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人口動態と『団塊』の遺産と日本の未来の選択?

推摩 一黙のブログ 2017年04月27日 01時58分

さて、唐突ですが、TVを流していてふと見ていて、思った事を書いてみます。
で、まずは「何を見ていたか?」といいますとTV東京のWBS(ワールドビジネスサテライト)という日経系の主に経済をテーマに扱うニュース番組で、その中の気にするコトも無くなんとなく流し見ていたちょうどその内容は『透析患者の方の血管の“詰まり”を呼び治療する新医療』というような感じの内容でした。

で、重要なのはその番組自体のないようではなく、「このままだと片足を将来膝から切り落とさなければならなくなる」患者さんを前に、そのようにまで悪化する前に血管に今まではバルーンを入れて治療していたのですが、そこにさらに人工の血管を送り込んで補強する――と、いう新医療について取り上げていたニュースでした。

で、反応したのはそのニュース自体ではなく、その最後にキャスター同士が感想を述べている中で言った一言でした。
それは――
「予備治療は患者が重症にならない為というのもありますが、医療費の抑制の効果も期待できますからねぇ」
――という、だいたいそんな感じのなんでもない言葉でした。

日本の医療保険制度は、これから地方ごとの財政負担が役割として大きくなるのですが、高齢化の進む現在その抑制が課題となっています。
さて、その事は仕方がないですし、このニュースのように早目、早目に手を打って病気や老いによる治療が重くなる前に『予備的に治療して行けば』患者も助かりますし、国や社会も医療福祉保健予算の負担を減らすコトもできます――まあ、そこまでは当たり前といえば、当たり前の話なのですが、日本を始め、欧米先進諸国から、中韓のような新興国まで、今、世界では『少子高齢化』が社会問題になっています

よーするに『長生きする老人が増える』割に『新しく生まれて来る子供が減って』それが色々と問題を引き起こす――というこれまた当たり前な話なんですが、労働力や社会の活力、税負担する勤労人口の減少まで頭が痛い話なワケです。

さて、ここで思い浮かんだのが『団塊』の世代と呼ばれる人々のコトです
まあ、なんとなく『団塊』と呼ぶ場合、あんまり良い意味で使われるコトはアリマセンが(なんとなくw)、実はといいますと戦後の日本を形作って来たのはこの人々なんですよね?

でもって、今若い――私のような30代後半から50代の者にとっては、『親の世代』に当たり。
それ以下の30代前半からそれ以下の若い世代から見ると、ちょうど『お爺ちゃん、お祖母ちゃん』に当たる世代の人なんですよねぇ?

さて、こう書きますと『団塊の世代』なんて意地悪く書くよりも“身近に”感じられたのではないでしょうか?w
実際、『団塊の世代』なんてひとくくりにされる人たちは、異星人でもなんでもなく、私たちの身近な人たち……現役を引退して、年金生活や二世代住宅なんていって一緒に暮らしたりしてる親や、お爺ちゃんやお祖母ちゃんなんです。

で、問題は『人口ピラミッド』で圧倒的多数を占める点と、人類科学と医療というか、日本が豊かで繁栄していますので、戦前などと違って、はるかに、いえブッチギリで長寿になってしまったコトにあります!?

ま~、人生五十年どころか、戦争や何よりも栄養状態と医療の問題で、三十歳で亡くなる人も多かった時代から、寿命はドンドン延び、六十どころか七十、八十、いえ百歳越えも当たり前!? という時代に人類は初めて突入しました。

そう、長生きは誰もが願うコトの一つですが、その願いが『当たり前』の時代というのは、実は人類未踏の時代なんです。
日本の長い歴史の中でも初めてでしょう。
太平の江戸時代が“近い”ですが、ヤッパリ六十にまで生きていられたら “還暦”と呼び大きくお祝いしました。

しかし、今『六十歳』といっても別段特別に祝うような感じでもないでしょう。
それどころか六十歳を越えたからと年寄り扱いしたら、逆に怒られかねませんw

よくよく考えてみれば、こんな幸せな時代は私たち人類は初めてなんじゃないでしょうか

無論、六十歳越えでも全然若くて元気というのは今までも居ましたでしょう。
しかし、一部の富裕層や支配層以外の、庶民や――それこそ貧困層といわれる人々まで長寿が“普通”の時代! というのは考えてみれば、初めてなんじゃないでしょうか?

