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「中国の“喪”夢――絶望」

雨のち晴れの記 2017-09-29 08:39

『若者の夢』を奪う「中華夢」に一黙さんから長いコメントがきました。

私のブログが少し刺激したのかもしれません。コメントいただけるとうれしいです。
中身はやはり面白い。
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「戦争できない時代はデフレが進んで当然か…」by推摩 一黙@ネ

こんばんわ~
「韓国のヘル朝鮮」ならぬ「中国の“喪”夢――絶望」ですか。
●毎年800万人から1000万人の新卒大卒者を世に送り出しながらその三分の一も正社員になれず。
残り三分の一は「大学はでたものの」日銭を稼ぐ非正規でしか職場はありません。
さらに残り三分の一は「その非正規、アルバイターとしての職さえからもあぶれ」就職浪人として都市部で貧困と先の見えない将来に絶望しています┐( ̄ヘ ̄)┌
そーした「望んだ職や活躍の場が全く無い高学歴の若者」が都市部に2000万人以上吹き溜まっているんだそーですね(棒
この若い不遇層に、工場や建築現場が減り行き場を無くした2億(!)以上の農民工が合流すれば「いつもの王朝末期のお約束」が再演されるのは目に見えているんですが――時間のもんだいでしょうねぇ┐( ̄ヘ ̄)┌
さて、そんな特亜の絶望に対して、日本でも「物欲の無い若者」がご指摘の通り問題視され取りざたされています。
●でも、バブル以前の高度成長期とバブル以降では『そもそも条件が違い』ません?
90年代までは、車の一台も持たねば彼女もできない!? という時代ですし、音楽や動画、ゲームを楽しむのにもウォークマンやビデオデッキ、ファミコンなどのゲーム専用機を持っていなければ楽しめませんでした。
さらにそれらハードで再生するソフトもカセットテープや音楽CDアルバム、あるいはビデオを買うなりレンタルし、ゲームもゲーム機に合わせたゲームソフトを一々買い揃えなけれななりませんでした。
昔はそーした便利なハードやソフトが無かったので娯楽といえば麻雀やパチンコをしたり友人や同僚、上司と飲みに行ったりするしかありませんでした。
そういうアナログな時代と現在はガラリと変わり、従来の娯楽産業に頼らなくても個人で楽しめる趣味や娯楽の選択範囲が豊富に提供されるよーになってます。
あと、無理に車を買わんでも公共交通インフラが日本では一通り普及し整った中、車を仕事や田舎での足代わりとしてでもない限り、無理に持たずとも困らなくなりました。
むしろ車ローンや駐車場代などの無駄金を掛けず、その分を趣味や別の楽しみに回した方が賢いです。
今の若者が車も酒もパチンコなどの遊興にも無関心だ! 欲がなくなった! と騒いでますが「違い」ます!
昔は車をドライブで走らせたり、飲み会に参加したり、パチンコや麻雀するくらいしか「選択肢が無かった」んでそうした方に消費が盛んだっただけです。
今はそーした古臭い、カネと時間を無駄にするよりも、もっと魅力的で面白い遊興や娯楽がいくらでもあります。
音楽も動画も店先に買いに行かなくてもネットで簡単にスグ購入できますし、ゲームもまたしかりです。
それどころか、今の若い世代は2Dや3DでもCGイラストをその気になれば誰でも作れますし、あるいはソーシャルメディアに観光地や美味しいお店の料理をUPしたりして新しい楽しみを消費者たる若者たちが作り出しています。
その他、昔から居ましたが劇に役者として参加したり、あるいはバンドを組んで創作活動に励んだりするのも容易になりましたw
と、いいますか極端な話、楽器を持たなくてもPCなどで曲を音楽ソフトで作曲して様々な楽器での演奏を画面上で一人で作り上げ完成させたり――どころか、最近は別にボーカルに歌手を用意しなくてもボーカロイドなどの『声の代用品』がある時代ですからねぇ?

