Entries

戦前と戦後の比較――豊かで『平和』が最大の利益となる時代

推摩 一黙のブログ 2018年03月28日 10時38分

世の中、モリカケ、モリカケと蕎麦屋屋の注文じゃあるまいし証人喚問だのなんだの“デマ・デッチアゲ・扇動”がかしましいですが、そーいう話はガン無視して私のブログでは全然関係ーない話をしたいと思いますw

☆現代経済を成り立たせてる五つの要素条件

さて、リーマンショック以降、世界では移民難民問題や、多国籍企業にタックスヘブン等の「国をまたぐ節税脱税」問題やら、安易な新興国への工場転移による産業空洞化や先進国での中間層の没落に格差の極端化――等々さまざまな弊害が顕著となりグローバル化が疑問視され、見直されようとしています。

しかし、戦前の世界大恐慌後と戦後では世界経済は明確に違います。
列強(先進国)による植民地や属国といった影響下にある地域の資源や貿易関係の囲い込みといった『ブロック経済』に戦前は邁進しましたが、現在はTPPや一帯一路、EUユーロ圏やNAFTA(自由貿易協定)など確かに「地域ごとの経済圏形成の傾向」は見受けられますものの基本的に自由貿易自由経済が、世界規模では維持されています。

さて、それは戦前と戦後の『その違い』は、いったいなぜなんでしょ?w
それは以下のように戦後世界経済の形成条件が変化した結果だと考えます。

・戦後の大油田の発見開発による資源供給の劇的増加
・超大型タンカーなどの開発による物流の巨大化強力化
・国際的な金融決済市場の拡大巨額化
・インターネット、衛星通信の普及による通信網の高速化大量データー送信の実現
・保険・先物市場の普及円熟によりグローバル化による国際貿易の円滑化

以上のような国際貿易環境の劇的な改善と進歩により、戦前とはまるで違う現在の世界経済の驚くベキ繁栄が――いわばグローバル化の恩恵に私たちは受けるコトができているといえるんじゃないでしょうか?

さて、しかし「グローバル化」については、その弊害がいわれるよーになり議論されていることは最初に取り上げました。
しかし、『グローバル化の弊害』とはいわば
「ヒトモノカネの自由化や国際資本の野放図な横暴自分勝手を許し、格差の極端化や国の共同体社会の破壊を引き起こしてしまった」
ことのような、グローバル化の「行きすぎやりすぎ」が問題なのであって「グローバル化はとにかく何が何でも“悪”だ!」というならば、もしそう考えるならそれは極論です!

極端に偏った思想や制度は民主主義だろうが全体主義だろうが、自由主義だろうが社会主義だろうが必ず弊害を呼びます。
共産主義がソ連という“壮大で盛大な社会実験の大失敗”に終わったのもロシアや中国といった「資本主義的に成熟も成功もしていない」発展途上国で“のみ”普及したというマルクス本人の意図していなかった条件があったコトと共に、マルクスが「理想主義的に共産主義を定義論理だてし、人の業(好みの有無から人間の権力欲まで)を考慮に入れなかった」愚かさと。
それ以上に共産主義を突き詰めれば、マルクスが憎悪した独占資本家が生産手段や資本だけでなく『国家権力まで独占する』最悪の究極の独占資本主義形態にしか行き着かないというコトに気付かなかった大馬鹿ぶりが生んだ歴史上の悲劇だといえるでしょう ┐( ̄ヘ ̄)┌

……かといって自由資本主義の好き勝手に――アダム・スミスの「見えざる神の手」に委ねていれば上手くいくか? というとそーいうものでもないのですがね(苦笑
マルクスが共産主義なんて『余計な』コトを考えたのも、彼が生きたその当時、資本主義の弊害が、富の寡占と労働者の貧困と労働生活環境の劣悪さが、格差の弊害が目に余ったからで、かつ詐欺や反社会的な安全性や公害無視がまかり通っていたからです(´_`。)

……結局、健全な経済――経世済民の社会共同体の発展安定安心を実現するには「ほどほどに」自由と社会主義のバランスが必要であり、どちらが欠けても、偏っても『失敗や問題を引き起こす』というコトなのです ┐( ̄ヘ ̄)┌

