Entries

朝鮮半島は米中、米露、日中が生き残りをかけて影響力を行使する地政学上の要衝? 寝言は寝て言えw①

推摩 一黙のブログ 2017年05月16日 01時43分

ここ数日、更新をサボっていたんだが……件の『果樹園』さんとかいう爺さん(?)が、コレがまた『香ばしくて』笑えてくるw
この方の言動を見ていると 「韓国見切らない派」とやらみたいで? 現実が、日々流れて来る韓国の呆れたニュースの数々が見えないのか? と訝しくなる。
ワザと『見ない・聞こえない』ようにしてるんじゃないとしたら、“脳の医者と眼科、耳鼻科の世話になる”コトを老婆心ながらオススメする(´_`。)

とりあえず、SCSAさんが取りあげ紹介してくれているが、

> ですが、貴方のブログの「一黙さんに答える-その4」で
>米国も日本も「韓国もういいや」ではなく戦略上手放せないのであり、朝鮮半島は米中、米露、日中が生き残りをかけて影響力を行使する地政学上の要衝なのです。
こう書かれていらっしゃいますね。

のような『韓国、半島をえらく過大評価する』主張で、少しでもあの半島と韓国の実態や歴史的経緯を知っていれば口にしないような馬鹿なコトを平気で口になされている!?

まあ今回は、その『地政学上の要衝』で「米中、米露、日中が生き残りをかけて争う」に値するのだという朝鮮半島と日本の関りと、その関係と日本にとっての意味や価値変化を一度確かめる意味で見てみようと思います♪
まあ、歴史講釈講談を聞くような感じでお楽しみ下さいませw

そもそもの始まりは――明治開国!

さて、話は戦前、明治開国の頃から始めますが……この頃の、戦前の日本にとって「欧米列強から国の自主独立を守り、維持する」事は何よりも勝る“最優先事項”であった。
その為に富国強兵の掛け声の下、産業振興、軍備の増強を急いだが、コトに当たるにあたり、一人より仲間が居た方が心強いに決まっている。

だからこそ明治開国で世界の荒波に乗り出した明治日本は、同時に東アジアに隣接する清と朝鮮に「共闘協力」を持ちかけた。
しかし、時代遅れの『冊封体制』と『朝貢序列』に囚われた清はもちろん李氏朝鮮も現実を見ようとせず。
逆に、独自の歪んだ序列意識によって日本を下に置き、差し出された手を取ろうともしなかった。
それどころか清は、アヘン戦争をはじめとする敗戦で領土や鉄道権益などを欧米列強に侵食されているにも関わらず危機感もなく。
逆に定遠、鎮遠を有する北洋艦隊を長崎に寄港させると日清戦争の原因となった長崎水兵事件を引き起こしたのでした!?

この清による砲艦外交は、清が欧米を倣って『弱国と侮る日本を屈服させようと』意図的に行われたのであったが。
この1886年当時こそ、対抗できる軍艦を有しなかった日本であるものの、わずか八年後、1894年の日清戦争においてその軍事力が逆転する結果になった。

さらにこの長崎寄港時、旗艦定遠に日本の皇族や大臣、海軍軍人を招いて内部を公開したが、定遠への招待は清国側が日本に対して度量を示すためとされたが。
これはかえって定遠の艦内構造や北洋艦隊の士卒の練度の低さを日本海軍に暴露する結果となり、日清戦争時の黄海海戦において清国敗北の一因となった。

そして、日本は清との日清戦争で「自国の利益、権益」を第一にして『良し!』とはせず、下関条約においてその第一の条項については、

『朝鮮半島に対して清国は、朝鮮国が完全無欠なる独立自主の国であることを確認し、独立自主を損害するような朝鮮国から清国に対する貢・献上・典礼等は永遠に廃止する』

というコトを持ってきて、朝鮮の独立を認めるコトを第一に持って来たのであった。
これは、この下関条約が結ばれる以前は清の冊封国だった朝鮮は、清と君臣関係にあったから外国の侵入を受ける場合、清から軍事的な助力を受けることができた。
だが、もはや日本にも負ける清国に外国勢力から朝鮮を守る力は無かったのは明らかであった。
そこで日本は、この清と朝鮮の間の従属関係を解き、李氏朝鮮に日本同様の維新開国による富国強兵への目覚めと、日本と連携協力しての西洋との対抗を共に行う友邦となってくれるコトを期待したのだった。

しかし、その日本の期待は脆くも砕け散る。
時、朝鮮半島からの清の古く腐った朝貢序列による冊封体制を砕き、朝鮮を開国へ導いた日本だったが、清が半島から手を引くのと入れ替わりに帝政ロシアがその触手を伸ばして来たのであった。
これで朝鮮王朝に自主の気概と覚悟があれば歴史もまた違ったのだろうが、しょせん「他国から与えられた独立、独尊」である。
朝鮮人の宿禍である党争や事大主義に走り、満州から朝鮮半島が、東進南下政策で極東地域に進出するロシアの侵食を許す結果となってしまった。