●そうしたセンスや才能、努力が必要な創作活動や趣味でなくとも、各地の観光地や名所、あるいは美味しいラーメン店や飲食店を食べ歩き、自分で見つけた・経験した発見や感動をFBやブログに画像付きでUPして、その記事に対する皆の反応を楽しんだり……と、カネを車や賭け事遊興に無駄に使わずとも、もっと有益で楽しい選択肢が昔と違って沢山あり、今の若者はそーした「一昔前には無かった、想像もできなかった」趣味や楽しみには惜しまずにカネを注いでますよ?
ネット以外でも演劇や音楽などの創作活動や食べ歩き。  
さらには、飼っているペットや地域の猫なんかを写真や動画を撮ってネットにUPしたりする人や、面白いイタズラ動画を作ってUPする人もいます。
ま~、このように目に見える形やハードにカネ掛けずとも、別な主にソフトや、あるいは形の無い経験や体験型の娯楽がいくらでもありますし、そちらに消費行動が移っているダケだと思います。

(h)若者たちの消費傾向・行動のパターンに社会の仕組みと「思考」が追いついていない。理論は現実より遅れて作られるのが常です。この世の中を見て分析する連中が、時代遅れであるから、「無欲時代」なんていうレッテルをはる。メディアもずれている。

でもそういう『若者の動き』が時代を変えていく原動力となるわけで、その証拠にGDPは落ちていない。経済規模が縮小しているわけではない。量を拡大させることではなくて、質の変化に移行していると言う指摘はまったくその通りだと思います。

●そして、日本という国は「海外の観光客がリピーターとなり、何度も戻って来る」コトからも分かるように、観光や名所はいくらでもありますし、他にも地方ごとにかならず地元名物や名産品、あるいは歴史的史跡や特色が豊かな国ですw
さらにこれに四季の移ろい、季節ごとに見事で豊かな様々な顔を見せてくれます。
昔ながらの「飲む打つ買うにドライブ」くらいしか楽しみも無かった時代よりも、今の若い世代……でなくとも、私のような中年でも、もっと多趣多彩な趣味や楽しみをいくらでも楽しもうと思えば楽しめますしねーw

例えば、最近は描いていませんが、私はいわゆる「マンガ絵、萌絵のイラストやCG」なんかも描いて楽しんでますし、世間には「才能の無駄遣いw」だの「カネを払いたいの受け取ってくれない鬼才」などというように、高クオリティな作品に対するほめ言葉だけで満足して動画やイラスト、漫画、CGなどで見事な作品を世に送り出している才人はいくらでもいますからねーw
逆に、そーした「無償で高クオリティ作品を世に送り続けて」いた人を出版社などが人材発掘して書籍などの形でまとめて出版させたり。
あるいは玄人はだしの素人作曲家にアルバムデビューさせたり、ボーカロイドなどに歌わせていた歌を、ちゃんとした歌手に改めて歌わせて世に改めて送り出させたり。
その他、ニコニコ動画やYOU TUBEなどで「歌ってみた・踊ってみた」などの動画をUPしてる人の中から上手い歌い手、踊り手をこれまた発掘し、プロになった人もいますからねーw

(h)私のようなアナログ人間でも今はやりたいことがたくさんあります。本当の意味で《個人主義》が成熟している社会、《個性主義》の展開があると思います。そして一黙さんの指摘するこのような「道具」を使いこなして《個性》を発揮するのは、その個人個人がそれぞれの趣味や嗜好を生かして、いろいろの情報を発信して、自分の「人生を楽しむ」と言う《ライフスタイル》を作り出している。

日本人の特性なんだと思うけど、盆栽とか生け花にせよ、「個性」を重視する文化がある。高度成長期は、ある意味軍国主義に染まった《全体主義》的社会で、本来の日本人が得意とする生活様式ではないのです。俳句・短歌なども「個性」に基づく身の丈の「エンジョイ」です。

それらをお互いが尊重し合う。日本は「箱庭文化」だと言われるけど、それこそ「個人主義」が西洋のように声高に言わなくても出来上がっている文化だと言えます。

アンメリカとヨーロッパを比べたら、アメリカは地域文化が無かった。インディアンは個性的な定住を生み出さなかったから。今中国がアメリカに習って、地域文化をなくすような動きを見せており、「全体主義」的文化になっている。アメリカはむしろこれから「地域文化」を創り出していける「歴史」をやっと持ち始めたとも言えます。

日本は江戸時代に各藩が殖産に励んだことで、地域文化を育んできた。そしてそれらを棄ててこなかった。今になってそれらの「豊かさ」に気づき始めたと言えるでしょう。問題はそのような地域文化を維持し続けた努力ができるかできないかです。お金に絡めて考えれば、捨ててしまいます。それをしなかった。

街づくりでも、伝統的な一角を残す、保護する。それと対比できるのが中国の高層住宅を作るために古い街並みを残らず破壊していく行為。こういうものは「個性」を認めない「全体主義」的行為だろう。これがつづけば、どうなるか。少し恐ろしい気がします。

