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(再掲)狂躁亭日乘・『減丁』の思想

おととひの世界 2018-01-20 05:09

(前口上)
手を抜いているということ
じゃ必ずしもなくて
調べてみると過去に自分が書いていた

繰り返しになってしまう
今朝このことについて

中国の権力掌握にほぼ成功した習近平が
現在考えていること
不安定な権力基盤を盤石にするために
絶対に必要なこと

特に中国
あの国でそういうことがあった時
避けては通れないことがある
それは『軍の完全掌握』です
中国の場合それは人民解放軍

中国の周辺諸国の
事情がどうであろうが
国際関係がどうであろうが

やらなければならない時には
やらなければならない
でないと自分がやられる

バラバラに
伝えられていることが事実なら
習近平は権力完全掌握に成功しつつある
しかしまだ完成はしていない
軍の完全掌握がまだ

『軍完全掌握』
実は毛沢東でさえ
それはできなかった
どころか全世界の独裁者
それができていたのは
本当に数えられるぐらい
ナポレオンだとかチンギスハンだとかね

ヒトラーは貴族ではなかったし
『ボヘミアの伍長』と呼ばれた男
何度 暗殺未遂事件があったか?
常に軍服を着ていたスターリンですが
スターリンには軍歴それ自体がない

服役中に総動員がかけられ
スターリンも徴兵検査を
されたがひっかかった
『奇形が原因』と言われる

手足の長さ特に手の長さが
左右でかなり違った
そのことを徴兵不合格事由にされた
実はスターリンの
大きなコンプレックスになっていて
この人物が常に制帽元帥服
その原因だと言う

スターリンという
巨大な独裁者にとっても
『赤軍完全掌握』が実は
最も大きな課題だった

ちなみにスターリン
常に肩腕を折り曲げているでしょ?
手の長さが違うことを隠すため

現在プーチンも
同じようなポーズをよくとっています
おそらく身体的にどうのではない

ロシア国民がスターリンの姿を
自分にオーバーラップ
させるための『演技』ですよ

独裁者は
権力を掌握してしまえば安泰
ということはありません

権力を掌握してからは
自分を脅かす謀反に怯えながら
暮らすことになる

古今東西普遍的に
例外なんかありません

独裁者見かけほどラクじゃありません
独裁者になったらなったで
後々大変になるんです

ヒトラーも何度も殺されかかったでしょ?
スターリンだっておそらくそうで
表沙汰になっていないだけです

スターリンは逆に
少しでもその気配がある人間は
自分から『やらせテロ』を仕掛け
殺してしまっています

若くハンサムで人望があった指導者
セルゲイ・キーロフ

この人物の
国民的人気を恐れたスターリン
キーロフの任地レニングラードに
刺客を送って殺し

暗殺犯訊問にはスターリン本人も
暗殺犯の直接命令者であった
ヤゴ―ダという部下まで殺し

そして『キーロフ暗殺事件』に
かつての自分の革命同志
ほとんどが絡んでいるとウソをでっち上げ
仲間のほとんどを殺した

これを見ていたヒトラー
『赤軍内部に大規模な反乱の動きあり』
というウソ情報をソ連に伝え
スターリンはまんまと信じ込みます
その結果数万人の将校と
5人いた元帥のうち3人が処刑
という異常事態に
『赤軍大粛清』です

よくロシア人は
『大祖国戦争』でドイツ軍にソ連人が
2000万人以上殺された話をするけど
同じ数以上のソ連国民を
スターリンは殺しています
処刑は死刑にするまで金がかかる
タダ飯食わさなきゃならない

スターリンはそんなことはしなかった
ほとんどが強制労働にこき使われ殺された
モスクワの地下鉄は
そうやって作られたものと言われる
毛沢東も同じことやったでしょ?

戦争や大飢饉その他で
自国民が1000万死んでも構わない
それが独裁者

そういう際何でも
自分の権力強化に役立つならそれで
北朝鮮と同じですよね
そもそも金日成の北朝鮮

『スターリンソ連のミニチュア』
として作られた国です

旧ソ連ロシアと中国
どちらもかつてモンゴル帝国の支配下
苦杯舐めたことがある国

モンゴル人や満州人のやり方を
よく知っています

それが『減丁』です


満州人は力そのものが大して
だから大規模にはできなかった
モンゴルは大規模にやりました

それが『元寇』ですよ
『モンゴル襲来』と言ったって
兵隊のほとんどは中国人と朝鮮人

敵前上陸作戦
軍事的には最も困難な作戦課題
大失敗する確率の方がむしろ高い
結局二度にわたるモンゴル襲来も失敗に
それでもよかったんですよ
フビライ‐ハンにとっての目的は達成された
『中国人と朝鮮人の”減丁“』