これを日清戦争後の三国干渉で臥薪嚐膽を合言葉にし、富国とそしてそれ以上の強兵を追求して「いずれ来る露国との決戦の日」に備え切磋琢磨する日本だったが。
世界最大の国土と極東ウラジオストックと極北バルチックの二つの大艦隊を有する大陸軍国ロシアに対して、海軍国の日本はその半分の一連合艦隊しか有せなかった。
そして満州に鉄道敷設の手が伸び、朝鮮半島にもロシアの影が伸びる中、日本は危機感をつのらせてゆく。

しかし、その状況を破ったのは日本と大英帝国との同盟であった。
当時、七つの海を支配し、世界最大の帝国であった英国が、

「その初めての同盟相手」

として選んだのは、驚くべきコトに東洋の東の果て、極東のまだ名も知られていない小国に過ぎなかった日本であった!?

19世紀後半当時、英国は欧州大陸において『栄光ある孤立』と呼ぶ非同盟政策を取っており、欧州大陸列強の何処とも未だかつて同盟を結んだコトは無かった。
それを極東の小さな島国でしかないニッポンと同盟を結んだのも無論「善意」からではない。
当時、アヘン戦争に勝利し、インド以東のアジアにも拠点を築きつつあった大英帝国だが、陸上戦力はおろか海上戦力すらも充分にはおぼつかない状況に苦慮していた。
そこで、日英同盟を結ぶ前、アジアで起きた動乱――義和団事件において、暴徒に包囲された北京(ペキン)の列国大公使館区域を救援すべく結成された八ヵ国の連合軍で、主力を務めた日本軍の奮戦ぶりと。

北京列国公使館防衛において大きく寄与した日本人、柴五郎(コロネル・シバ)のその、籠城成功に多大な寄与をした獅子奮迅の活躍の評判もあって、「極東地域おける英国権益の代弁者」として、日本は選ばれたのであった。
また、余談ながら『義和団事変以来も満州から撤兵しないロシア』の存在も、英国に日本との同盟を後押しした面も少なくない。

さて、こうして当時世界最大最強の海軍国かつ造船大国であった英国の後押しもあって、日本は急速にその所有艦艇を増強させ。

三国干渉からほぼ十年後、乾坤一擲の対露戦に突入するコトとなる。
そしてこの戦いの結果は、歴史を知る者すべてが知るその通りである。

旅順港のロシア駐屯軍を満州の本隊から切離し、旅順港に籠ったロシア極東艦隊を203高地の高所を奪取しての観測砲撃によって湾内で殲滅し。
奉天会戦、続いての日本海でのバルチック艦隊の撃破によって海戦における金字塔を打ち立てた日本の勝利だった。
無論、この勝利の陰には英国との同盟が大きな力となった。
英国が後見人となるコトによる戦費の調達から、大きく世界を半周して来るコトとなったバルチック艦隊の寄港休息を許さぬ英国が支配する港。
そして勝ったモノノ国力が尽きかけた日本に米英からの休戦に向けた仲介。
それら奇跡のような条件が揃い、成し遂げた首の皮一枚の差の日露戦争の勝利であった。

ともかくも日清日露の勝利により気付いてみれば日本は極東地域において、列強に伍する唯一の事実上の独立国となっていた。
無論、混乱し浸食を受けていたとはいえ清国は健在であり、朝鮮半島も大韓帝国の名の下独立を保っていた。
またタイは賢明な王室の外交上手もあり緩衝国として独立を保ってはいたが……日本以外の国々は列強の思惑や牽制によって国の形を保っていたものの明日、いつ植民地に転げ落ちても不思議では無かった。

特に半島の状況は無残無能の一言であった。

朝鮮半島は、大韓帝国とは国とは名ばかりの破産状態で、李王朝は欧米列強に領土を売り、鉄道敷設権や港湾使用権などの権益を差し出し、それでもなお巨額の借金に喘いでいた。
もはや国として破産破綻しているのは誰の目にも明らかであり、ついには朝鮮側は日本へ「併合による救済」を願い出て来ることとなる。
これに対して日本は最初から日韓併合を選んだワケでは無い!
むしろ元老大勲位である伊藤博文をはじめ

『何もなく、国土荒れ果て人心も荒廃した最貧国である朝鮮半島』
を抱え込むコトの負担の大きさを憂い、併合に反対し「半島は保護国に留めておくべきだ」という主張も根強いモノであった。