ですが、たいていの国は高度成長期が終わるとその後、若者の失業率は上がってしまうのは「せっかくの高学歴な若い人材に、その才能にふさわしい職を用意するコトができない」からです。
中国が毎年大卒の新卒だけで800万人世に出て来ることはご存知の通りです。
しかし、中国に毎年、大卒にふさわしいポストや産業への就職を800万人分も用意できるのか? と聞かれたら怪しいモノであるとしかいえないでしょう┐( ̄ヘ ̄)┌
むしろ、高卒程度の学力や集団の中での協調性があればコト足りる工場での組み立て作業にも大卒が殺到するコトになります。

(h)一黙さんは中国を言いますが、実はヨーロッパでも北と南の問題、スペイン、ギリシャ、イタリアなどの失業率の高さは、中国や韓国と同じ原因です。

高度成長後の問題、アメリカだけがなぜそれが起きなかったかと言うのは、1つには移民、2つには産業構造転換だと言えます。ところが移民は、真似できないのです。アメリカは移民からなる国で、アメリカの憲法の枠内において「人工的な国民」が作られる。ところがそれ以外の国は「民族国家」が基本です。アメリカには「民族」がない国家なんですね。

こーした点を考えても平和なコトはけっこうですが、平和な時代のままでは、インフレ基調からデフレ化へ移って行くのを止めるコトは難しいというか不可能です。
そして、デフレ低成長時代には親の世代の時と違って年功序列で毎年給料は上がって行くという期待は持てなくなります。
成長が頭打ちになる以上、そうした時代には時代に合わせた生き方や価値観の転換が必要なのではないでしょうか?
さて、しかし皮肉な話ですが、こうしたデフレスパイラルと低成長の状態を打破するには平和ではなく戦争が一番問題解決については手っ取り早いんですよね。
戦争になれば、軍需物資の生産で需要が増えます。
さらに平和な時代には過剰だった工場などの生産設備が戦時には破壊よって強制的にリセットされるコトもあるでしょう。
さらに戦争で最前線に立つのは老人ではなく若い兵士です。
その結果、若い余剰労働人口も強制的にこの世から淘汰され減らされるコトになります。
救いのない話ですが、戦争によって過剰な生産力と労働人口をカットするのが「一番、安易な道」というコトになります。
ですが、そういう「愚かな道」でなくともデフレ化経済の低成長と人余りを解決する道は実はといいますと「ちゃんとあります」
その方法――前例は、日本の歴史で実証されているんですよ? 実はw

それは江戸時代の元禄時代のその後、です。
戦国時代から江戸初期の元禄の終わりまで、日本の社会と人口は高度成長期を続けます。
具体的な数値として戦国時代には1600万人だった人口が、元禄の頃には3500万人にまで増加します。
さて、しかし2000万人以上の人口増加を裏付けるコメを始めとした新田開発、治水工事の改善による食糧増産は元禄時代に一つの限界を迎えます。
まあ、戦国時代には海外から多くの技術が輸入され。
江戸時代初期には日本中の藩が新田開発や地域の特産品産業作物の増産を競いあった末、とうとう「開発する土地が無くなった」んですよね┐( ̄ヘ ̄)
これ以降、明治に蒸気機関を始めとする新技術が入って来るまで日本の人口は3500万人で頭打ちになります。
その結果、日本では元禄までの「経済成長が当たり前」な時代から「低成長でデフレ化な時代」に様変わりします!?
さて、そんな時代に日本人はどう折り合いをつけたのでしょう?
その答えは簡単ですw
「目に見えない所に手を抜かず過剰なホド手を加え」たり。
一見すると無駄というか贅沢な「趣味の世界に労を厭わず情熱を傾け」たり。
と、いう風に一見すると無意味な酔狂に粋に「新たな意味と価値観を見出した」ワケです。
その結果、凝った芸術性の高い日常品が作られたり、盆栽や朝顔、錦鯉の品種改良が滅茶苦茶進んだり。
お伊勢参りや富士講といった「観光旅行ブーム」が日本中で起こったり……と、まあ過剰な品質の追求や酔狂な趣味を極めたり、あるいは神社に『算額』と呼ばれる和算の発展がこれまた実用とは関係なく競い合い数学として研鑽が進んだり
と、生産量が頭打ちなら、余ったエネルギーや才能を惜しみなく『質の向上』や『趣味、遊びの高度化、芸術化』に注ぎ込み昇華させていったのですw

