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問題の根本は当たり前と言えば当たり前……が通じない世の中か?

推摩 一黙のブログ 2017年06月29日 10時09分

さて、前回の記事で久々にコメントを色々と返すコトができました。
そこで色々と書いたり読んだりしていて思ったのが「自由と無責任は似ているけど違う!」ということですかねぇ?
当たり前といえば当たり前の話ですが、今の世界で起きてることの半分くらいは「その“当たり前”ができていない」コトから引き起こされているよーな気がします。
まあ、残り半分は宗教やら昔からの権力闘争やらのどうしようもない「しょーも無い理由」からですが(苦笑……これは人の世の常で無くなるコトはないでしょう ┐( ̄ヘ ̄)┌

さて、しかしもしもそれ以外の残り半分が『自由と無責任の履き違え』や『他者への敬意とお互い様の精神の譲り合いや弱者優先などの共同体や社会を、人間関係を円滑に維持していく為の“当たり前”の精神の欠如』だとするならば、まだこれから先の世の中の改善の余地には希望が持てるんじゃないでしょうか?


別に今の世界に偽善であれ善意であれ、人間が本来持つ、社会性の健全な精神や他者への敬意、慈しみの心、同情心などが失われたワケではありません。
むしろ、我利我利の欲に憑りつかれたグローバル主義者、新資本主義者が居る一方、無私無欲で困っている他人の為に何かしたいと思う人も多くこの世の中には居るのですから!

別にそれは特別なモノでなくても、普通に日常の範囲で生活でも仕事でも見出すコトができます。

・自分の職務に忠実で責任を果たす
・人との時間や約束は守る
・強者ほど弱者に気をかけ、助け優先するようにする
・他者への思いやりを持ち、互いに敬意を払う

等々、挙げてみてもごく普通に“当たり前”のコトでしかありません。

さて、しかし残念なコトに今のたいていの世界では世の中では、その「普通に当たり前のコト」がおざなりにされています。
逆をいえば、日本が日本人が外国から見て驚かれ、感心されるのも「ごく普通に当たり前のコトをちゃんと当たり前にできる」からなんじゃないでしょうか?w

道路では交通ルールを守り、自動車は交通弱者である歩行者を優先する。
あるいは、相手に道を譲り合う――日本に来て外国人が驚くコトの一つに交通マナーの素晴らしさがあるといいます。
たいていの国では、車がクラクションを鳴らして歩行者を「そこのけそこのけ」と蹴散らさんがばかりに我が物顔で振舞います。
あるいは歩行者も交差点ではなく、道路を気ままに横断したり、車が来ていなければ赤信号を平気で渡ったりすることが、そちらの方が当たり前です。
しかし日本に来ると、車は歩行者を優先して待ってくれたり、先を譲ってくれますし。
歩行者もちゃんと交差点で、しかもよほど狭い路地でもない限り、赤信号をキチンと守り青信号になるのを待って渡ります。

こーした日本における交通ルールや歩行者優先の精神が外国人から見ると逆に新鮮であり、感心させられる点だといいます ┐( ̄ヘ ̄)┌
あるいは車同士のコミュニケーションである「サンキューハザード」と呼ばれる、車で先を譲られたり、 追い越しや走行に戻る際にライトを消してあげたりしてやり取りするやり方は『日本独特』の交通文化w のようでして、海外の日本感想なんかで、母国に帰った外国人が日本の「サンキューハザード」の文化を懐かしみ、ギスギスした自国の交通事情を嘆く話なんかもありますし。
あるいは中国や韓国などから日本を訪れて、ほとんどクラクションを鳴らすのを聞かない日本の交通事情に驚く話なんかも多く聞かれます。

また、老人や子供、障碍者が優先され、車がちゃんと待ってくれる日本の交通文化にも、せっかちに車が歩行者など蹴散らすようにクラクションを鳴らし、待とうともしない海外から見ると驚かされるのだとか!?

