、後に追放されていますので、日本の共産主義化をもくろむ一派がGHQ内部にいたことは今では『公然の秘密』となっています。

そして、六年間の統治を通して、「実は日本は戦前から議会民主主義制が施行実施されていた欧米先進国と違わない国」であるコトを認識し、かつ朝鮮戦争を契機に『戦前の日本の行動は自衛戦争だった(マッカーサー談)』という所まで認識を改めるコトとなりました。

……が、そうやって「日本に対する偏見や誤解といった認識を改める」までに、GHQは戦後日本統治において大きな二つの大罪を、過ちを犯しました!

その一つ目が前回ご紹介した『東京裁判による復讐裁判』であり、もう一つが今回取り上げる“公職追放令”です

この『東京裁判』と並ぶ、そしてその最大の占領政策のである“公職追放令”ですが、この“公職追放令”によって国家の中枢となるべき20万人以上の日本人が、戦争協力者という名前を冠せられ公職から追放されるコトになってしまったのですが。

事実上、戦前、少しでも重要なポストに就いていた者であれば、戦後は公職についてはいけないという指令であり、これは実業界にも波及したが、最も悪い影響を受けたのは学界、言論界だった。

公職追放令は、占領軍民生局のホイットニー局長とケーディス次長が中心となり、その右腕だった外交官ハーバート・ノーマンらによって発せられたのですが、ホイットニーもケーディスも社会主義者(共産主義者)であったことが今では明らかになっている。

ハーバート・ノーマンにいたっては、後にコミンテルン(ソ連)の工作員であったことが判明し、裁判にかけられそうになって自殺した。

そんな連中が、公職追放令によって、戦前、少しでも筋の通ったことを言ったり、日本のことをよく言った歴史学者や法律学者、経済学者たちを一掃したのです。

同じ昭和20年(1945)10月22日、占領軍は「日本の教育制度の運営に関する覚書」を出し、10月30日には「教職員の調査、精選、資格決定に関する覚書」を発して、軍国主義者や極端な国家主義者、占領軍政策反対者等を教育事業から排除するように命じ、また現在および将来の教員の資格審査を行うよう命じた。

翌年5月7日には、「教職員の除去、就職禁止及復職等の件」がポツダム勅令として公布され、いわゆる「教職追放令」が行われています。

さらに占領軍は、幣原喜重郎内閣が計画していた戦後最初の総選挙の実施を延期させたうえで、1月4日に包括的な公職追放をすることにした。

すなわち(GHQにとって)「好ましくない人物の公職よりの除去に関する覚書」を発したのである。

・その覚書は追放すべき人物を、

A項 戦争犯罪人
B項 職業軍人
C項 極端な国家主義団体などの有力分子
D項 大政翼賛会・翼賛政治会・大日本政治会などの有力分子
E項 日本の膨張に関係した金融機関ならびに開発機関の役員
F項 占領地の行政長官など
G項 その他の軍国主義者および極端な国家主義者

――に分類した。

そして該当する人物は、中央・地方の官職と関係の深い特殊会社や団体などの役員、帝国議会議員とその候補者などになることを禁じたのである。

この影響によって、幣原内閣の大臣5人が辞任した。

そして、その年の4月に予定していた総選挙では、多くの議員が立候補できなかった。
さらに占領軍は一般的な措置だけでなく、政治家、官吏、教員などを名指しで追放するということも行っている。

その後も公職追放は拡大、強化されて、その範囲は地方政界、一般財界、言論界などへと、ますます広がっていった。

昭和22年(1947)には、有力会社、新聞社なども追放範囲に含め、追放された者が身代わりを立てるということも禁止された。

その結果、約20万6千人が公職追放の対象になった。

つまり公職追放令とは、敗戦でも何とか生き残った、戦前の重要なポストについていたというだけの人たちが、今こそ日本を復興させようとしたのを根こそぎ排除した政策だったのである。
当然のことながら、公職追放令が及ぼした影響は、A級戦犯と桁違いだった。