今の日本も、何度も指摘していますが、「過剰なまでの高付加価値、高技術化を研究開発の情熱と予算を注ぎ込み」安い量産品なら中韓や途上国に競争力で勝てませんが、
大量生産でない「少量多種の高付加価値の高技術を必要とする分野」では、日本は気が付いてみれば世界中にライバルのいない最先頭に立っていましたw
日本は現代も江戸時代も同じで「量の面での成長が頭打ちなら、質を追求するコトで“付加価値”という成長発展を志していけばイイ」だけの話なんです。
そしてその価値観の基準が「趣味の世界の個人の自己満足でもケッコウ」なのであれば、先に指摘し紹介したCGやイラスト、漫画やアニメ、動画や作曲、演劇芸能から食の美食の追求、さらには外国人が皆一様に驚く「過剰なまでのサービスの追求」や「お客への心配り」「顧客満足度の追求」なんかでも別に構わないワケです┐( ̄ヘ ̄)┌
あるいは伝統芸能や武道武術の道を究めようとしたり、逆に日本の琴や太鼓、尺八などの和楽器を現代音楽にリスペクトして伝統を大胆に破る挑戦を行ってみたりw
日本は実は「面白いコト、凄いモノ」が普通にその辺に転がっている国なのですよ?w
インターネットは中露のような巨大なイントラネット以外は基本が『英語圏、英語文化の世界』なのですが、その世界の大部分の情報量に匹敵する「日本語と日本人だけで構築してしまった英語圏とは全く違うインターネット世界」を作り上げてしまっていたりしていますw
その結果、日本人だけで「英語圏」の情報量に匹敵する独自のインターネット世界を構築してしまっているモンですから、世界中から興味深々に注目されてたりもしています。

(h)>日本人だけで「英語圏」の情報量に匹敵する独自のインターネット世界を構築してしまっている。

と言うのは知りませんでした。それって文化の内容が豊富と言うことなんでしょうね。

日本と日本人の価値は高付加価値の産業競争力や高度な技術力だけではなく、そーした「趣味、遊び」の分野や文化でも「無駄に素晴らしい!(もちろん誉め言葉w)」という点にもあります。
そして別に日本は「日本文化や価値観」を海外に輸出したり広めようとせずとも『日本人は今まで通り、自分たちの為に』外の、世界の目なんて気にせず趣味でも産業でもなんでも極めて行けばいいんですw
本当に素晴らしいモノなら勝手に真似したり、受け入れて広がって行くんですからw

(h)鉄道の発祥の地、イギリスを走る日本の高速列車、アメリカを走る日本の自動車・・・・・

昔デズニー、今日本のアニメ、日本が世界に注目されているカルチャーの数々の特徴はなんでしょう。

20世紀の時代が私たちの時代でした。19世紀は侍たちの時代でした。

侍の文化は、貴族の文化ではありませんでした。

ヨーロッパの文化と言うのはキリスト教をベースにしていますが、押しなべて「貴族的文化」「ブルジョアジー」文化です。映画「マイフェアレディ」、シンデレラ物語の19世紀版、フランスの小説「赤と黒」、トルストイの小説「戦争と平和」など、貴族文化であり、貴族階層の倫理観やモラルが文化の特徴だと言えます。

それに対して、日本の文化は「貴族文化」でしょうか。

確かに「貴族文化」の要素も武士階級の文化も、広く「庶民文化」が吸収していると言っていい。たとえば「和歌」は「短歌」に受け継がれていますが、貴族階層の文化は皇室の諸行事に受け継がれているかもしれません。

ヨーロッパにおいて、グーテンベルグの印刷機の発明で、15世紀ごろに聖書が各国語に訳されて、庶民が聖書を直接読むことができるようになった。ラテン語を僧侶や知識人が独占していた。

日本人はひらがなを平安時代に発明して漢字文化とは異なる文化を創り出していく。江戸時代には日本式「漢文」はそこそこの人々、農民、商人などでも読めるようになっていく。木版印刷がきわめて早くに発達した。

西欧文化の音楽、歌劇、絵画、料理などは、貴族社会の崩壊によって18世紀に庶民にも届くものとなった。

フランス革命で宮廷を追い出された料理人が、自分たちのレストランを作り始めたのが、フレンチの始まりだと言います。またベートーベンは貴族たちに頼らない、パトロンを持たない作曲家として革命的だったし、モーツアルトの「魔笛」は庶民の劇場用に書いたものだった。絵画の歴史もパトロンがいて発達したものですが、オランダの絵画が画期的なのは、貴族の依頼によるものではないと言うことです。

《西洋の近代化》と言うのは、文化の《庶民化》だったと言っていいでしょう。そのような観点から見ると日本の文化を支えていたのは《庶民》たちで、日本の文化の本質は《大衆文化》だったのです。