しかし、伊藤公の暗殺により歴史の歯車は併合に大きく傾く事になる。

生命線でもなんでもなかった満蒙に半島

さて、併合後、日本はその義務と責任を果たした。
李王朝が列強に追っていた借金を肩代わりし。
カタとして差し押さえられていた、あるいは売り飛ばされていた領土や鉄道港湾などの国の権益を買戻し。
さらに無に等しかった朝鮮半島の社会インフラを一から整備し、産業を興し、教育をはじめ人材を育成した。
これらすべてはほぼ日本本土からの「持ち出し」であった。
毎年巨額の財政支援が日本本土から半島に注ぎ込まれ、36年という統治期間中、『補助金が必要なかったのはたった一年だけ』であった。
しかしそうした巨額の投資と援助、さらに人材の投入により、朝鮮半島の社会は生まれ変わった。
そういう意味では、台湾同様、決して『苛酷な植民地支配』でもなんでもなく、欧米の植民地と比べれば天国と地獄ほどの差だったといえるだろう!
無論、日本統治下の方が天国であり、その支配の下領国民は歴史上初の人間らしい扱いと近代社会への道を与えられたのであった。

さて、日清日露戦争に併合後、日本は清が滅んだ満州族を支援して満州の地に満州国が建国されるのを助けている。
そして、満州と朝鮮半島の後背地である中国東北部に攻め入り、この中国領域をも支配している。

この時分、関東軍を中心に言われたのが「満蒙は日本の生命線である」という言葉である。
これは、満州(中国東北部)と内モンゴルは戦略的にも経済的にも、日本の存亡がかかった地域だという意味だ。
この言葉は「正しく」もあり、そして実は「正しくは無かった」。

その意味は「日本が朝鮮半島を大陸勢力からの防波堤として確保」する上において朝鮮半島の後背地である満蒙は、その安全を確保する意味でも押さえなくてはならない緩衝地であった。
この事は、朝鮮戦争時、雲霞のごとく無尽に湧いてくるソ連と中共軍の義勇軍に手を焼いた国連軍――を率いていた米軍総司令官のマッカーサーの言葉が良く表している。
マッカーサーはこう言い切ったのだ――

「日本の戦争は自衛戦争であった」

――と。
彼はまさに、本国に『核の使用許可』を求めながら、朝鮮戦争を戦いながら悟ったのだ――戦前の日本がその本国列島の四島を守ろうとする時、
大陸から突き出た半島は『脇腹に突き付けられた短刀』に等しかった。
なので、清そしてロシアという大陸の大国に朝鮮半島を押さえられるワケにはいかなかった。
だが、大陸の大国を排除できれば日本は別に朝鮮半島を支配する必要は無かった。
朝鮮半島にドコにも支配されない、できれば友好的な朝鮮人の国があれば充分だったのだ!
だが、日本側の期待と希望と違い、朝鮮人は絶望的なまでに無能無力であった。
その為、伊藤公などが最後まで反対したモノノ結局、日本は朝鮮半島を引き受けざるを得なくなったのだ。
そして、朝鮮半島を守り維持して行くには、その後背地である満州と中国東北部の安定も必要となる。
そこで「満蒙は日本の生命線である」という先の言葉が出て来るのだった。
一時はロシアの南下政策による進出があったものの戦前、この地は『無主の土地』であった。

まあそれも当然である。

それというのもこれ以前、清朝の時代には、清王朝を打ち立てた満州族が「祖先の故郷の地」である満州に入植が入るのを数百年間厳しく禁じていたのだ。
その結果、日本が併合する頃には、朝鮮半島の後背地であるこの地域は、支配する者のいない無主の土地であると同時に、雪崩れ込んだ流民や匪賊、()軍閥が好き勝手に跳梁跋扈する無法の地でもあった。
そして、この地域から朝鮮半島北端の国境を渡り、しばしば賊や軍閥による略奪襲撃が繰り返されており、朝鮮半島の治安を守る為には、急速な満州から中国東北部の平定が必要だった。

……と、まあこれを身を持って経験するコトになったマッカーサーの言葉が先のそれ(日本の自衛戦争)である。

そういう意味で「満蒙は日本の生命線である」は正しい――まあ、正確には「満蒙は、朝鮮半島の生命線」という方が正しいのだが

これは、あくまでも日本が朝鮮半島まで勢力を伸ばし支配するからこそ、その後背地である満蒙が敵対勢力の策動地にならぬよう押さえる必要があるのであって。
もしも、「もしもだが」日本が朝鮮半島を諦めれば、半島のみならずその背後の広大な地域にまで介入する必要性必然性は一ミリも存在しないというコトになる。

その事は、皮肉な話だが先の戦争の敗戦によって現実に証明されるコトになるw

簡単な話だ、戦後日本は本土四島と沖縄それに付随する諸島を除く「明治以降手に入れた」海外領土の全てを手放すコトになったのだから(皮肉
皮肉――そう! まさに歴史の皮肉というかなんというか?w
戦後日本は、海外領土全てを「大陸側の権益」を全て手放しながら、戦前を上回る――いや、人類史上においても稀な大成功と大繁栄を遂げたのだからw

無論、戦後日本の繁栄には、冷戦期の平和という特殊条件や、戦前と打って変わって世界各地で大油田が見つかり開発が進み。

エネルギー以外の鉄鉱石やボーキサイト、天然ゴムを始めとする資源が国際市場に豊富に供給されるようになり。
自由市場において、ブロック経済圏で囲い込まれることも無く「欲しい物を欲しいダケ買って手に入れる」コトができるようになったのだから!
さらに科学や化学技術が進み、石油を原料にして人口合成ゴムやナイロンにプラスチックなど「資源に対する代用技術」も次々に生まれ開発されてゆきました。