モンゴル人は支配民族だけれども
数で言えばわずかしかいない
圧倒的に中国人の方が多い
彼らは戦争にかこつけて『口減らし』をやる
モンゴル人や満州人の発想

それが『減丁』
習近平は近いうちにその必要に迫られる
自国民に限った話ありません
北朝鮮に対しても同じことを考えています

もう一つは中国軍部内の内部事情です

江沢民はかつて
対日協力者であったことが
噂されていた人物

上海閥だからあり得る話ですよ
あの天安門事件がなければ
トップに上り詰めることはなかった男
自らの人望のなさはよくわかっている
24時間反乱に怯え暮らした

その不安を解消するため
人民解放軍のご機嫌を徹底的に取り
自分になびく人物をやたらに
出世させている

もちろんそんなことをすれば
軍内部で大きな軋轢が生まれるが
それは独裁者には好都合

一致団結される方が怖い
毛沢東時代もそうだった

文化大革命があれほど大規模な
狂気の集団ヒステリーになったのは

明らかに人民そのものを動員し
毛沢東が軍に脅しをかけた
それが原因です

農政失敗追及を恐れた毛沢東
人民解放軍を押さえ込まなければ
どうにもならなかったから

その時もご機嫌取り人事をやりまくった

しかし鄧小平の時代に
軍の近代化が急務になり
しかし軍内部を掌握できない

鄧小平は何をやったか?
ベトナムに戦争を仕掛けました

50万人以上という大作戦でしたが
アメリカと戦っていたベトナムは
大変強く失敗に終わります

恥をかいたように見える
しかし鄧小平の目的は達成された
軍艦部に恥をかかせて
改革を促すきっかけができたから

今現在の習近平は
全く同じことを考えているはずです
彼らが遠くない将来戦争を起こす理由が
そこにあるんです

(以下過去記事です)

ゲンテイともゲンチョウとも
読みはどちらでも
良いのではないですかね?