20万人以上が追放されたということは、その影響を周囲の人たちも受けているということである

(ちなみに、同じ過ちをアメリカは、半世紀後の湾岸戦争で、フセイン・イラク政権を倒し、旧バース党党員、フセイン政権下の官僚役人、警官、軍人などの“公職についていた人材"を『イラク版公職追放』して繰り返しています――その結果、今のイラン国内が「どーなっているかは見ての通り」┐( ̄ヘ ̄)┌)

財界人では松下幸之助も追放されている。

彼が「極端な国粋主義者」であるわけがない。
しかし松下電器産業は戦争中、すでに大きな会社だったので、軍の命令により木製飛行機を作っていた。
それを軍需産業だと言われて公職追放になったのだからムチャクチャである。

そして追放された有為の能力、志しある人たちは、公職、教職ばかりか、ものを書くのも許されないから、百姓をやるしかなかった。

ここで重要なのは学校、ジャーナリズムに対する公職追放の徹底だった

公職追放令の中心になった人は、ハーバード・ノーマンである。
戦前、帝国大学は「天皇の大学」だったから、左翼系の学者やコミンテルンに通じているような人たちは辞めさせられた(当然だw)。

しかし、この人たちが、敗戦日本における公職追放令の後、真っ先に戻ってきたのである。

つまり元々いた帝国大学教授の多くは公職追放になってしまったその空白を突いて、戦前ならば、天皇陛下の大学にふさわしくないと批判された人たち――戦前の左翼およびそのシンパが公職追放令の結果、空いた重要なポストを占めることになってしまった。

そして最悪だったのが、彼らが占めた地位は、大学教授やジャーナリストなど、長続きするような地位だったことであろう(怒

つまり、後に新しくできた大学の教授を排出するような日本の一流大学、旧帝国大学や一橋大学の総長・学長はこの時、軒並み左翼系に――東大、京大、一橋大など、日本の主要大学の総長、学部長クラスの多くが、占領軍の民生局による公職追放令によって空いた席にポストが与えられ居座られるコトになったのである!

こうして日本の大学社会は、公職追放令によって多くの教授たちを追放された挙句、完全にサヨク、共産主義者たちの手に握られてしまった。

こうして日本の主要大学のトップの多くはサヨクが居座り、以後もそれがずっと続くことになるのだが、それは同時に、彼らが教えた主要大学の卒業生は優秀だから、高級官僚になり、有力な新聞社や有力な出版社にもいっぱい入った。

また高校や中学校や小学校の教師もその系統の学者に教育されるコトになるのである。

その上、このような現象は、言論界でも大新聞社においても同様に起こった。

戦前、骨のある記事を書いたような人たちは皆、公職追放令によって切られてしまったのだ。

さて、ここまで読んだ皆様は、お気付きになっておられるであろう。

なぜ、朝日新聞や毎日新聞を始め、日本のマスコミ言論界が異様で異常なほど反日であり売国であり、そして親特亜・旧共産国礼賛体質なのか?


すべてはこの戦後、GHQ――内に潜むアメリカの社会主義者や共産主義の工作員によって進められた公職追放令という、日本社会の健全な保守、右翼勢力の徹底的な殲滅と追放、そしてその空いた社会の重要ポストの空席に、戦前、追放され弾圧されて来たサヨク、共産主義者たちが、のうのうと就いたからであります!

そして戦後、たくさんの大学で、そこに配属される教授たちの多くはサヨク、共産主義者系の者たちで「左翼総長」や丸山真男、大内兵衛といった有名アカ教授たちの息のかかった人たちだった。

そしてそういう連中がみな共産主義思想に同情・共感していた。
しかも、老教授が引退すると弟子が後を継ぎ、その弟子が引退するとそのまた弟子が残るという形で、左翼思想が再生産され、後々まで残ってしまった。

そういう教授たちに育てられたものだから、戦後日本は一挙に左翼的な社会になってしまった。

そしてそうしたサヨク色に染められた大学教授たちが国費で高額な給料で養われていながら国家転覆の革命運動をリードしていたのだ。

一方、真実を知る多くの人々も、心機一転、一所懸命働いて祖国復興を目指そうという時に、職場から追放されてはかなわない……こうして、皆が口をつぐんでしまった。

このように今、進歩的だとかサヨク的だと言われている自称知識人たちは皆、敗戦利得者とその弟子たちなのである。

だが、やがて公職追放令はどんどん緩んでいくコトになります。

特に朝鮮戦争が起こると、東京裁判における日本の弁護団の「東アジアの共産化を避けようとした」という言い分が正しかったということになり、逆に、共産党幹部は追放せよということになった。