歌舞伎を主とした「芝居」は江戸の庶民の娯楽であり、料理も「庶民」のものでした。

いろいろ考えてみると西洋と出会って以来、日本の文化とかもろもろのものが西洋に劣るものだと言う自覚によって日本の文化を否定するものが多々あった中で、もっとも日本が受けた悪影響はマルクス主義でしょう。

1900年代から日本に影響し始めて、日本の歴史をマルクス主義史観で描こうとした試みの多くが、結果として日本を悪くしていった原因だと思っています。マルクス主義自体をとやかく言うつもりはないけれど、マルクス主義理論を教条主義的に扱った当時の知識人たちが、言ってみれば過去の「文化受容の態度ではなかった」ことです。

仏教にしろ、儒教にしろ、キリスト教にしろ、肯定的であっても『批判的受容する』態度がそれまでの日本の知識人たちと違っていました。西洋信仰の延長で受け止めたのですね。戦後の日本の混乱と自虐的歴史観の無批判的受容は、戦後マルクス主義者の『犯罪的行為』です。

正直、日本文化を破壊する寸前まで来ていたと思います。

マルクス主義的理論は、経済学ではなくて、ユダヤ教の預言者の系譜で読まれるべきであって、マルクスが提唱した唯物史観は、日本では当てはまらないものを無理やり型にはめたことにあり、知識人階層の『堕落』が起きたと言っていい。戦後、それがつづき、メディアも引きずられていく。

「《革新》と言う呪文」であり、呪術に知識人たちがかかった時代であったと言える。マルクスの役割は評価するとしても、日本の知識人たちはだらしなかった。仏教を学んだ僧侶たちの系譜、また儒学を学んだ江戸時代の儒学者たちの「骨のある」受容の態度とは全く違っていたと言える。《流行に乗った》とでも言うべきだろう。だから現在日本ではマルクス主義の学者たちは何も産み出せないでいる。「日本式マルクス主義」でもいいのだが、教条主義になっている。共産党などは全く「生産的活動」などしていない。信者からの寄付で暮らしている言うなものだ。

マルクス主義者からのマルクス批判が無ければそれを発展できないのに。

つまるところ、階級闘争などと言う論も日本では通用しないのです。

「庶民の文化」が日本の歴史の背骨にあったことは、日本を世界歴史のマルクスの自然法則に当てはめようと言うこと自体が無理なのだ。だからマルクス主義者には日本文化の良さは分からないし、維持し続けることなども考えにはないだろう。

日本人がもう一度自分たちの文化について学び直す努力が必要と言える。
>素晴らしいモノなら勝手に真似したり、受け入れて広がって行く
一黙氏の言うこの一言は真実だと思う。
「素晴らしいモノ」を作り続けていくことこそ日本人の役割でしょう。
『復活』する力は、「庶民」にあるのです。庶民=一般大衆です。大衆のレベルを《民度》と言ってもいい。
成長が止まった後にどうなるのか、それが問題です。
最近言われる「西洋の終焉」や近代の終焉は日本が直面していることなのです。
そして何度も繰り返すことは、この1990年以降の30年間は、日本が仏楽するのではなく、再生するための時間であると言うことです。

一黙さんが言う様に、日本のカルチャーをとして日本的な「思考」が理解されつつあるようです。

大きな歴史の転換期にありあす近代と言う文明が終わろうとしています。近代が西欧にもたらしたコインの表の歴史文化、だが表の文化を引き倒すコインの《裏の文化》が現れるのか、それとも『表の文化を継承する新たな文化』が作り出されてくるのか。日本は新しい文化を創り出す先頭にいると思っています。

>世界中が日本の様であれば、どれだけ平和であろう・・・・
とはある映像に海外から寄せられたコメントの一つですが、私もそう思います。
日本の常識が世界の常識になるまで、
>日本人は今まで通り、自分たちの為に』外の、世界の目なんて気にせず趣味でも産業でもなんでも極めて行けばいい
それが一黙さんと私の共通の結論です。
中国の若者たちは「喪」と言う表現で、韓国では「ヘル朝鮮」と自らを表現しています。それらは共通して「現実への絶望」を表していますが、日本では「賢く生きる」生き方を探しているのです。

おのずと違う結果が出てくるでしょう。私は今の若い人たちに期待しています。と同時に年寄りも新しい時代の要請に沿った生き方をやり遂げるべきだと思います。

100歳の人生計画、働けるだけ働くことでしょう。時代にコミットしながら生きていく。そういう時代になっているのです。
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