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狂躁亭日乘・天気晴朗なれども波高し(中)

おととひの世界 2016-05-27 11:12:29

5月27日ね

よほど今日
5月27日という日は

日露関係に縁がある日なんだね

日本海海戦のちょうど13年前
5月11日

1891年・明治24年のことだけれど
親善訪問中のロシアの皇太子
ニコライが滋賀県大津市内で

巡査の津田三蔵という男に
切りつけられ重傷を負ったと
いう大事件が起きました

まだ日清戦争に
日本が勝利する前の話です
日本は実力のある国として
国際社会が認めていなかった

しかし一方のロシアは
世界の超大国です

その超大国の皇太子が
日本を公式親善訪問中に
しかも有栖川宮という
現役の海軍軍人でもあった皇族の
目の前で

あろうことか警察官に切りつけられ
重傷を負うという
戦争が起こりかねない事態が
起きたわけです

この時は人力車夫その他も
みんな頑張って津田三蔵
抑え込み

その後は逮捕されたのですが

有栖川宮は直ちに
重大外交問題に発展することを認め
東京に連絡

明治天皇
直ちに御用列車で
昼夜を徹して大阪に向かわれ
皇太子への見舞いを希望されるも
ドクターストップをかけられ

1日おいて翌日
皇太子ニコライを
直々にお見舞いになられました

大日本帝国憲法下での天皇は
象徴ではありません
全軍を統帥する国権の最高責任者です

ですからここまでの行動は当然のこと

当時内務大臣だった
西郷隆盛の弟である西郷従道
外務大臣だった青木周蔵は
辞職します

直ちにことは大々的に
日本国内外に報道されます

当時ロシアの皇太子は
ウラジオストクに建設中だった
ロシアの軍事施設を視察のために
途中で日本に訪問した

長崎にはロシアの艦隊が
軍備を整えて停泊していたんです

日本は恐慌状態になりました
現実にいつ戦争が起きても
おかしくない状態になった

当時日本はもちろん
ロシアと戦う準備も国力も
あろうはずがない

向こうが本気になって
攻めてこられたら終わりです
しかもそれをやるだけの
十分な口実を
こちらが与えてしまっていた

そのことは朝野を挙げて
理解されていました
直ちに大日本帝国全体が
極端な自粛ムードに包まれました

ともかく徹底的な自粛の嵐です

どんちゃん騒ぎ歌舞音曲は一切禁止
仏教寺院の他

とても現在では考えにくいけど

神道の神社諸団体までもが
自粛に加わりました

それどころか
皇太子ニコライ回復平癒祈願の
祈祷まで行った

ロシア皇太子回復を願って
自殺した女性までいた

日本中改名ブームが吹き荒れました
犯人と同じ津田姓もしくは三蔵という
名前これを自ら届けて
改名するという

今考えればかなり異常なブームです

犯行が行われた大津周辺では
それを強制する市町村すらあった
といいます

明治政府は直ちに
当時皇族に対する反逆だけに
認められていた

いわゆる大逆罪の適用

津田三蔵にできないかということを
検討し始めます

大日本帝国憲法生みの親
伊藤博文

山県有朋
明治の元老はほとんどが
これに賛意を示し
実行寸前までいった

当時のロシア公使は日本に対して
大変強硬で日本の外交当局が
もし皇太子の身に何かが起きた場合

犯人に日本では
皇族に対してのみ認められる
大逆罪を適用するという
密約を与えていたのではないか?

という話まで飛び出してきて
この問題で日本国内世論が
沸騰することになりました

結局ロシア側はそれ以上のことを
外交的に求めるということはなく

また艦隊を使った
デモンストレーションをやるとか
ということも結局ありませんでした

国内のヒステリー状態は
すぐおさまったのですが
犯人津田三蔵の扱いをどうするか?
ということ最後までもめていた

結論から言えば
これに決着をつけたのは
当時の大審院院長

現在では検事総長にあたる
児島惟謙という人です

彼は刑事犯に対しては
刑法の類推解釈を許すべきではない
という大原則に基づき

犯人に対しての
大逆罪の適用を退けました

確かこの判決を出した日が

またもや5月27日では
なかったですかな?

5月11日の事件勃発から
17日後です

今日5月27日という日はつくづく
日本とロシアの間で
因縁のある日みたいですね

当時この判決を出した児島に対し
元老からも世論からも
ずいぶん文句が出たんですよ

しかし日露戦争に勝った後

児島惟謙という人は
三権分立を守った英雄に
なってしまいます

ゲンキンなものでしょ
日本の世論
時の世論になびきすぎるってのも
良くないですよ

ああいう非常事態の時に
まともな判断ができる人は
それだけ少ないっていう1つの見本

考えてみると
太平洋戦争時とかそういう人が
いなかったわけです

この事件があった
滋賀県の県庁所在地・大津
現在でも大津地検があるわけですけれど

時々派手な活動する
東京地検特捜部長の上がりのポストが
ここ大津地検検事正である

という話を聞いたことが

日露戦争の前夜
日本でまともな判断を下したのが
自分たちであるという

法務検察当局の
1つのプライドらしいです
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