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狂躁亭日乘・天気晴朗なれども波高し(下)

おととひの世界 2016-05-27 17:03:04

ナックルボールという変化球
ご存知でしょうか?

野球に無関心なら
一生縁がない話ですけどね
投げ方云々の話は省きますが

どういう球かと申しますと
全く回転しないボールです

もしくはピッチャーの
リリースポイントから
キャッチャーミットに届くまで
数回転しか回らない

その結果何が起こるか
と言いますと

ボールの周りにたくさんの
不規則な渦巻きが生じ
ボールはそれに引っ張られます

その結果大変ふらふらとした
飛び方をする

投げたピッチャーにも
キャッチャーに
ももちろん迎え撃つバッターにも

どこに飛んでいくかわからない
スーパーコンピュータで計算して
予測することも不可能なんです

そして最終的にどこに行くかは
コリオリ力

日本語では転向力

それによって決まる

普通のボールならば
そこそこ回っている

ボール周辺の渦巻きは
一定のパターンを保っているので
予測しやすいボールになるのですが

ナックルボールの場合は
この予測ができません

ボール全体に全部の指の爪を
かけるような形で投げるので
爪がはがれやすく大変危険

しかしかつてのニークロ
最近ではボストンレッドソックスの
ウェイクフィールドのように
身につけてしまうとそれだけで
長いことピッチャーがやれます

投げるのに技術だけで
力が要らないからです

そして最後に出てくるのが
コリオリ力

つまり地球の自転によってかかる力
のことです

地球上である程度のスピード以上で
飛んだりするもの

全てにかかる力です

地球はマッハ2ぐらいのスピードで
自転しています

全く慣性のかからない状態で
空中に浮いていれば

下にある地面が動いているわけ

地面にいる我々から見ると
それだけずれていくわけです

南から北方向へ高速で移動するものは
地面はその間に
やや西方向へ移動する


だから曲がっていくわけです
北から南へ向かう場合は
その逆です

大砲の弾がこの影響受けてることは
昔から知られていたんですが

この転向力・コリオリ力を加味した
弾道方程式を精密に計算し直して

実地に大演習をやった後に
艦隊決戦に利用した例というのは

実は日本海海戦が
最初だと言われています


天気晴朗で波も穏やかな時に
いくら撃ってみても正確に
方程式どおりに当たらない

これに気がついた東郷平八郎
秋山参謀に諮って

秋山真之は東京帝国大学以下の
計算に役立ちそうなもの
教授から学生まで全てを集め
弾道方程式の修正をやった

当時はコンピュータがありません
人海戦術です

その結果コリオリ力を加味した
修正済みの弾道方程式ができたのが
日本海海戦の直前だったという

コリオリ力のことは
皆知っていても

そこまでやったのは
日本が最初だったんです

原爆製造のマンハッタン計画
ボーイングB29の製造計画など
理系人材の数万人単位での
大動員によってなされた計画

この殆んどは
計算要員だったわけですけれど

いずれもコンピュータができる前です
コンピュータの代わりに
人間がやっていた

日本海海戦直前の弾道方程式修正は
その先駆けだったと言っていい

日本とロシアどちら側も
承知していたのだから
その話はなしよという話が
結構聞かれますが

それも間違いです

日本海軍は明らかに
人事を尽くしていたんですよ

では一方の
ロジェストヴェンスキー指揮下の
ロシアバルチック艦隊はどうだったか?

ここで日英同盟が効くわけです

当時スエズ運河は
大英帝国の持ち物です
開発したのレセップスという
フランス人だった

しかし母国フランスは
ナポレオン三世が
プロイセンのビスマルクに
負けてしまいます

レセップスは資金繰りに
困ってしまった

そこへユダヤ人の大英帝国宰相
ベンンジャミン・ディズレイリが
現れ、ここぞ好機とばかりに

瞬く間に手を打って
スエズ運河を買収してしまいます

これによって
地中海と紅海を結ぶラインを
押さえてしまいます
1870年過ぎに

ここを通らなければ
喜望峰回りではるばるアフリカを
迂回するしか方法がありませんでした

ロシアのバルチック艦隊はそうやった
そして所々で水を汲んだところ

艦隊内にコレラの蔓延を
招いてしまった
水兵は死線に立たされた

どうしたって反乱寸前にまで
これでは艦隊は団結どころではない

もうフラフラの状態で
極東まで来たわけで

これでは演習どころでもない


ロジェストヴェンスキーは
それほど無能な指揮官ではありません

しかしコリオリ力を加味した
対抗策などを打つ余裕など
到底ありません

かくして日本は勝つべくして勝ち
ロシアバルチック艦隊は
負けるべくして負けた

しかしそれには
日英同盟が大きく働いていた
確かに当時の連合艦隊は
抜きん出た素晴らしさを
発揮したけれど

それだけで勝てたというわけでも
ありません

ロシア軍人は
当時は全員が貴族です

もちろん兵学校教育も
将校教育もやっていたけど

必ずしも実力主義というものでもない

コネやネポティズムが
大きく幅を利かしている社会
そこで抜きん出た才能を
発揮したりすると

足を引っ張る者が現れる

この状態は革命後の第二次大戦
はじめ頃まで続いたという

スターリンがヒトラーに騙されて
大粛清をやった
その結果ロシア貴族出身
エリート将校が大方いなくなり

農民出身の優れた将校
昇格させざるをえなくなった

ナチスドイツ大部隊が攻めてきて
滅ぼされそうになったからです

そこから現れたジューコフや
チェーコフといった将軍は
すべて農民出身者

皮肉なことにスターリンの大粛清が
初めてロシア軍事史に
実力主義を貫徹したわけです

ロジェストヴェンスキーの時代
第一次世界大戦に至るまで
黄昏の帝政ロシア軍の内部では
足の引っ張り合いが多かった

すでに実力主義になっていた
日本軍とはえらい違いだった

司馬遼太郎氏は
T字戦法が旧日本海軍の独創だ
と言っておられる

申し訳ないけど間違いです

すでにエリザベス一世時代の
イギリス海軍が
フェリペ2世のスペイン無敵艦隊を
破る前に

前哨戦の段階で
イギリス海軍が試み
これに成功しています

ただ長射程の近代海軍がやった
という点では確かに初めてかも

しかしアイディア自体は
元からあったんですよ
その後誰もやっていなかった
というだけです
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