――そしてそれと同時に人類の「数的繁栄」の為には『技術革新と資源の供給増』が必須の条件なんじゃないか? と私は歴史を観た時に考えます。
それが今回取り上げた「戦前と戦後、世界経済環境がどう違っているか?」を考えた時に取り上げた『五つの条件の違い』なのです。

再び一つ一つ観て行きますと……

まず『戦後の大油田の発見開発による資源供給の劇的増加』は、そのまんまで戦前と違い石油から鉱物資源、さらには農産物の生産量まで戦後は劇的に供給が需要を上回る世界となりました。
このコトは資源エネルギー価格の廉価と共に、戦前と違い資源を求めて国家の命運をかけて戦争するよりも対価を払い購入(輸入)する方が有利であり、かつ資源の安定供給を世界経済的に実現化させました。

次にです『超大型タンカーなどの開発による物流の巨大化強力化』ですが、これも単純な話で、戦後マンモスタンカーや巨大貨物船が生み出された結果、石油や鉱物資源などの大量採掘と共にその物流に関する需要を満たすコトができるようになりました。
石油を運搬するタンカー自体は1870年代当時に生まれましたが(アゼルバイジャンのバクー油田開発をキッカケに)、大型化大量輸送が発達したのは第二次世界大戦中の特にアメリカで開発されたT2タンカーと、戦後日本が大和などを造船した技術を流用して製造したスーパータンカーによる技術革新が大きいでしょう。
そして海上物流の巨大船舶化は世界の貪欲な資源需要に物流面で応え、安定した供給を可能にしたのです!

さて、とはいえどそれだけでは経済というモノは回りません。
経済はモノの売り買いには当然、代金の決済という問題がついて回ります。
その問題も戦後の『国際的な金融決済市場の拡大巨額化』が、まあ有り体にいえば
「戦前の金兌換本位制から非兌換性に切り替わった事で増加する国際貿易量に通貨供給が追い付くようになり」
結果として円滑な国際貿易決済と投資の迅速化が好循環し繁栄をもたらすようになったのです。
これに『インターネット、衛星通信の普及による通信網の高速化大量データー送信の実現』がますます国際貿易の促進と円滑化と繁栄を後押し。
さらに大航海時代に生まれた『保険・先物市場の普及円熟によりグローバル化による国際貿易の円滑化』が円熟するコトで安心して国際貿易が安定化するようになりました。

無論、戦前にその萌芽が既に芽吹いていましたが、開花したのはまさに戦後世界の時代に入ってからというべきでしょう。

☆今後はどうなるのか?

さて、このように戦後世界の国際貿易と経済は大油田の発見や鉱物資源等の採掘技術の発展により基本的に「資源余り」と呼んで差し支えない幸せな時代に突入しました。
しかし……まあ、いうまでも無くこの現代文明の黄金期はいつまでも続く訳ではありません。
すでに三十年以上前から「やがて石油は枯渇する」だの「中国を始め新興国・発展途上国が成長し、先進国並みに資源を消費しだしたら……地球上にそれを賄うだけの資源も環境も無い」だのそんな分かり切った話はいわれて来ました。
まあ、間違いなく数世紀以内に資源を食い潰して現代文明は崩壊するでしょう……地球上に留まっている限りは――ですが。

ですからシムアース等のゲームやSFで語られるまでもなく、人類はやがて宇宙に――月まで行かずとも衛星軌道上に巨大太陽光発電発電衛星を作ったり、ラグランジュポイントに小惑星を引っ張って来て鉱山小惑星を採掘したり、それら宇宙と地球上を(物流面で)結ぶリニアカタパルトや軌道エレベーターを実現化させたり。
あるいは核融合エネルギーを実現化させるなりして、

「地球上では足りなくなる資源やエネルギーを代替えする」

手段を模索せねばなりません。
まだ数世紀先までは開発していない陸や南極大陸などの資源から海洋資源まで開発して“時間稼ぎ”可能でしょうが、やがて必ず地球上の資源を食い潰す日はやって来ます。