と、まあ、時勢の幸運にも恵まれた上に、実はというとそれだけでなく戦後日本の繁栄には、明治開国以来積み重ねて来た努力が開花したというコトも重要でした。
そう、明治開国以来、富国強兵を合言葉に日露に打ち勝つ軍事力を備えただけでなく、その軍事力を支える上で必要不可欠な産業基盤、公共インフラの整備、普通教育の普及と人材の育成――その他諸々、経済的な成功を掴むための条件を百年以上の期間を連綿と努力を重ねて来たのです!
まあ、明治以前の江戸250年の太平の世の間に、鎖国から解き放たれ時、必要な民族資本も、そして高い文化と秩序だった民度の高い社会に、識字率が80%を超える(女性ですら40%)という国としての“基礎”を創り上げれていたのですがねぇw
ちなみに19世紀初頭英国ですら識字率は下層庶民の場合、ロンドンでも字が読めるのは10%に満たなかったといいます。

閑話休題、まあ明治以前から数えて約350年(!)以上もの蓄積を日本は連綿と積み重ねて来ており、それらが戦後日本で一気に花開いたといって間違いないでしょう。
そして、同時に図らずも「戦前、あれほどまでに日本の死命を制するといって必死になった朝鮮半島は、実は『日本の安全保障でも経済的成功』においても考えられていたホド、“重要”でもなんでも無かった」という事実でした。
実際、戦後十年間のGHQに支配され、武装解除され無力だった終戦直後の混乱期を除き、戦後70年を超える今現在まで大陸に足掛かりも利権も無くても日本がやっていけるというコトは、現実に史実で証明されていますw

……とは、ちょっと言い過ぎかも知れませんが、韓国が防衛上、ニッポンにとって重要だったのは冷戦期のソ連、中共という二大敵国の存在が大きかったのは『確か』ですが、逆を言えば大陸が平和的にしろ群雄割拠の戦乱であろうと、日本にとって脅威でなければ、半島は大陸ともども日本の輸出入にとって別に必要不可欠でも何でもないのですよねぇ?

だって、戦後長らく中国とは国交が無い状態が続きましたし開発の遅れた極東ロシア地域は今でもそうです。
現在こそ1990年代以降の改革開放以来、中国市場との取引も多くなりましたが、それ以前は日本からの輸出も、大陸からの資源やエネルギー、安い日用雑貨に衣料品、電化製品の輸入も何もなくほとんど交易関係を断っていた時期が戦後40年近くありましたが、中国市場や労働力が無くてもなんら問題なく日本はやって来ていました。

経済的にも日本は中国や半島と付き合わなくてもそれ以外の世界相手に、戦前の大陸半島利権を争っていた時代より経済的成功と繁栄をする事はできましたし、そして経済以上に軍事安全保障面でミサイルとレーダー技術が発展した現代、たとえ大陸勢力に半島を支配されても大丈夫と言えるまでになっています。
正直、戦前も「対馬海峡の防衛」に自信が持てなかったからこそ『半島に関わらざるを得なかった』ダケなのです。
対馬海峡を守り切れる自信が持てるなら半島は必要ありません。
むしろ、台湾の方が半島よりも重要といえるんじゃないでしょうか?

まさにアチソンラインで――日米の海洋国から見ると大陸勢力が太平洋に進出できないようにアリューシャン列島 → 日本列島 → 沖縄諸島 → 台湾というラインで浅い東シナ海、南シナ海に封じ込めている限り、封じ込められる限り大陸はアジア太平洋地域の覇権を脅かすコトはアリマセン。
そして、今現在の日米はその同盟を中軸にアジア海洋国家の国々とインドと組んで、中国の封じ込めを図っています。
そして、日本列島から大陸に逆侵攻でも目論まない限り、朝鮮半島には“緩衝地帯”として以上の価値はありません。
むしろ、韓国という国の腐った国民性を考えると価値が無いどころかむしろ『負債』であるとさえいえます