実に滑稽な話でありますが、同時期に米国本国ではマッカシーの“赤狩り”が嵐の最高潮を迎えており、戦前からアメリカ政府中枢にまで食い込んでいた共産主義者とソ連の手先、工作員が多くいた事実が発覚し、同時に日本でもGHQ内に巣食っていた多くの社会主義者や共産主義者のアメリカ人が駆除されていきました。

そして、マッカーサーが日本を離れた後はリッジウェー中将が最高司令官に就任し、害悪でしかなかった公職追放令はその効力を急速に失っていくのである。

リッジウェーは、占領軍の指令の実施にあたって制定された占領下諸法令の再審査の権限を日本政府に与えるという声明を出し、すぐに追放の解除が始まった。

最終的にはサンフランシスコ講和条約で日本が独立したので、追放令は廃止されたのでありましたが、時、すでに遅く、アカの教授連中とその弟子たちが、アカデミズムやマスコミ界の牙城に君臨し、教壇の上から、またマスコミによって「南京大虐殺」や「従軍慰安婦」などのデマが広まる素地を――戦後自虐史観が日本に蔓延る土壌を作ってしまったのです

さて、ここで話を同じく“公職追放令”によって徹底した弾圧、追放の憂き目を見た軍官僚に戻したいと思います。

戦後、政界や財界、学会・教育界にマスコミと同様に、日本の軍事関連も人材的に壊滅に近い状態に陥りました。

否――そもそも、武装解除させられ軍隊軍備を持つことを事実上、禁止されたのですから、軍という組織そのモノが解体されたといって過言では無いでしょう。

もちろんそんなコトになれば日本という国は無防備になります。

実際に、日本国内で朝鮮進駐軍を自称する朝鮮人達が旧日本軍の武器庫を襲撃して武装し、日本が軍隊を奪われ無防備になっているコトをイイコトに好き勝手やらかしました

もっとも、最終的には日本のヤクザと共闘した警察と、なにより戦車まで動員したアメリカ軍によって鎮圧されていますが、終戦後、数年間、日本が軍隊も無く無防備な状態に置かれたコトは“事実”です。

世界で急速に冷戦の黒雲が立ち込めて行く中、北ではソ連が蠢動し、西では国民党軍を台湾に追いやった中共が『沖縄、九州の割譲』を要求し、韓国の李承晩にいたっては『対馬と九州北部の割譲』を図々しくも同じく要求してくる有様でした。

しかし、日本を統治していたGHQ=アメリカがこれらの理不尽な要求をガンとして跳ね除け、いわばアメリカ軍が無防備な日本を守っている状態だったのです。

さて、しかし実はといいますとアメリカは最初、それで良い、充分だと考えていたのです!?

太平洋戦争での日本軍の錬度、士気――そして何よりも恐ろしさを痛感していたアメリカは、『日本を武装解除し永劫に軍隊など持たせない』と考えていたというのです!

その代わりに米軍が日本防衛に常駐し、その責任を負う――これは冗談でもなんでもなく、その為に日本が再軍備を持つ余地も無いように、日本の産業も制限し、軽工業と農業以外は禁止させて無害な農業国に変えてしまおうと占領当初のアメリカは考えていたといいますからムチャクチャです!