さて、そこで少子高齢化社会はこれから初めて体験するのですから、色々な課題や問題が出て来るのは間違いアリマセン。
それを私たちは一つ一つ解決して行かねばならないのです。

で、そこでなのですが日本の場合、今から初めて『高齢化社会』を経験するのが『団塊の世代』という今までの日本で一番多くの人口が生まれ占めて来た方々というコトになります。
この事は二つ大きな意味を持ちます。

その一つ目は、日本の人口構成上、多数派を占める彼ら団塊の世代は、それまでの人生でもそうであったように「日本の社会に大きな影響を与える」というコトです
これは、戦後日本でベビーブームから今、団塊の世代と呼ばれる人々が生まれてから育って行く過程で、産婦人科や幼稚園保育園の必要性を産み、また母子手帳や幼児医療などの充実やその制度の必要性について多くの需要を生みました。

そして時間が経ち、就学年齢になれば小中の義務教育と、小学校や街角の公園などその年頃の子供と子供を持つ親の需要を生み。
また、その次に高校や大学進学、あるいは義務教育を終えて社会に出る者が、職業から高等教育、さらには若者向けの文化に基づく多くの消費やサービスの需要を旺盛にしました。

その後、成人した後は、社会の中核となると共に旺盛な消費意欲を発揮し、社会を勤労者年齢の人たちの欲する方向に変え引っ張っていく大きな勢力となって来ました。

さて、戦後日本が幸運だったのが、戦後が終わり、高度成長期に突入して行く中、団塊の世代という人口層の成長が軌を一致して歩んできたことです。

そしてそれは、誕生から乳幼児期、就学年齢の幼年期少年期、そして少年から青年期に、その後の成人位以降の勤労人口と年を重ねる中、日本が発展して行くのとも“同期・同調”して歩みを進めてくれたので、彼らが歩んだその後には、産婦人科・小児科に幼稚園保育園が整備され、その次は小学校、中学校と子供向けの公園などが整備されると共に児童福祉が整備され、さらにその次は高等教育や大学が整備拡充されと共に、若者向けの嗜好にあった消費品やサービスが需要が盛んになり、その次は成人して社会に旅っ立っていった彼らが車や旅行、酒や飲食などの消費需要を掻き立て――というように社会をその時代時代ごとに大きく変えて行きました。

いわば団塊の世代の人たちは成長すると共にその年代ごとに必要な公共施設や消費、さらには様々な社会制度を整えていく原動力となって行ったのです
そして団塊の世代と戦後日本の“幸運”な点は、二人三脚で共に“成長”して行けたということでした。

この結果、団塊の世代から後に生まれた世代は、団塊の世代が残した多くの遺産の恩恵を受けるコトができました。
なにせ各世代、各世代で必要な施設から消費需要、公共サービスや社会問題に至るまで、いわば団塊の世代が洗い出し、問題を解決させたり、社会を変えたりして整え残して行ってくれたから、その恩恵を浴びるコトができたのですw

……まあ、団塊の世代最盛期と人口比率で三分の一まで落ち込んだ少子化が進んだ現代、幼稚園から小中学校の統廃合といった調整は必要ですが、それは仕方ないでしょう。

さて、そして今現在は団塊の世代がその最後の段階に入ろうとしています――そう、老齢期への突入です。
今後、社会のバリアフリー化や老人介護、引退後の人生の生き方と死に方について多くの試行錯誤と需要が生まれるでしょう。
ですが……これまでと違うのが、その先が無い、いずれ必ず寿命という形で終わりが来るというコトです。

その意味で、老齢期に入る前の誕生から乳幼児~勤労人口期までの彼らが先を切り開き、整えてくれた社会的遺産は、その後に続く世代に日本が続く限り末永く利用されるでしょう。

しかし、これから人口多数で向かう老齢の世代に向けた需要――とりわけインフラとサービスという名の産業は、彼らの世代が生きているこの先、二十年から三十年の間は必需性が高くなりますが、その後は必ずガクンと必需性が落ちるのが目に見えています。

いくら人口が多い! とはいってもこの先、減るコトはあれ増える事はアリマセンし、しかもどんなに長生きしても限界があります。

そういう意味で、今までのように需要に応えるまま「老人需要向けの産業や社会構造を対応しようと頑張っても」ある時にいきなりその需要が消滅し、さして必要なくなるというコトになるでしょう。

特に老人ホームや老人向け医療病院、そしてそこに努める老人介護の業界というような類は、今の団塊の世代が老齢に突入したのに従いその需要や必要は大きくなりますが、それはあくまでも一時の事です。
ピークを過ぎれば、日本国内の人口構成は正常なモノにやがて収斂していきます。

戦後、日本の成長繁栄の原動力であった団塊の世代は、いわば一時の仇花として最後に散ると、その後の人口は徐々に減少して行く形で平均化して行きます。
ですんで、団塊の世代が、言い方は悪いかも知れませんが(苦笑)、現役世代を引退し、さらに現世も引退して逝けばそう遠くない未来、少子高齢化はおのずと解決します。

その早くて2050年以降の未来予測において、それ以降の人口が「一億を切ってしまう!?」とはいっても、その人口は多くが最低限高等学校まで卒業しておりさらに各世代それぞれの半分から三分の一は大卒も当たり前! という高学歴社会になります。
そして、現代からこれから先ますますIT化や省力化が進めば、単に人口の過多はあんまり意味が無くなります。
むしろ、豊かなまま、一億~九千万人程度の人口で維持できていければ、それも皆一様に高度な教育を修めれる高等人材を義務教育と高校大学教育で維持できれば、高付付加価値高技術の高等技術労働者、もしくはモラルと教養の高いサービス業の担い手として職にあぶれるコトも無く栄えて行くことが日本はできるでしょう。

ちなみに2050年以降、2060年頃にはこのままだと少子化のせいで「日本の人口一億切りが避けられない!?」と政府や財界は騒ぎますが、その一億~九千万人まで日本の人口が減り、内需が縮小しても、2017年現在のどのヨーロッパ諸国よりも人口は上回ります!
それどころか、今の欧州諸国は同じように少子化により、今の人口が維持できないので、縮小を受け入れるか? 移民難民で穴を埋め合わせなければ現状の内需国内市場規模を維持できません!?