韓国、つかの間の繁栄に勘違いした馬鹿ん国w

この際ハッキリ申し上げよう。
1950年6月25日 ― 1953年7月27日休戦までの朝鮮戦争が無くても『日本抜きで朝鮮半島に成立する国家は成り立たなかった』だろう。
無論、「反日国家を続ける限り」においてという但し書きが付くものの、戦後朝鮮半島の安定と発展に日本からの支援と援助抜きには成り立たなかった。
それは北朝鮮の現在の惨状を見ればよく分かる。
北は先の戦争が終わった時、アジア地域において戦争で焦土となった日本を凌ぐ工業生産国だったといえば信じてもらえるだろうか?
まあ、今現在の北朝鮮しか知らなければ、この世界最貧国レベルの惨めな独裁国家がかつて敗戦後の日本よりはるかに優位なスタート位置から戦後を始めれていたなどと言われてもにわかには信じらえれますまい!?
しかし、れっきとした事実である。
戦後直後の北朝鮮領域は、戦前からの日本の投資が、整備した工業基盤がほとんど戦火に遭うことも無く丸々残り、大きな工業生産力を誇っていたのだ。
東洋一の化学工場から各種工場、それらを支える鴨緑江の水豊ダムは今も最大の発電容量(70万キロワット)を保ち、電力を中国と折半することになっています。
戦前の半島統治において日本は半島北部の山地がちで平地が少ない代わりに鉱山資源と鴨緑江の豊かな水を利用して工業地帯に。
逆に半島南部の平地が広がり気候も温暖な地域には農業を、とそれぞれに配置し計画して開発しました。

しかし戦前の日本は、当時の最高水準の技術を朝鮮半島に残しましたが、北朝鮮はその遺産を生かせず、ほとんど食いつぶしてしまいました。
逆に南の韓国は、朝鮮戦争後こそ工業産業基盤も無い貧しい農業国でしたが、日本からの国交正常化の際の莫大な支援と、その後の資金援助や技術産業振興支援によって大きく成功しました。
そして、その原動力になったのは、日本が半島に残してきた最高の財産である“日本が育成した人材”だったといって間違いはないでしょう。

……だがそれも戦後の歪んだ反日教育とハングル優越主義の下、漢字を捨てた教育の失敗で失われつつあります。
漢字を捨て、ハングルに扁重した教育を行った為、今の韓国国民はハングル専用で文盲は、ほぼいなくなったものの漢字を放棄することで、「読むことはできても、理解できない」機能性文盲が生じ問題となっています。
そしてその機能的文盲――実質文盲という韓国人の数は“若い人ほど”多く、これから先の韓国という国の未来をコレだけでも絶望的にしています。
さて、具体的に数字を挙げますと、2003年に行われてハンギョレだけが報じた韓国教育開発院による3000人対象の調査では文盲が8.4%、機能性文盲が16.2%でした。
現在ではそれから十年が過ぎ、悪化こそすれ改善されるコトはアリマセンから、今、調査すれば20%を超えるのではないでしょうか? 機能性文盲の若者は。

若者は、そう韓国の20代からそれ以下の若い世代がです!
機能性文盲は若い世代ほど顕著です。
さらに40代以上の年配者も今ではほとんど『戦前の新聞や書物、資料を読むことができません』――なぜなら日本の漢字混じりの平仮名カタカナ同様、戦前の新聞や書類は漢字混じりのハングルで書かれているからです。
去年だったか、『韓国国民の10人中9人は、根拠もなく勝手に思い込むなどの「認知バイアス」に該当する』という報告が話題になりましたが、韓国の文盲率は「OECD加盟国で下位圏」に入るほど酷いのだそーです。
かんこくというのは、これから先も先進工業技術の研究と開発で身を立てて行かねばならない、輸出依存度が50%を超える輸出依存国であるというのに――です。

それでも1990年代終わりまで、韓国は必死に日本型加工貿易国家として発展をして来ました。
しかし加工貿易というものは、決して楽な商売ではありません。
考えてみればすぐ判る話しで、競争相手が貿易相手国内に存在しないようなレベルの国では購買力に問題が有り。
逆に十分な購買力を持つほどに発展した国では、必ずその国内に競合相手が存在します。

このような状況を乗り越えて貿易立国を維持するためには、絶対に欠かせない条件が存在します――それは全ての面における、絶対的な信用と信頼性です!

信立たねば成り立たずなのは

貿易相手国は自国産業の一部、もしくは自国内に無い産業を他国に依存するのですよ? 少なくとも自国内産業と同程度、またはそれ以上の信頼性を持たなければ、競争相手国からワザワザ購入する必要性がドコにあるというのでしょう?w
廉価で使い捨てできるような製品ならば、また事情は異なるだろうが、製品自体に人命や健康を預けるようなモノでは信用信頼は絶対に避けては通れない。

日本はその貿易立国、輸出産業大国の先駆者として、営々とその信用信頼を時間をかけて築いてきました。
性能に対する信頼から始まり、供給、サービス、購入後の保守整備など、突き詰めてしまえば、国家としての日本への信頼を醸成する事で加工貿易立国を成し遂げて来たのが戦前から綿々と続く産業貿易立国としての日本の歩みでした。
後発である韓国は、その日本が敷いたレールに乗り、これまで発展を続けてきたのですが、不幸にも大多数の韓国民はそれを理解しなかった――というか、彼らの社会的慣習がそれを拒否してきました。
そして20世紀末、日本は加工貿易から発展的に脱皮、技術立国の道を歩み始めました。
具体的にはオイルショックからきっかり二十年後の1993年に、各国の技術力を示す技術貿易収支(技術輸出額-技術輸入額)において輸出が黒字となり、93年以来、黒字を続けるようになってからと考えて間違いはないんじゃないでしょうか?
1993年のこの年以降、日本は「量から質への変換――“技術の研鑽と研究開発費への投資”をいち早く図り、黙々とその努力を続けたその成果を結実させて」高度技術付加価値産業国を完成させたといって間違いないでしょう。
そして、現在一流と呼ばれる工作機械の世界市場のシェアを見てみると、日本が世界シェアの27%でトップであり、二位のドイツの12%を大きく引き離しています。