その他、歩行者も車が待ってくれたり、先に渡ったり横切るのを待って譲ってもらうとちゃんと礼を返したり、勝手気ままに道路を横断したり、赤信号を渡ったりしない日本人の姿に驚かさせられるんだそーですw

どれも日本人からすれば「譲り合いの精神」と「親切には礼をいう」そして「交通ルールをキチンと守る」というだけの『普通の当たり前のコト』です。
ですが……その普通や当たり前ができない国や社会が日本の外には実は多いんですよね(苦笑
それは交通規範だけでなく、社会の様々なコトに及びます。
日本の公共交通――特に鉄道関係の時間の正確さは海外でも有名ですが、キチンと列を作って並んだり、バスや列車で降りる人を優先する姿はいまだに驚きを持って語られます。
日本人からすると「ちゃんと順番を守った」方が結局は早いというのが常識となっていますが、海外では違います。
列を横入りしたり、まだ降りて来る人が居るのに乗り込もうとしたり、好き勝手に隙あれば自分だけが得をしようとします。
結局、実際には混んだり、悶着が起きたり、やり返されたりで損するのですが、日本で実際に見て体験するまで分からない外国の方の方が多いようです。

このように日本や日本以外でも『普通の常識的なハズの話』が世界ではどうやら奇跡的な例外のようでして、普通に考えたら社会マナーや常識でしかない「列を作って並ぶ、横入りしない」や「降りる人を優先し、その後、乗り込む人は乗る」などの基本的なマナーや常識すらもたいていの国では守られないのがむしろ『当たり前』なようです!?

さて、しかし実際の社会の安定安心度や暮らしやすさにおいて日本と世界ではどうでしょう?
日本のような「キチンと社会規範やルールを守る」国の方が、結局は暮らしやすく得をします。
互いに規範ルールを守り、敬意を持って譲り合う社会では「お互い様」で回り回ってその善意やバカ正直さの恩恵が返って来ます。
同じように外国では「自分が自分が!」とルール破りやズルをして得をしているつもりが、結局はこれも同じくその報いが回り回って自分に返って来ます!
誰もちゃんと社会規範やルールを守らず、隙あれば他人を出し抜こうとするのですから ┐( ̄ヘ ̄)┌

そしてこーした「当たり前の普通の社会マナーや常識を守るか? 守らないか?」で日本とそれ以外の世界では「驚かれるほど違いが現れる」コトになっているのでしょう。
世界の日本評を聞いたり読んだりしているとそう強く感じます。

さて、外国人から見ると「日本人は宗教の戒めも無くても、礼儀正しくキチンとしている」と驚かれてしまうのだそーです。
また、311震災や台風などの自然災害に見舞われた際も、「災害救助に向かう警察や消防、軍隊が丸腰で平気」な日本の非常時でも秩序と他者への思いやりが失われない姿が驚きを持って見られていました。
非常物資に我先に群がったりせず、列を作り、あるいは協力してリレー方式で避難所に運び、キチンと平等に――いえ、女子供や老人などの弱者を優先して配る。
あるいは暴動や略奪が起こらない……先に「被災地救難に駆け付ける警官や軍隊が武装する」のが実は海外では当たり前で、カトリーナの洪水災害の際も暴動略奪が当然のように起こり、被災民の中にはライフルなどの銃器で武装している者も居た為、自衛の武装は必要でしたのに、311震災の際に米軍などが驚いたのが自衛隊も警官も『ほぼ丸腰で』それが当然というように救助活動に向かい、そして暴動や騒擾がほとんど無かった事であったといいます。
それどころか、せっかく運んで来られた救援物資を欲深く独占しようとせず、「隣の何処そこの方が被害が大きくて困ってるハズだから、そちらを優先して挙げて下さい」と必要最小限しか受け取らず、譲り合いの精神を見せる日本人の姿を見て米国軍人は感動したそうです。