ドイツが今現在人口八千万人ですからまだ余裕がありますが。
英仏は共に六千万人強ですから、下手すれば五千万人を人口が切ります。
すると「内需=国内消費市場を主に国を維持するには、そのボーダーラインは人口が六千万人程居るか? どうかが一つの境い目」だといいますから、ドイツはともかくフランス、イギリス以下欧州のほとんどの国は、移民や難民を受け入れでもしない限り、自国の内需で、国内市場で経済を回すコトができなくなり、国外の市場、外需頼みの経済構成に転落しかねません!
ま~ブッチャケいいますと、軒並み『韓国化』するといえば分かりますでしょうか

今の韓国は人口がちょうど五千万人を少し超えるくらいです。
しかし、この人口では国内市場、内需では経済が回ってゆかず、どうしても輸出に頼らざるを得ません。

そしてこういってはなんですが、韓国も欧州諸国も、ドイツを除いて、輸出競争力が、高付加価値を生む産業力がアリマセン ┐( ̄ヘ ̄)┌

一方、ニッポンは2050年以降でも一億前後の国内消費市場を規模として人口で維持できる上に、高付加価値の産業力、輸出競争力がすでに備わっています。

この先、よほどのコト(大災害や戦争など)が無い限り、日本の教育水準を保ち、企業の研究開発費への投資を怠らなければ今の延長線上でも充分、世界一、二を争う豊かで安全な国を維持できるでしょう。

このようなコトをふと考えてしまったのですが、皆様はどう思われますか?
とりあえず、団塊の世代が(この世からも寿命で引退されるまでの)この先、二十年から長くて四十年程度を乗り切れば、少子高齢化の人口構成のアンバランスは自然に解消され、人口は一億を切るかも知れませんが、これから先のテクノロジーがさらに進む未来を考えれば、今、大騒ぎするほど二十年、三十年先は心配いらないかも知れませんw

まあ、インドネシアやインドなどのようにまだこれから先、人口構成で若年勤労層が多い! という国ならともかく、下手に頭数が、人口が多くても国を社会を繁栄させて維持するのにマイナスなだけです。

実際、その好例が「日本以上に少子高齢化が急速に進む」中国や韓国を見ればよく分かりますし ┐( ̄ヘ ̄)┌

で、日本の当面の課題は、『いずれ消える』のは分かっているものの、需要といいますか社会として一時的に大きく必要とする“介護”や“サービス”面での高齢化需要をどう対応するか? なのです。
一つは供給不足のままを黙認して『団塊の世代』には泣いてもらう
か?
あるいは、団塊の世代の要望需要に応じて介護医療サービスの供給を増やす――無論、団塊の世代がこの世を去れば「突然、ガクンと需要が消滅する」恐れがありますが、これは外国からの移民ならぬ、金持ちの外国人老齢世代を受け入れる! という思い切った手で解決する――というのも一つの手です。

今、移民は不法移民や難民を除いて、高等技能者か金持ちですが……今で医療ツーリストという形で海外からの旅行客に観光と一緒に日本の医療サービスを利用してもらい新たな需要喚起を起こす! というのがありますが、それの『老後、引退後の移住先』として新たな需要産業として考えるんです。

世界には、今の人口の半分以上の40億を超える貧困層が居るといいます。
一方で、富裕層もまた十億人近くいます。
「他国の老人の世話をするのか?」という方もいるかも知れませんが、世界的にも近年『他に例がないほど安心安全な国』として日本は有名になって来ています。
今は、中国や東南アジア諸国が多いですが、やがて世界中から日本に観光したりしたがる人がさらに多くなるでしょう!
その中には、日本への移住を望む者もますます多くなると予想されます!

職を奪い合ったり、日本に溶け込まず害を成す“異民”はいりませんが、相応の対価を払い、横暴だったり身勝手で尊大な態度を取らない、日本に日本社会に行儀良く溶け込み善良に振舞う外国人なら、キチンとした技能や充分な対価を支払える富を持つならある程度受け入れてもいいんじゃないでしょうか?

まあ、日本語ができなくても共通語として英語ができれば将来の日本で、そうした世界の富豪や上流階級層を受け入れ、サービスを提供する未来を考えてもいいんじゃないでしょうか?

まあ、間違いなく中国人、朝鮮人は『どんなに大金持ちでも優れていても、お・断・り』ですが(棒
まー、まだまだ先の話ですが、そんな事を少し考えてしまいましたw
本日の話――いかがでしょうか?w
ではでは、失礼します~w
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