ちなみに、かつて素晴らしい工作機械のメーカーがひしめいていたアメリカのシェアは、わずか1%にまで凋落してしまっています。

かつては『週間空母w』なんて、冗談じゃない巨大生産製造能力を誇っていたアメリカの製造業が、今や見る影もなく衰退しているその訳も「サービス業や金融業を中心に産業構造の転換が行われた」結果であり、モノ造りが衰退し、多くの製造業が無くなったのですから、盛者必衰の世の中とはいえ無残なモノです。

このように日本は、高度技術に支えられた基礎部品、製品の輸出と技術ロイヤリティーによる収益構造に方向転換を計ったのです。
しかしこの事は、韓国にとり、これまで陰に隠れている事ができた日本が別の方向に向かい、韓国が加工貿易に付随する問題の正面に立つ事を意味しました。

だが不幸な事に彼らはこれを、「自分たちが日本を追い抜いた」のだと受け取った。
これは本当に不幸な誤解だった――日本にとっても韓国という国とその国民たちにとっても。

なにせ、2017年の現在でも、いまだに基幹部分に日本製基礎部品を置いたり、日本から取り入れた技術によってその信頼性を保っている製品を輸出して立国しているにも関わらず、「追い抜いたのなら日本は不要ニダ」と思い込んでしまったのですから。
これが産業だけの話なら、まだ救いがあったでしょう。
それはどう思い込もうが、日本製基礎部品を使い続けなければ、製品が完成しないのだから、不平不満をブツブツと言いつつ鵜飼いの鵜よろしく利益を吐き出しながら日本から必要な部品や装置を購入し続けるしかない。
日本も商売なら、商売と割り切って支払いが途絶えない限り、韓国が必要とする部品を下ろしてくれただろう。

しかし、彼らは国としても「追い抜いた」と思い込んでしまったのだ。

この誤解は日本が「失われた二十年の停滞」とミンス政権下での際限のない極端な円高に喘ぎ弱っているように見えたからだった。
しかし、日本が超円高なので相対的に韓国の競争力が一時的に上がったダケだった。
また、輸出入依存度が50%を超える韓国と違って、日本の輸出入依存度は10%ほどでしかない。
しかも内需国内市場は85%を占める超内需国だから、輸出競争力はいうほど日本経済には影響力を左右しない。
それどころか80年代90年代の日米貿易摩擦やら自動車戦争と言われた当時の反省から北米市場ならアメリカやメキシコに現地工場を築き、欧州や中国から東南アジア諸国まで、今や日本の車を始めとする製造業は、日本でしか作れない高付加価値、高技術の精密部品を除いて輸出先の現地生産が主流である。
確かに少子化高齢化の促進による低成長と経済の委縮は進んでいるが、韓国や中国はそれ以上である。

90年代に単純な輸出産業国から日本が脱皮し、今の欧米から中国までもが羨望しても手に入れられない「高付加価値の高技術の産業立国」に日本が生まれ変わったコトを韓国は正確に見抜くべきだった!
しかし、同時期、日本が経験した『90年代のバブル崩壊』がその日本の真の姿を、くらます煙幕の役割を期せずして果たした。
そしてその日本のバブル崩壊すらも、今のリーマンショック後の世界に先駆けて、金融機関を統合再整備し(バブル前と後で40あった金融機関が三つにまで日本は整理された)、そして低成長需要不足のデフレ化社会に適合した社会構造に転換していたのだと気付くベキだった。

しかしまったく見抜けずにいたその結果が、現在だ。

韓国のその国家的行動が内政だけでなく外交面でも、“常軌を逸したモノ”になったのは、これが原因であろう。
韓国の人々は世界を見ていなかったのだから。
ただ世界の代わりに日本だけを見、日本だけに対抗する事が、『彼らの世界の全て』だった。
そして、すでに彼らの世界では日本は「追い越した」国、つまり自らよりも下位に位置する国であり、上位に位置する韓国の行動はどれだけ世界の常識から外れていようが、日本との間ではそれが正当なもの、という思い込みで行動したのだ。

これは、これまで、良くて日本の二番煎じ、悪ければ日本の一部だと思い込んでいた世界に「韓国という国を知らしめる」結果となった。
そしてこれまで世界の人々が抱いて来た、韓国製品に対する違和感への結論となったのだ。
「日本製に似てるけど、ちょっと違う、でも少しだけれど安いし、似たようなもんだから、大丈夫でしょ?w」
という大多数の世界の人々が抱く違和感への答えとしては強烈過ぎたと言える――いや、皮肉でもなんでもなく