……ムチャクチャですが、それだけ戦前、戦後直後のアメリカが、戦前、日本が担っていた極東の防共の防波堤という責務とその負担の大きさを分っていなかった証左でしょう┐( ̄ヘ ̄)┌

しかし、もちろんのコト、その間違いにアメリカはすぐに痛感し気付くことになります。

特に大きな転機はやはり朝鮮戦争でしょう


後にマッカーサーが議会で「戦前の日本の大陸での行動は、当然、かつ正当なモノであった」と言い切り証言しているように、ソ連と中共という脅威を前にしてアメリカは考えを改めます。

そして朝鮮戦争を機に、日本の再軍備と共に、それまで禁じていた工業、重工業産業の復興を許可するのです

そして同時に“公職追放令”によって追放していた旧日本帝国軍人に、追放令の解除と再召集が行われます。

その後、警察予備隊を経て自衛隊へと日本の再軍備が進むというのは皆様のご存知の通りですが、実はと言いますと日本の自衛隊は、帝国日本軍の系統を継承しつつもその反省に立って再結成されてます


まず空自――空軍は戦前、日本の全土主要都市が爆撃を受け、二度の原爆投下という憂き目を見たことから、日本全土を何重にもカバーするレーダー警戒網を中心とする防空体制重視で最初から創られています。

海自も同様に戦前の海上補給・航路保護軽視を反省して、徹底した対潜能力と海上を渡河してくる敵勢力の迎撃と共に、日米安保で米空母艦隊との共同作戦を想定して艦隊防御能力を高めるコトを主眼に置いています。

陸自は……戦前の陸軍の血を濃く引いていますが、同じく戦前の反省から機甲師団兵力の充足と、災害の多い国土という性格から救難救援能力を高めています。

まあ、なんにしても、自衛隊を縛る“九条”と、事実上、日米安保を前提にアメリカ軍との共同作戦――というと聞こえはいいですが、実質的に米軍の補完補助戦力と化しているのは、戦後直後のアメリカが日本を非武装国にする代わりにその防衛に責任を持つ――持てると勘違いしていたコトが出発点となっていると言っていいでしょう。

そもそも現日本憲法が成立された当時の日本はGHQの占領支配下にあり、しかも本日紹介して来た通り“公職追放令”が大手を振って威力を発揮していた時期でしたからね~。

公職追放令があるというコトは――なにせ名指しで追放されるのだから、立候補する資格のある議員などは皆、震えあがった。
仮に立候補しても、いつ、誰が追放の指名をされるかわからない。

皆臆病になってしまった。
このような日本が腰ぬけになった状態の中で、新憲法を作ることを命じられ、教育勅語が廃止て、こんな状態で日本が自主的な憲法を作れるわけがない。

ですので、最低でも改憲すべき所は改憲――理想を言うならばもう一度15年かけて国民的議論の下、新憲法を制定すべきではないか? と考えます。

15年――といったのは、明治時代の大日本帝国憲法の草案から制定まで先人たちはそのくらい時間をかけていますんで、日本の、今の時代に即した新憲法を創るにしても最低限同じくらいの時間が必要だろうと思いますんで。

そして、戦前の帝国憲法とも、戦後、GHQ(と、その内部に巣食っていた米国の進歩的社会主義者達)によっていわば押し付けられた、当時としては実験的で冒険的で革新的で理想的過ぎる現憲法とも、似ているかまったく違うかは議論に任せるにして、今の時代とそしてこれから先の国家百年の計を考えて日本という国の国土、風土、歴史、民族性に合った新憲法を創るベキでしょう。

……もっとも、その前に日本社会にはせねばならぬ大掃除がありますがっ!

それは日本の学会・教育界にマスコミ、そして官僚と法曹界に根を広げ蔓延った敗戦利得者とその弟子たち――すなわち戦後の“公職追放令”で日本の学会・教育界にマスコミに空いた穴に潜り込んで、のうのうと偉そうに権威権力の座に居座る共産主義や社会主義の反日売国サヨクの連中のコトです!(怒

コメンテーターw とかと呼ばれてTVなどで害毒のような売国反日のコメントをしたり顔で垂れ流す進歩的知識人の大学教授サマやら専門家やらや、そういった連中に迎合揶揄する軽薄なキャスターとかアナウンサーとか言う連中をどーにかしなければなりませんよね!