そして、311震災以外でも去年の九州の震災でも同じような秩序だって互いを思いやる日本人と日本社会の姿に世界では『信用と信頼』が高まったといいます。

さて、震災天災の類はこれから先の時代、残念なコトながら世界では増えてゆきそうです。
その時に、日本ではごく当たり前な『お互い様の精神』といいましょうか? 互助の姿は、世界では極々珍しい例外なようです。
しかし、本日見て来ました通り、平常時からの社会規範やルールを守ろうとしたり、災害や非常時には政府から一国民まで一丸となって迅速な対応と復旧に向かう日本の姿は「一つの模範になる」のではないでしょうか?
そして、この災害や非常時の勇気や思いやり、他者を気遣い助け合う精神は決して日本だけのモノではありません。
無論、無秩序状態に陥った被災地で暴動略奪、あるいは救援や復興が一向に進まない現実もありますが、その一方で欧米などで、竜巻や洪水、あるいは干ばつで大規模な山火事などが起こった際、自分の身も省みず救助や避難誘導に駆け付ける気風、文化がちゃんと日本以外の海外でも見られます。
また、日本に来た外国人の多くが日本に住み慣れると、列を並んだり、路上で歩行者優先に意識が変わったりちゃんとやれるようになります。

今、グローバル化と新資本主義が引き起こした弊害が問題視され、国境や人の行き来が見直されています。
また、産業空洞化の問題にも目が向けられ金融至上主義的な価値観考え方も疑問視され始めています。
アメリカなどの大学学生ローン問題も、大学制度の工夫や見直しで色々と試行錯誤されていますし、無秩序な自由化は見直され、地域社会や国境の意味や価値が再び見直され始めています。
トランプ大統領の誕生や英国のEU離脱(ブレグジット)などは、いささか行き過ぎのように言われていますが、今までの揺り戻しだと思えばむしろ当然の現象だと思います!

そして、今のように極端な勝ち組負け組が生まれる許される社会もまた見直されようとしています。
その半分は昔からある競争や権力闘争ですんで無くなるコトも改善するコトも無いでしょうが、もう半分の『互いを尊重し、安心安全な社会共同体を形成する』コトに関しては希望があると思います。

その過程で、おそらく「ごく当たり前の社会規範や道徳を取り戻そう」とする動きが重要となりますし、同時に国境が何故無くならないか? 国がどうして違うか? その根本的な意味が――同じ社会共同体を共存共栄協力して築き保持していく意思の無いモノは「その国に社会に居場所が無い」その民族宗教文化に言語の違いによる棲み分けが『国境を生んでいる』というこれもまた当たり前の話が再認識されつつあります。
ソ連同様に壮大な社会実験だったといえるEU統合は、見直しや分裂が言われ出していますし、キリスト教圏の欧州に大量のイスラム系移民や難民を無定形に受け入れていた歪も限界に来ています。
これらの相容れない問題は、折り合いをつけるか? 排斥するか? これからどんな未来を選ぶか分かりませんがそう遠くない将来、決断と決着を迫られるでしょう。

その過程を通じて、これまでの国際分業と流通交通、投資による交流は何らかの“規制や制限”が生まれ、新時代の鎖国とでもいうベキ時代に向かうのではないでしょうか?
特に、イスラム系と中華系の流民難民は、健全で先進的な国ほど拒否されると思います。
安易に「整った社会福祉制度と民主主義」下の自由や人権の尊重という“果実”をこれら蝗のような宗教や中華思想で身勝手を押し通そうとする限り、移民移住は許されなくなるでしょう。
そもそも人口が多すぎますし、移民先の社会や経済を食い潰し破壊しかねません。
特に中国人は、油断していると欧米日本からアフリカの資源だけはある途上国まで、「中国より“マシ”ならどこにでもw」という感じで、本当に蝗のごとく群がり、その地域や国や社会を食い潰しかねません!?
それが許されない、許していては現代文明そのものが滅ぶ原因になりかねない恐れがあります。

そうした国境の再確認と、社会のごく当たり前の規範と良識を取り戻すべく『新鎖国の時代』とでも呼ぶべき、今の今までのグローバル化や新自由資本主義の美名の下、無節操に移民や資本や物流の自由を許し推し進めようという動きは見直されるでしょう!

なんといいますか、私はそのように予想します。
そして、日本は『規範と互いを尊重する』社会がどれほど大きな安心と成功を生み出すか? その実例となる役目を果たすと考えます。

というのが今回の結論ですが……皆様はいかが思われ考えられますでしょうか?w
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