だが、日本製品と峻別された韓国製品は国際社会で世界市場で、生き残りを掛けた熾烈な競争の中に放り込まれる事になった。
とはいえ、自前の独自技術がほとんど無い韓国製品は、日本からの基礎部品供給が止まれば、滅びる以外無い。
さらに、80年代からすでに社会問題となっていた韓国による日本製品のパクリ――いや、あからさまな産業スパイや特許侵害行為に日本側は法体系から個々の企業のコンプライアンス(企業信頼)からの内規や規制を強め、その構成員は元より、退職者すらも退職後身に着けた技術や知識を手土産に同業他社に容易くリクルートできないよう企業防衛を高めて行った。

この結果、韓国企業は新規事業や新製品の開発競争において苦境に立たさることになった。
元々、韓国の企業には財閥と中小零細企業で資本力に隔絶した差があった割に、大きな財閥大企業も、零細な町工場にも技術の蓄積はほとんど無かった。
近年の韓国製スマートフォンが発火、酷い場合は爆発するなどの不具合w が出たり、液晶が赤くなったりする不具合が続発しているのも。
その原因すら何か月かけても一向に掴めないのも、ながらく韓国企業が「日本企業をキャッチアップ」という名のパクリや産業スパイ、技術者の引き抜きに安易に寄りかかり自前の技術や人材を育てて来なかったからだった。
しかも、それを日本にだけでなく、欧米に対しても仕出かした。
結果――まあ、韓国人だけでなく中国人もそうなのだが、世界中のIT産業から航空宇宙産業まで今や先端技術産業分野では『中国人、韓国人の立ち入りお・断・り』が当たり前の有り様になっている。
これは中国人も韓国人も、「ヤラカシ過ぎた」ので自業自得なのだが、もはや新製品を開発しないと輸出を回して行けないのに、彼ら韓国人には肝心のその開発能力が無い。
だがその上、今現時点で足踏みしている余裕すらも最早存在しなかった。
中国を始めとする新興国が韓国の後ろから急速に追いかけて来ていたのだから。
すでに価格面ではまったく太刀打ちできなかった中国製品に対抗できていたのは、信頼性の面だけだったからだ。
これまでは『日本製、日本企業』と誤解させることで日本の信用の上にタダ乗りができ製品を海外に売り込み、輸出競争を生き延びて来た。

しかし、韓国は韓国人はその日本と敵対することで、韓国産業は滅びようとしていた。
日本に対する告げ口外交を始めとする「非常識な日本敵視の有り様」が悪目立ちしたのに加え、欧米の企業は日本ほど「特許や製品のコピーや詐取」には寛大じゃなかったのだから。
スマートフォンのアップルを始め、韓国企業のコピー商法は世界的にスッカリ有名になってしまった。
その上に、実国際社会で長年かけて信用信頼を積み重ねて来た日本を悪しきざまに罵り、貶めようとするのだ。
これが最初の内や、日本が国として満足に国際社会に『自分の潔白を積極的に主張』しようとしない間は良かったが、長らくの戦後自虐史観から目覚め、特亜の中国や韓国の言いがかかりにキチンと一つ一つ反論反撃するようになれば後は時間の問題だった。

ほどなく国際社会は、特亜の国々が『歴史戦』と称して日本貶めの為の悪意の塊のような宣伝戦を行っているコトに気付くことになる。
そして、同じ特亜三国でも中共や北朝鮮なら、「日本に敵意を燃やす」のもなんとなく理解できる。
だが、日本に世話になり、日本に頼って助けられることも多い、それも西側の一員で米国と共に日本と同盟関係にあると見られている韓国の『告げ口外交』を始めとする見苦しい「デスカウントジャパン」の日本貶めに躍起なる姿は理解し難かった。
それも、最初は戦前の日本悪論から慰安婦などのように誤解されそれが国際社会に広がってしまった例もあったが――戦後七十年を過ぎようとするのである。
大戦当時の経験者も無くなり、経験から充分歴史に移るような時間が過ぎているのである。
そんな過去の話を蒸し返し、戦後生まれの世代を弾劾するというのは国際社会でも異様だった。
そして、遅くらばせながら、資料(ソース)付きで日本が反撃に出ると、最初は「日本は過去を無かった事にするのか?」と特亜側に立っていた国々も、欧米に保管された戦争当時の資料を掘り返してみても、戦時とはいえ日本が行ったという『軍による性奴隷狩り、強制連行』などという事実も証拠も一向に見つからず。
逆に日本の潔白を証明し、朝鮮側が朝鮮人の女衒(ぜげん)や人買いの証拠や、その取り締まりを日本側が行った当時の記事まで見つかる始末だった。
こうしてアメリカを中心に、国際社会においても韓国の日本敵視を疑問視する空気が徐々に醸成されていったのだった。
そして決定的だったのが韓国の背信行為だった!

