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第一次世界大戦終戦100年と日本

外から見る日本、見られる日本人  2018年11月12日10:00

カナダでは11月11日のリメンバランス ディが近づくとジャケットに赤いポピー(ひなげしの花)を付けた人をずいぶん見かけます。そしてその日の11時に休戦記念の式典が毎年執り行われます。今年は特に100年目という記念すべき年に当たるため、大々的なイベントになっています。

フランスには世界の主要な首脳が集まり式典が執り行われました。その写真にはトランプ、メルケル、マクロン、プーチンの各氏らがなかよく並んで座るシーンも見られましたが、日本からは麻生大臣がひっそりと参加した程度でした。

不思議と日本では第一次世界大戦の話題はあまり出ません。日本が本格的な戦争をしたという意味でその直前の日露戦争は日本の勝利を様々な形で伝え、小説やドラマにもなり、乃木将軍は知らない人がいないぐらいでしょう。その次の日中戦争、引き続き起きた第二次世界大戦は日本にとって苦悩の戦いであり、東条英機首相(当時)を含む数多くの名前を挙げることができるでしょう。

では第一次世界大戦下における日本はどうだったのか、ズバッと答えらえる人は案外少ないと思います。私も明快には言えないでしょう。端的に数行でまとめるとこんなことかと思います。

日露戦争の際に大きな意味を持った日英同盟がまだ有効である中、欧州で始まった第一次世界大戦の緒戦で英国から日本に対し中国におけるドイツの租借地などを押さえてほしいという依頼があります。(これはその後二転三転します。)その依頼に飛びついたのが時の首相の大隈重信とそれを実務面で支えた加藤高明外相(当時)です。その閣議決定は反対意見も多い中、押し通し、大正天皇への上奏も翌日に行うスムーズさで日本の参戦が決まります。

結局参戦してどうだったか、といえば中学校で習う対華21か条要求があり、日中関係が更にこじれるきっかけを作り、その後の日中戦争への背景となります。一方、第一次大戦後になりますが、ロシア革命で手薄になったシベリアに対して日本はアメリカ軍らと一緒にシベリア出兵をするなど日本のポジショニングは明白に上昇します。

この結果、日本は国際連盟の5か国の常任理事国の一つになり、アジアの代表ならず、世界の代表の一カ国として君臨するのであります。

にもかかわらず日本人があまり第一次大戦のことを知らないのはなぜか、といえば一つには日本の参戦はかなり地味な立場であり、陸軍の派遣もしていないのに「棚からぼた餅」的なメリットがあったことが一つあるでしょう。

もう一つは学校教育で教えなかったのだろうと思います。理由は勝手な想像ですが、第二次大戦の悲劇があるのに第一次大戦は「勝った」とする思想の論理性が日教組には出来なかったのだろうと思います。「勝てば官軍、負ければ賊軍」と言いますが、大隈重信は叩かれず、東条英機は悪人とされる整合性まで踏み込むと微妙なところなのでしょう。

世界基準で見ると第一次世界大戦が終わったこの11月11日は誰でも知っている記念日でありますが、第二次世界大戦が終わった大々的記念日はありません。日本では8月15日になっていますが、欧米一般にはポツダム宣言受諾の9月2日ないし3日で毎年の記念式典は行われていません。一般人の認識もほぼないでしょう。どちらかといえば1月27日のドイツのホロコースト記念日にいろいろな国から人権問題に絡みさまざまな発言がなされる方が注目されているかもしれません。(同日はアウシュビッツがソ連軍により解放された日です。)

私がカナダにきてこの赤いポピーをつけたことはありません。第一次大戦が私の歴史認識の中で飛んでいることがあるのかもしれません。学校では戦勝国と扱われていますが、それを書いた小説も少ないし、ドラマになることもないし、記事になることもありません。ですが、日本人が近代史についてこれだけ議論する中でこの大戦がもたらしたものを無視するわけにはいかないとも感じています。
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