丁は『壮丁』の てい・ちょう です
これは中国大陸で
20歳以上の若者を指し

要するに兵隊に使える若者
という意味です

それを減らすという意味ですから
これは中国北方の
草原と砂漠地帯の民族が

ライバル民族を定期的に襲って
自分たちに歯向かわないように
若者を殺すためだけに戦争をやる

その行動を指している言葉です

中国ではおもに
宋の時代に使われていました

この時代は満洲族の
金という王朝が存在し

満州、現在中共が
中国東北部と呼び習わしている
ところに栄えていました

彼らは中央アジア諸民族を敵視し
定期的に襲ってはこれを殺し
自分たちのための
人口調節をやってたんです

それだけではなく
満洲族に捕らえられた若者は
満洲族の間で奴隷にされた
ばかりではなく

中国大陸中原の漢民族の間でも
貿易対象になってました

モンゴル人は
中国人の奴隷でもあったんです

そして中国は中国で
彼ら北方騎馬民族の内訌を煽り
1000年以上続けてきていた

騎馬民族というのは
バラバラだったわけです

ところがバイカル湖の周辺に生まれた
1人の若者が

自分たち騎馬民族のちからを
ひとつにまとめれば

永年の宿敵である満洲族や漢民族を
滅ぼすことができるのみならず
アジアを越えて
ヨーロッパや中東まで
支配できると考えていた


彼は有力部族に生まれていたが
7歳で親を失い

幼い兄弟を抱えて苦労しながら

敵を作るよりは味方にすることを考え
そして自分にとって
最適の時間が来るまで待つ
という忍耐強さと知恵を
身につけていた

彼こそがテムジン
のちの史上最大の征服者

チンギス・ハンです

モンゴルというのは
中心の民族ではありますが
1つの民族を指しているわけでは
必ずしもなくて

モンゴルタタールといえば
チンギス・ハンによって
征服統一された諸民族のこと

彼自身も何度も負け戦を経験し
妻を奪われ強姦された上に

その妻は憎むべき敵の子供を産み育て
のちにチンギス・ハンは
妻を取り戻した後も
その子を育てています

このこと1つを見ても
彼が人並み外れて忍耐強い
人物であったことがわかります

有名な義兄弟の親類
ジャムハとの大戦争

この戦いにもどうやら一度負けている
ところがジャムハは
チンギス・ハンに味方した人物は
ことごとく釜茹でにしたり
残虐な刑を用いて皆殺しにした

しかしチンギス・ハンは違っていた
よく残虐さばかり強調される
モンゴル人ですが
チンギス・ハンは徹底的に忍耐強く
敵にも寛大な人物だったんです


彼は敵を許し敵と妥協し
忍耐強く合意を見出しながら
全ての遊牧民族にとって
共通の敵を設定し

それを倒して1つの国になることを
目標に皆をまとめた

ここで初めて
バラバラだった遊牧民族の力が
1つになった

当時ヨーロッパもまたイスラム世界も
十字軍戦争の時代を
経験していました

ある意味仁義なき戦いで
戦略戦術もそれなりに
発達はしていたが

たとえばまだ騎士道が残っていた
ヨーロッパでは

後見せた敵勢力を追わない
わけにはいかなかった

それはヨーロッパ世界では
恥とされていたことだったからです

ところがチンギス・ハンは
圧倒的な機動力を
自由自在に離合集散させてみせた

いったん逃げたと思ったら
また戻り

潜伏させていた予備兵力と
合流させてまた襲いかかって

相手を目標地点に追い込んで
包囲して殲滅してしまう

後にナポレオンやロンメルが
やったと同じこと
12世紀13世紀にすでに
独創しやっていた

モンゴルは人口で言えば
圧倒的少数派です

征服した後
全部自分たちだけで統治など
できるはずがなかった

そのことはテムジン=チンギス・ハン
自身がもっともよく理解していた

世界史上アレクサンドロスの
帝国と並んで

チンギス・ハンの帝国は
強力無比な諜報工作組織を
有していたことでもしられ

攻め込まれる前に相手国の中枢部は
調略されていたという

たんなる騎馬軍団ではなく
超スパイ帝国でもあったんです


たとえばロシアでこの後
イワン雷帝ことイワン4世が
後のKGBとなるロシア帝国特務機関
オフラナを創設していますが

初代長官には
モンゴルタタール系貴族の
ボリス・ゴドゥノフが就任している

そしてこのモンゴル系の男
のちにロシア帝国のツァーリ=皇帝
にまで上り詰めている

その後の超大国にも
モンゴル帝国の形質は
確実に遺伝しているんですよ

彼は全て軍団編成を重視し
これを行政の単位とする一方で

同時に契丹族や漢族の官僚
続々と登用し

支配民族モンゴル人以外は
万民に機会均等な世界帝国を
目指していた

安定した帝国支配のために
能力至上主義を徹底させたわけです

これは結果的に
後のソ連やアメリカ合衆国のような
巨大な国民国家官僚統治システムの
実験的な雛形になった

はたしてそれは可能なのか?
その最初の実験をやった男が
チンギス・ハンだったわけです

モンゴル帝国は野蛮人の国家ではない
もっとも前衛的な統治システムだった


例えば契丹族の耶律楚材は
チンギス・ハンの最大ブレーンの
1人でしたが

モンゴル人の多くが
中国人は広大な敷地に
やたらに桑の木を植えて
邪魔になるから皆殺しにすべきだ
と主張していたのに対し

桑の木がもとになる
シルク製品は

西域貿易の最大の商品
さらに茶畑から取れる茶は

騎馬民族の兵隊にとっては
壊血病を防ぐ唯一の
ビタミンCの補給源になっている
ことを正しく指摘し

チンギス・ハンはこの意見を入れて
漢族の生活を保障しました
これこそがチンギス・ハンの
やり方なんです

彼はおそらく
文字を理解できなかったと思われる
しかしあらゆる学者の意見を
公平に聞く耳を持っており

徹底的に合理的に
あらゆる諸民族の良いところだけを