反日反米のみならず親中従北をあからさまにして中共に擦り寄る韓国の姿。
決定的だったのが中国で開かれる抗日戦勝記念式典の軍事パレードの式典に韓国の大統領が出席した事だった。
この衝撃的な光景に、欧米を始めとする国際社会は韓国が中共らレッドチーム側に行ってしまったと確信した。

しかし、その後の中国の防空識別圏の設置や南洋での埋め立てなど、領空領海を巡る度重なる挑発と隠そうともしなくなった侵略の野望に、北朝鮮の核開発と弾道ミサイル開発の危機の高まりに、アメリカは韓国に踏み絵を迫った。
半島韓国国内へのTHAAD配備の実現と、日本との和解を韓国に迫ったのだ!
これが2015年末の日韓合意だが、過去何度も繰り返してきたように韓国側は『日本大使館前の少女像(慰安婦像)』の撤去にのらりくらりと応じようとせず、逆に日本側が『10億円を拠出』すると一転して大使館前の像を「民間が勝手に据えたモノ」と強弁して強制撤去を始めとする排除を拒んだばかりか、
釜山の日本総領事館前に新たに違法設置された像について日本が抗議すると、これまた「民間が……」といいワケするばかりで居直る姿勢を見せた(棒

ここ、これに至り日本側は韓国に対して、過去に例の無い強い態度で挑む――大使の日本帰国と、一切の日韓間の政府交渉を打ち切ったのだ。
韓国側はこれに慌てふためくことになった。
日本の大使帰国はその後三ヶ月に及び、そして何よりも日韓合意を経て回復させようとした日韓関係を日本側から打ち切り、それはそのまま韓国側が欲し求めていた「日韓スワップの再締結」に関する交渉の打ち切りを意味していた。
すでに中国とのスワップ(ドルでなく人民元で効果は怪しいが……)は、今年中に期限を迎えるがTHAAD問題から延長はあり得ず。
さらに数年前にアメリカに打電した米韓ドル通貨スワップの要請は米国側に「鼻で笑われ」蹴られていた。

輸出入が国の産業に占める割合の高い韓国は外貨準備に不安がある。
98年もそうだが、韓国の実質的な外貨準備高は、緊急時自由になる外貨はそう多くは無かった。
多くは米国債などの信用と流動性のある形ではなく、利率こそ高いモノノ、イザという時現金化が難しいギリシャなどの国債や途上国の債権として運用されていた。
また3711億ドルだというが非常時に現金化できる資産に割合は1年前に比べ増えるどころか減っており「韓国の外貨準備は75%がウソではないか?」なんていう憶測まで流布する有り様である。
その為、アメリカや日本と通貨スワップを結ぶコトができれば、日米をあるいはそのどちらかを保証人にできるので、韓国の信用が高まり助かるのだが……ハッキリ言ってしまうと、日米いずれにも「韓国を一方的に救済する」だけの通貨スワップは何の得もなかった。
これが北や中共相手の同盟国だというならば、軍事外交面からも日米が韓国をバックアップし支え助けるのにも意味があったが、日韓合意にしろTHAADにしろ履行の約束を守るかどうかハッキリしない上に、十年以上前から中共への軍事情報の横流しが疑われる有様では、韓国を積極的に助ける気になれないのも当然であろう。
あと、米国は韓国との間に統帥権返還問題で在韓米軍の撤退を進めていたし、日本も韓国との間のGSOMIA(日韓秘密軍事情報保護協定)において、過去に何度も締結直前でちゃぶ台返しを食らい、さらに現状も遅々として話が進まないというのも反日反米、親中従北の新大統領が選ばれた韓国に対する“不信”を深めていた。

とかく韓国の現状は、ここ十年の過去の行状を見ても日米に「同盟国としての資格を疑わせる」に十分な敵対的で悪意のある行動言動の数々であったし、何よりも日米共に韓国という国について緩衝国としての価値や必要性が薄れていた。

繰り返すが日本は、大陸半島勢力とは例え全面的に敵対しても「明治以来の懸念だった“対馬海峡での防衛”に自信が持てる」今、なんら問題は無かった。
そして太平洋を渡った東アジアで最大の重要同盟国日本が渡洋して渡って来る大陸半島勢力からの防衛に自信があるなら半世紀以上前からのアチソンラインに38度線から防衛ラインが後退してもアメリカもなんら異存は無かった。
むしろ、いつ裏切るか分からない弱兵国を味方に戦争や外交するよりも「敵味方がハッキリして」スッキリするとさえいえた。
経済面でも何度も煮え湯を飲まされている日本はもちろんのコト、アップルのスマートフォンやタブレットを始め、見境なくパクリ、産業スパイをする韓国産業はアメリカから観ても苦々しい存在だった。

このように韓国を見やる日米の視線が温度を下げる中、韓国国内のマスコミの中には「日韓同盟破棄を盾に米国を脅せば『韓国が要求すれば米国は必ず応じる』ハズだ」なんていう意見まで出ているというから呆れたモノである。
スポンサーサイト
  • コメント : -
  • トラックバック : -

Appendix

最近の記事