……まあ、その前に気候変動(環境問題)と水資源問題が限界を迎えるかも知れませんが(苦笑
少なくとも今既に生まれている私たち(先進国、特に日本人)が生きている間にはなんだかんだ言って今の世界経済・国際貿易体制は維持できるくらいには資源は充分に残っています。

問題は私たちの後の世代――百年後以降の世界の話です。
その時代の子孫に恨まれたくなければ、環境問題から技術研究投資まで「今、種を撒き、育てねば」間に合いません。
私たちはローマ帝国全盛期のローマ人のような幸せな時代に生きています。
この繁栄と拡大を今後未来永劫続けたければ技術と宇宙開発に邁進して道を切り開くしかありません。

あるいはもう一つ別の道が人類にはあります。
それは「拡大成長を諦め再生再利用循環型文明に切り替える」事です!
これは無理な話ではアリマセンし、実はといいますと歴史で前例があります!
それも『日本での話』です。

それは江戸時代の日本です!

戦国時代から江戸時代初期にかけて日本は高度成長時代を経験しました。
室町時代1800万人だった日本の人口は江戸元禄の後期3500万人まで増加しました。
すなわち倍近く当時の日本は人口を増やし養えるダケ生産力を経済成長させたのです。
しかも単純に「生存の為食わせる」だけ石高を増やしただけでなく、江戸初期には全国各藩が田んぼを開拓しただけでなく、茶や楮、煙草に野菜など地方地域色豊かな商品作物を競って開発し生活水準を上げましたw
しかし元禄後期にそれも開拓できる土地を開墾しつくすコトで限界を迎えます。
そしてそれ以降の日本は幕末明治開国まで3500万人の人口で推移します。

さて、しかしそれは停滞ではありませんでした。
日本の江戸時代の再評価再発見が二十年ほど前から始まっていますが、元禄以降の日本人は決して停滞などしていませんでした!
「量の面での拡大成長」こそ限界を迎えたものの、世界に誇るベキ循環再利用(リサイクル)社会を実現し。
さらに「量ではなく品質面で」発展成長を図り成功していたのです!
金魚や錦鯉、朝顔の品種改良から、日用品を芸術品と呼んでいいレベルに昇華させ。
和算と呼ばれる数学が全国の神社仏閣に奉納されたり
儒学と共に実学が盛んになり、 本草学から蘭学に至るまで日本全国研鑽が行われましたが、それも識字率が男子89%、女子39%、全体64%だったのは、「いろは四十七文字を習い、手紙の文言、帳合いの仕方、算盤の稽古、天秤の取扱い等」は、「人間普通日用に近き」 といわれた教育熱と寺小屋の普及の賜物でした。
そしてそうした巨大な庶民知識層の厚さは貸本、浮世絵、瓦版文化を花咲かせ、世界でも稀に見る豊かな町人文化を形成繁栄させました。
このように世界は大量生産大量消費の現代文明ですが(可能性として)それを少量多品種高品質の再生可能持続可能社会に人類文明を切り替える可能性が無いワケは無いのです。

そして日本は、その歴史において“前例”あるのですから、今の世界の手本になれるのではないでしょうか?
そしてそれは現代の日本が少子高齢化人口減少と騒がれていますが、その問題を解決するヒントとなるかも知れません!?

水資源豊かですが水の浄化、透析技術において日本は最先端の技術を持っていますし。
公害対策や汚染された土壌水質の再生技術も世界トップクラスです。
産業も他の国、世界では衰退しているよーな産業も「技術の高度化」で他国の追随、真似の容易にできない高品質で少量ながら多品種で各人の好みに対応できる独自の製品を武器に見事生き残っていますし。

日本は先進国の中でも欧米と違い、技術立国をあくまでも目指す内に「量より質で持続可能な産業と社会形態」を意識せず、期せずして歩んでいるのかも知れません。
そして、それは人類の進むベキ道の一つを――希望を示すかも知れませんね(苦笑

余りにも期待しすぎかも!? とは自分でも思いますが……本日の話、いかがでしたでしょうか?
皆さまはどー思われますか?w
ではでは、マター(°∀°)b
スポンサーサイト
  • コメント : -
  • トラックバック : -

Appendix

最近の記事