日本では現代史――特に終戦直後から戦後にどのような事が起き、どのような社会改革や社会構造の変化があったか、教えません。

特に終戦後十年のアメリカ統治時代のサヨクの台頭と、“公職追放令”や“東京裁判”などの圧倒的な理不尽な力による弾圧・圧力に耐えながらできうる限りの抵抗を行った人々の話は、半ば封印されタブーのごとく扱われ、世の中には知られていません。

……まあ、今日も偉そうに色々と書いて来た私自身、表面的な事象や事件、そして大まかな流れしか掴んでいませんが。

日本の憲法が戦後半世紀以上、一文字も改定されていない硬質憲法だといいますが、逆を言えば半世紀前、創られた当時では時代を先取りしすぎていた憲法で、そのおかげで改定しなくてもそれほど齟齬も困ることも無かった――とも、取りようによっては言えるでしょうw

しかし九条を始め、半世紀以上前の当時の政治外交状況から色々な関係者関係国の思惑で歪められ、入れられた「いつの地代であろうとも非常識かつ非合理で非現実的」な条文部分があります。

改定にしろ、新憲法制定にしろ、そういう点をシッカリと見据え議論して、今の憲法は変えるベキでしょう。

……まあ、その前にせねばならぬ大掃除が私達日本社会にはあると思いますが。

さて、今日の議題、お話、皆様は聞いてみていかがでしたでしょうか?

私は、『今の九条を始めとする現行憲法は日本に“主権が無い時”に押し付けられた憲法』ですから、今の憲法を“部分的に変える”のではなく、「現行憲法は完全に無効を宣言、廃止して明治憲法に一時戻すベキ」だと考えます!

だ・だ・し、「新しい憲法ができ、それに基づいて民法や刑法等々の法律が成立するまでは現在の法律は有効とする」としなくてはなりませんが(苦笑

そうしないと総理に、

「いきなり現行憲法の無効を宣言、廃止して明治憲法に戻してもらった後、明治憲法を“現代に合うように”憲法改定、条文の追加を国民的議論と国会審議の下行い、新日本新憲法が出来る」

まで、日本社会が無法状態になってしまうからです(苦笑

いずれにしても、現行憲法は『日本の実情や、国家としての当たり前の権利や権限を“無視し・制限する”目的で押し付けられた「占領憲法」であり、九条を始めとしてその実害の大きさは明らかです』から。

一方で、明治憲法は、百年も前に作られたといっても、『15年の準備期間、歳月をかけて』日本の歴史や国体、社会の風習習慣を鑑みて作られた日本の憲法です。

無論、明治の時代とは世の中は変わりましたから、現行の法律との整合性を合わせる為にも『憲法の条文の改正、追加』が必要なのはいうまでもアリマセン。

……が、現行のGHQ憲法も実はといいますと、「共産主義者の社会実験的な作為して入れられた条文」以外は、『基本的に明治憲法をベースに』作られています。

ならば、新しく作り直す新日本憲法も、『明治憲法をベースに』現代に合った改正と必要な条文の追加を行えばいいのです。

と、考えますが『暴論w』でしょうか?

いずれんしても、「悪法も法なり」なんて言葉もありますが、基本的に憲法も法律も「人間社会と人間」の為にあるのであって、「憲法の為に人間社会や人間が居るのではアリマセン!」

また、世界中、憲法を持つ国はドコも時代時代に応じて『憲法改正、追加』を行うのは普通にドコでも行われています!
日本のように「不磨の大典!」だなどと後生大事に「一文一句」一字も変えるコトに大騒ぎする方が“頭おかしい”んです┐( ̄ヘ ̄)┌


……まあ、九条を始め、「日本に普通の国に――普通に世界のドコにでもある国のように自国を自国の軍事力で組織的にも、装備的にも、法律的にも“護れる”よーになると都合の悪い」国々が……まあ、ハッキリいいますが“特亜”と呼ばれる中共、北朝鮮に韓国とその手先となって国を売っている反日売国サヨクや、日本国内に寄生する在日工作員が陰に陽に妨害工作を図っていますが、こーした連中も含めて『日本版レッドバージ』で排除すると共に、日本国と日本国民は自虐史観から脱し、占領憲法を撤廃して、真の日本の為の日本国憲法を作らねばなりません!

前回と今回の記事を読み、皆さまはどう思われましたでしょうか?

それでは、この辺で失礼したします~w
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