見習う精神を持っていた

これが彼が成功した最大の理由です
古今東西
大成功者というのは必ず
待つタイプの人間

チンギス・ハンは
その代表選手だったと言えましょう

チンギス・ハンは
宿敵・満洲族から

『減丁の思想』

だけは受け継いでいました


自分たちは少数派なのだから
ふたたび敵になりえる被征服民が
増えそうになった時

これを減らすべく殺しに行くか
戦争を起こさせるという考えです

この考えはモンゴル人のみならず
モンゴルの征服を受けた諸民族
すべてに受け継がれています

中国人、朝鮮人
そしてロシア人、アラブ人、
イラン人もです


とても冷酷な戦略的合理主義です

中国をば完全支配下においた
モンゴル人の帝国が
フビライ・ハンの元です

この頃すでに中国人と朝鮮の人口が
再び増え始めていました

こうなるとモンゴル人は
何とかしようと考えます

そのころ中国から逃れてきた
禅宗の僧侶らがたくさん
鎌倉に集結していました

彼らはその多くが
傑出した若きリーダーであった
執権・北条時宗の
ブレーンになっていた


北条時宗もモンゴルの襲来には
ずっと前から身構えていたわけで

大陸人からの意見を聞いて
モンゴル人の行動パターンを
つぶさにリサーチしていた

その結果ひとつの結論に達します

フビライ・ハンは日本に対して
敵前上陸攻撃を仕掛けるはずだ

その際兵力の大半は
モンゴル人にとって邪魔でしかない
中国人と朝鮮人の混成大部隊である

つまりフビライは
増え過ぎた中国人と朝鮮人の壮丁を
殺すため、口減らしに戦争を起こす
まさしく『減丁』です


日本征服はダメもとで
できたらいいなぐらいのつもり
中国人と朝鮮人が出来るだけ
たくさん死んでくれればそれでいい

それこそが真の目的なのだから
だからこの戦争は正面から
受けて立たなければならない

外交的解決はありえない

そう考えたからこそ北条時宗は
モンゴル使節のクビを斬ったんです
そうやって退路を断つことで
日本中をひとつにまとめた

これは作家・陳舜臣氏の説ですが
フビライも北条時宗も
お互いに意思がわかっていた
というのはあり得る話だった
と思います

北条時宗はこれに乗じて
それまで勢力が及んでいなかった
西国まで鎌倉幕府の力を
伸ばすことに成功した

急ごしらえではできないことです

かつてスターリン時代のソ連は
ナチスドイツに2000万人も殺された

ロシアの後継国家
ソ連も『減丁の思想』は
しっかり受け継いでいます

日本人のシベリア抑留は
その発想のもとで行われているし

かつてのワルシャワ条約機構軍
内部でポーランドには

20個師団以上の編成を許していた

しかし東ドイツには
それを許さなかった

5から6の東ドイツ師団を
すべてソ連軍が3個師団以上で
1つを取り囲んでいる

いつ西ドイツと一緒になって
自分たちに銃口や砲門を向けるか
わからないから

その時は潰せるようにして
万全の安全を図ってきた

中国とて同じです

中国はベトナム戦争時
徹底的にベトナムに
肩入れしてやったのに

1972年に和平の道筋がついた途端
ベトナムは中国を裏切り

国内統治のアキレス腱になっていた
華僑系を徹底的に追い出した

ベトナムからのボートピープルの
ほとんどが中国華僑系です

もちろん中国人はいきり立った
その感情を利用して
中越紛争を起こしたのが
鄧小平です

彼は中国人民解放軍を
全軍掌握するにあたり
建国の元勲の1人である

死んだ朱徳元帥の権威が邪魔だった

だから死んだ朱徳に恥かかすため
中越紛争を仕掛けた
ベトナムは強く中国軍は大敗

しかし大軍が攻めてきたことで
ベトナムは震え上がったし
これによって初めて
人民解放軍の合理化近代化に
手をつけることができた

これも『減丁の思想』です

つまり彼らはどきどき
『勝ち負けの心積もり』を度外視し
大戦争を始めることがあるんです

おそらく現在
習近平が同じことを考えている


江沢民があまやかしてきた解放軍
ゴマスリと要領だけで出世した
無能な将軍が山のように

軍管区改革を実行している現在
彼らをリストラしなければ
軍の望ましい合理化は不可能

同じように戦争をやってくる
可能性がある
しかしアメリカは核保有国
リスクが大きすぎる

だからそこそこ強く
核保有国ではない国を相手に
喧嘩をしてくるだろうと思います

その候補は台湾
そして日本というのが
これまでの経緯からして
妥当なところではないか?


繰り返しますが
モンゴルにやられたところは
自然にそう発想するんです

彼らに対して外交的解決が

通用すると信じ込むのは甘い


それは西欧的合理主義に
毒されすぎた考え方
日本の外務省のみならず
アメリカ政府をも含めて
それから離れたところで考えないと

かなり緊張すると思いますよ
油断は禁物だけど
頭に血が上るのも良くない

日本も正念場です
はっきり言ってそのとき
アメリカは役に立つかどうかですね


追記
これは2016年の原稿なので
現在中国は北朝鮮紛争に準備を
インドパキスタンもだけど
核保有国同士の戦争というのは
全く新しい戦争になります

途中経過がどうなるかわからないが
やれば最終的には中国が勝つ


その時に何が起こるかを
考えておく必要がありますよ

中国の権威と言うか箔と言うか
とてつもなく強くなってしまいます
もちろん習近平はそこまで計算している

そのことは日本など
アジア諸国のみならず

ロシアとの間の軋轢も
日本海が中国ロシアアメリカ日本の
角逐の場になってしまう

日本の歴史上
前例がない時代です
どうするかを今から考えておかないとね
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